2025年5月23日金曜日

コロナワクチンは、壮大な詐欺だったのか

  新型コロナのパンデミックに対して、日本政府はコロナワクチンの接種を国家事業として取り組んだ。わたしも、政府の広報に促されて、2回接種を受けた。そしてオミクロン株となったとき、感染した。40度の発熱があったが、その高熱は一日で終わった。そして熱は下がっていったが、その後しばらく食欲がなくなり、体重が減った。現在はもとに戻っているが、コロナへの感染は、今振り返ってみて、なかなかしぶといウィルスであった。

 しかし、果たしてコロナワクチンはなんらかの効果があったのかと思うと、わたしは否定的である。

 わたしは2回接種、家人は一度も接種していない。その状態で、いずれも一度だけ感染した。 

 ところが、政府の広報にのって何度も接種した人で、複数回感染した人がなかなか多いのである。はたして、コロナワクチンはどれほどの効果があったのか、わたしは疑問を持っている。

 なお、コロナワクチンに関して、その問題を唯一報じつづけてきたのが、名古屋の放送局CBCである。今日もそのことを報じていたので、紹介する。

 

新型コロナワクチン 救済認定された死亡事例1000件超える 感染予防効果・重症化予防効果はあったのか?

破壊

  食料品などの物価高騰で、ほんとうに多くの人が困っている。物価の高騰は、消費税額を増額させる。政府、財務省は大喜びだろう。国民を困らせて、政府は大喜び。そういう政府はいらないとつくづくと思う。

 政府の財政支出先を子細に見ていくと、自民党・公明党政権とつながりのある業界などへのカネの流れが見えてくる。国民が納めた税金は、政府を経由して、政治家と利権を共有する企業へとばらまかれていく。

 自由民主党が消費税減税に舵を切らないのは、そうした構造を死守するためである。業界にカネを流せば、それがパーティー券購入、政治献金で自由民主党(議員)の懐に入り、さらに選挙活動に使われ、自由民主党議員の当選へとつながる。消費税などの税金は、そうしたシステムを維持していくための、いわば「血液」であるから、それを細らせるわけにはいかないのである。

 そうしたシステムを構築した自民党・公明党政権は、30年も続く日本の経済的苦境をつくりだしてきたのだが、かれらにはその自覚がない。 財界、自民党とも、そうしたシステムをつくり、それこそ最良だと思っているからだ。彼等の視野には、日本の庶民はまったくはいっていない。

 JR東海とアベら自民党が推進しているリニア新幹線の建設。今日の『中日新聞』によると、岐阜の工事現場での地下水位低下と地盤沈下はとどまるところを知らず、地盤沈下は一月一センチにもなるという。これでは農業も出来なくなるし、住宅も大きな被害を免れることはないだろう。

 自民党・公明党政権が推進する政策は、リニア新幹線建設工事にみられるように、まさに破壊である。自然を破壊し、住民の生活を破壊し、日本を破壊する。

 自民党・公明党は、破壊者の集団だといえよう。政治権力をもつ彼らが、経済権力を持つ経団連とタッグを組み、日本を破壊するのである。 


2025年5月22日木曜日

語る、学ぶ

  今日は農作業をせずに、ほとんど机の前に座っていた。

 zoomをつかった研究会。軍事郵便を解読している研究会に、遠くから一応参加している。一応というのは、研究会は神奈川県や東京都で開催されていることから、時々依頼されて参加するだけのメンバーであるからだ。

 今から30年近く前、南京事件に関わった軍事郵便を発見し、それを紹介する文を書いたり、地元のテレビ局と提携してドキュメンタリー番組をつくったりしたことがある。

 それを知った研究会のメンバーに半ば強引に入会させられたのである。

 今日は、軍事郵便研究にあたって何か話して欲しいと言うので、「軍事郵便解読からその先へ」というテーマで話した。

 軍事郵便には、きわめて形式的なものや印刷されたものもあるが、なかには、個々の兵士の具体的な行動、軍隊生活、兵士としての感情、戦争の実態(加害行為も)などが書かれているものもあり、軍事史的にも貴重なものがある。軍事郵便は、一次史料である。

 しかし、軍事郵便を書いて投函する兵士は、「駒」でしかない。自分自身がどのような作戦のなかにいるのか、今後どのように移動するのかなど、まったくわからない。とにかく上官の命令で動くしかない。

