5月3日の『東京新聞』の社説、直球といえるようなストレートの主張である。腐敗する自由民主党という政党と、創価学会の公明党が結託して、日本を戦争の出来る国家へにしようとしている。もちろんその背後には、政治資金を贈り続ける経団連の意向がある。経団連など財界は、戦争によって国土が破壊され、人びとが殺されたり傷ついたりすることに関心はない。
そのような動きを押しとどめる力は、市井の人びとしかない。『東京新聞』社説は、それを訴える。
日本現代史は戦前、戦中、戦後に区分できます。日本軍は1937(昭和12)年から中国と戦火を交えていましたが、41(同16)年12月8日の日米開戦を起点にすると開戦前が戦前、開戦から45(同20)年8月15日の終戦までが戦中、終戦以降が戦後となります。
「もはや『戦後』ではない」と56(同31)年度の経済白書は宣言しましたが、私たちは今も、戦後を生き続けていると言えます。
そうした中、近年は「新しい戦前」との指摘が聞かれるようになりました。2022(令和4)年末、タレントのタモリさんが黒柳徹子さん司会のテレビ番組「徹子の部屋」に出演した際、翌23年の予測として発したそうです。
当時、岸田文雄内閣が相手国の領域内で軍事拠点などを攻撃する「敵基地攻撃能力の保有」を容認する新しい国家安全保障戦略を閣議決定した直後でした。
◆軍事傾倒「新しい戦前」
歴代内閣は憲法の趣旨ではないとして認めてこなかった攻撃能力の保有を一転して認めたのですから、「集団的自衛権の行使」容認に続き、専守防衛に徹してきた戦後の安保政策の大転換です。
タモリさんはそうした軍事への傾倒を、日米開戦に突き進む戦前と重ね合わせたのでしょう。
きょうは憲法記念日です。終戦から2年後の1947(昭和22)年に現行の日本国憲法が施行された日です。それまでの旧憲法を敗戦を経て改正したものですから戦争との決別を誓い、平和を創造する意志にあふれています。
前文にはこうあります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
そして、9条に戦争放棄、戦力と交戦権の否認を明記します。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
当初、連合国軍総司令部(GHQ)案を基にした政府案の条文に「平和」という文言はなく、新憲法制定に向けた衆院「帝国憲法改正案委員小委員会」での審議の過程で加えられました。
95(平成7)年に公開された速記録によると、法学者出身の鈴木義男・社会党議員が「唯(ただ)戦争をしない、軍備を皆棄(す)てると云(い)うことは、一寸泣言(ちょっとなきごと)のような消極的な印象を与えるから、先(ま)ず平和を愛好するのだと云うことを宣言して置いて、其(そ)の次に此(こ)の(戦争放棄の)条文を入れようじゃないか」と提案し、各委員の賛同を得ます。
◆平和の愛好をまず宣言
これを受ける形で芦田均委員長(後の首相)が修正案を提示。議論の末、1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、2項の冒頭に「前項の目的を達するため」との文言が挿入され、今の9条となりました。
国際平和の希求は、戦争の惨禍を生き延びた人々の切実なる願いであり、犠牲となった人々や国際社会への誓いでもあるのです。
先に述べたように近年、集団的自衛権の行使容認や敵基地攻撃能力の保有など、憲法9条に反する動きが加速し、防衛費の増大や防衛力の強化も続きます。
しかし、日本が戦後、平和を維持し、国際社会の評価と尊敬を得たのは、憲法9条の下で専守防衛に徹し、他国に脅威を与える軍事大国にならず、非核三原則を守る「平和国家としての道」を歩んできたからにほかなりません。
「新しい戦前」の状況を転換するには、先人たちが憲法9条に込めた理想に立ち返り、今を生きる私たちがその実現に努めねばなりません。それが「永遠の戦後」にとどまることになるのです。
18世紀ドイツの哲学者カントが「永遠平和のために」(集英社、池内紀訳)に記した言葉を紹介して、結びとします。
「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」