 したがって、兵士の戦争体験記と同様に、その内容は点、あるいは線でしかない。戦われている国家間戦争のどこに位置づけられるのか、書いた本人は理解していない。

 だからわたしは、軍事郵便は、解読するだけではなく、その軍事郵便を書いた兵士の部隊などを調べあげ、その部隊の動きなどを知った上で、書かれた内容を、戦争の歴史のなかに埋め込んでいく作業が必要である、軍事郵便に記された個々の兵士の具体的な行動が、戦争という歴史のなかに位置づけられるとき、一次史料としての軍事郵便は、歴史の「証人」としてよみがえってくる、ということを話した。

 その後、メンバーの中に高麗博物館に関係されている方がいて、在日コリアンの歴史などが話された。わたしは、在日コリアン史を書いたり、戦後補償裁判にも関わったことがあるので、語られた内容は知っていることばかりであった。わたしは黙って聞いていたが、そうか、わたしが何度も話したり書いたりしてきたことが、今も新鮮な内容として多くの方に聞かれるのだということを再認識させられた。

 歴史研究の成果は、人口に膾炙していないのである。

 わたしは語りながら、あるいは聞きながら、いろいろなことを学ぶことができた。

 珍しく昼頃から夕方まで、机の前にいたが、収穫は大きかった。人と交流することは大切なことだ。

 

減税しかない!

  近年、支出の増加が激しい。貯金をしている金融機関に行く回数、引き出す金額が増えている。何を買うにも高い。わが家の支出のほとんどは食料費、これが最大。そして光熱費、ガソリン代、そして以前とはかなり減った書籍代である。

  ほとんどの国民が、食料費などの高騰を語り、苦しんでいる。

 にもかかわらず、消費税という大衆課税、貧しい人々にとって負担が大きい消費税、その消費税を官僚や自民党、公明党、立憲民主党などはさらに増やそうとしている。

 国民に耐乏生活を強いていて、自民党の議員などは「裏金」でみずからの懐を豊かにし、国民から強制徴収した税金は国庫や地方自治体に集められて、官僚や議員と深くつながる企業へ支出される。

 もうこんなシステムを壊さないと、国民の生活はさらに苦しくなる。

 

山本太郎が小泉大臣の矛盾を突く【れいわ新選組 演説】

2025年5月17日土曜日

読むこと

  隠遁生活を送るということは、有益な情報は主に活字から拾うことになる。市井の人々と話すということは、まさに日常そのものの会話のなかに浸るということだ。

 新聞を読まない人々が増えてきた。新聞配達を業としている人々は、たいへんな時代を迎えている。わが家に配達している人も、新聞を購読している家庭が少なくなって、はたしてこのまま続けられるかどうかを心配していた。

 最近はテレビを見ない人も増えているそうだ。わが家も見ない。新聞にはテレビ番組欄があるが、チラッと目を通してみると、大宅壮一ではないが、「白痴化」を狙っているのではないかと思うほど、ヒドイ。現代社会に生きていて、考えなければならないこと、知らなければならないことは、まったく登場しない。表面的な笑いを得るためだけの番組が並ぶ。昔は「タメになる」ことが、テレビでも追求されていたが、今は「タメにならない」ことだけを報じるようになっている。要するに、見る価値はない、ということを認識する人々が増えているのだ。

 新聞もその傾向がある。以前は東海本社発行の『中日新聞』 を購読していたが、読まなくてもよい記事のオンパレードであったのでやめた。その後、東京本社が発行している『東京新聞』が購読できることを知って、『東京新聞』にかえた。

 すると、新聞を読む時間が、かなり増えた。『東京新聞』の「こちら特報部」でもその問題点を指摘していた「サイバー防御法」が成立したという記事が、今日の一面トップである。反対したのは、共産党とれいわだけであった。しっかりと覚えておこうと思う。野党といわれる政党で、維新、国民民主党はいうまでもなく与党に近い「ゆ党」であるが、立憲民主党の基本的な立ち位置は自由民主党と同じだとわたしは見ている。自民党・公明党政権が支える体制に異和感を持っていない政党であると、わたしは見ている。

 さて今日の「こちら特報部」は、「国立劇場閉場1年半 建て替え進まず」「伝統芸能「聖地」立ち往生」である。日本の保守派は、日本の伝統などはどうでもよいのである。彼等が大切だと考えるのは、近代日本の、大日本帝国憲法下の国家体制、これだけである。この時代の制度だけは墨守ないし復活させようとする。他方、能狂言、歌舞伎、その他のほんとうの伝統的なものについては、カネをださない。軍事費は、躊躇なく増額させるのに、である。

 国立劇場は当初建て替えではなく、改修の予定だった。しかし文化庁などが介入するなかで、建て替えとなった。建て替えの場合は、ホテルを併設するなど、民間企業がカネを儲けられるようなものにしようということになった。新自由主義が席捲する日本、文化よりカネ、それも大企業がカネ儲けできるようなものへと改造するのだ。都市開発は、すべてその構造をもつ。そこに住む人々、それを利用する人々なんかどうでもよく、とにかく大企業がカネ儲けが出来ればよいのだ。

 そういう「今だけ、カネだけ、自分だけ」という下劣な考えに染まっている官僚や大企業たちは、ブルドーザーのように、人々の生活や「伝統芸能」を押し潰していく。

 国立劇場や東京国立近代美術館など、「国立」がついてはいるが、大学と同様に「独立行政法人」が運営する。「国立行政法人」にしてからは、運営費は年々削られていく。

 まさに自民党や公明党、その手先となった官僚たちは、人々の生活や文化などはどうでもよいのである。

 新聞から情報を得るということは、怒りを覚えることにならなければならない。テレビと同様に、下品な笑いで終始する内容のものばかり流せば、「タメにならない」といって人々は離れていくのだ。

「独裁」への歩み

  最新号の『週刊金曜日』の「風速計」は、想田和弘さん。トランプ政治について、「独裁を目指しているトランプは、違法だろうがお構いなしで、とにかく出したい命令を出す。」と書いている。

 この傾向は、新自由主義ということばが徘徊する頃からでてきたと思う。民間企業のトップに権限や利益が集中する、それをまねて学校や自治体も右へ倣えで、トップに権限が集まる。浜松市などは、市職員の給与はあまりたかくないが、市長の報酬はトップクラスであった。このようにトップに権限やカネがあつまるようになった。

 そしてトップの連中は、自由に振る舞うことができるように、邪魔者を消し始めた。アベ元首相が、内閣法制局長官を自分の言うことに従う人物にかえ、法解釈を自由に変えられるようにしたのも、その一つである。

 日本政治のトップに居る者たちは、日本製の軍需品を開発し、輸出できるようにしたくてしかたがない。しかし、日本には「日本学術会議」というものがあり、学者研究者は軍事研究はしないという方針をもつ。その方針は、1945年の敗戦につながる「悪夢のような」大日本帝国の時代を繰り返させないという学者たちの決意からのものであった。

 支配層は、日本学術会議を換骨奪胎し、支配層の言うことをきかせる期間へと改造しようとしている。そのために解釈を変えたりしたのだが、その解釈変更を議論した文書を、政府は開示しない。そこで開示させようと裁判を起こしたところ、開示せよという判決が下された。 

 司法も支配権力により牛耳られているが、一部ではまっとうな判決を下す裁判官がいる。

 世界各国、どこの国でも、独裁へと向かっているように思う。独裁をしくためには、批判勢力を抑えなければならない。日本やアメリカだけではなく、どこでも、そういう傾向にある。

 トランプは、アメリカの大学を激しく攻撃しているが、それもその一つである。『週刊金曜日』には、ハーバード大学の抵抗が載せられているが、大学が権力のいいなりになってしまうと、「自由か、統制か」という選択はなくなる。「統制」へと一挙に向かうだろう。

 政治権力や支配層に対する批判と抵抗がなくなると、独裁は完成する。『週刊金曜日』や『世界』、『地平』などの雑誌や『東京新聞』などの新聞が、しっかりした批判記事を載せていくことが重要だと思う。

 人びとには、政治権力などへの批判意識があまりない。

 批判するためには、問題に対する知識が必要だが、それらの知識は、日常的な世界では交わされることはない。

 

早稲田大学での川口君事件

  自分自身の性格は、あっさり系だと思っているが、若い頃に経験したこと、思いつめたことなど、今も忘れずに持ち続けている。部分的には粘着質なのかもしれない。

 樋田毅さんが『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋、現在は文春文庫)を著したが、その前からこのHPを偶然見つけて、いろいろな情報を得ることができた。  

である。

 この事件に関して、gooブログ「浜名史学」にいろいろ書いてきた。しかしgooブログが亡くなるということで、この欄に書きうつしておくことにした。

 

ふとみつけたHP(2018年5月23日)  

私が学生の頃、川口大三郎くんという学生が殺された。殺したのは革マル派という党派である。

 大学の文学部のキャンパスは本部キャンパスとは離れていた。文学部の自治会は革マル派が牛耳っていて、文学部キャンパスは革マル派の暴力支配が行われていた。私は法学部であったので、そのキャンパスにはほとんど行かなかったが、時々革マル派の暴力で顔面が土色となったぐったりした学生の姿をみることがあった。革マル派は、他の政治組織のメンバーに、特高並みの暴力を振るっていた。

 川口君が殺された後、その暴力支配に対し、文学部の学生をはじめとして全学の学生が立ち上がり、連日一号館前で革マル派糾弾の集会が開かれた。私も参加していたが、その集会で髪を長くした樋田毅くん、彼は特定の政治組織に加わっていない正義感の強い学生であったが、彼の演説を何度か聴いている。彼は文学部の自治会委員長に就任していたという記憶がある。

 しかしその運動も、盛り上がるときがあれば退潮するときもある。退潮するなかで、文学部に革マル派の暴力支配が復活し、樋田君はキャンパスに入れなくなった。また革マル派の暴行を受けて骨折などしたと聞いたことがある。

 その樋田君は、大学卒業後に朝日新聞に入社し、あの赤報隊事件の追及に全力を投入し、最近、『記者襲撃 赤報隊事件 30年目の真実』を出版した。私はもちろん購入して読んだが、持ち前の正義感がみなぎっている本だ。

 この事件や、あるいは国鉄分割民営化の時に、革マル派は国鉄当局と一体となって国労などの労働組合の排斥に協力したことから、私は革マル派に対しては、許さない、という気持ちをいまも持っている。労働法に「不当労働行為」というものがあるが、国鉄からJRに移行するときに、分割民営化に反対する特定の組合員を差別し、雇用しないという、国家的不当労働行為に協力したのが革マル派であった。

 その川口君虐殺事件のことをまとめたサイトを、偶然見つけた。

川口大三郎君追悼資料室がそれである。

 私が学生時代、もう一人忘れられない学生がいる。山村君と言って、在日の学生で、ちかくの穴八幡神社で焼身自殺した。彼の自殺の背景にも、革マル派の暴力がある。

 この資料室には、当時のビラがPDFで掲載されているが、私も実は当時のビラを保存している。文学部ではなく、本部キャンパスで配られたものだ。このビラをどこかでひきとってもらえないかと思っているところだ。
 
【付記】最近、保存していたビラ類は処分した。「終活」の一環である。 
 

ドストエフスキーの肖像(2021年11月20日)

 昨日、図書館から『アレクシェーヴィチとの対話』(岩波書店)を借りてきた。以前はよさそうな本はすぐに購入したものだが、今は本を増やしたくないという思いから、できるだけ図書館から借りている。

 さて、NHKはこのテーマで番組をつくったようなのだ。テレビを見ない私はそれを知らなかった。その番組を活字化したのが本書である。

 NHKの鎌倉英也は、アレクシェーヴィチの部屋でドストエフスキーの肖像に出会った。やはり、と思った。『セカンドハンドの時代』を読みながら、私はドストエフスキーを想起していた。彼の作品に通底する何かを感じていたのだ。

 鎌倉がその肖像について尋ねると、アレクシェーヴィチはこう答えた。

そうです。ドストエフスキーは私を育ててくれた作家なんです。私に大きな感銘を与えてくれた作家で、彼の作品の強い影響を受けながら、私は「大人になった」ともいえます。ドストエフスキーが描き出したのは、それまでのロシア文学が認めようとせず、またあえて書こうとしてこなかった人間の多様な側面と暗黒です。人間の心を見抜く洞察力ですね。ドストエフスキーは、現代においても、つまり、現在のロシア人がつい先ごろ体験した世界観や価値観の劇的な変化ーそれは連邦崩壊という歴史的大転換でしたがーが起きても耐え抜いた唯一の作家と言っていいのではないでしょうか。彼の世界観と現実認識は、こうした時代の試練にも耐えたのです。この世に普遍的一般的な真理などというものは存在せず、人にはそれぞれ個別の真理しかないと初めて示したのもドストエフスキーだと思います。彼は、貧しく小さいとされてきた人々の心が、歴史的英雄や偉大な聖職者のそれに決して劣っていないことを示しました。ロシア文学のみならず世界の文学が描いてきた大人物的な主人公に比べても、「小さい人々」が少しも小さくないということを示したのだと思います。(32~33)

 だから、本書の副題は、「「小さき人々」の声を求めて」なのである。

 先日『彼は早稲田で死んだ』という本について書いた。その本に、大岩圭之助明治学院大学名誉教授との対談がおさめられている。大岩は、スローライフを提唱する学者。しかし早稲田大学の学生のとき、彼は暴力を振るいまくり、多くの学生に脅威を与えた(死さえも導いた)革マル派のメンバーの幹部であった。大岩にとって、学生時代に様々な暴力を振るう側であった時代は、あまり振り返ることのないこと、つまり彼にとってあまり重要ではないことなのだ。他方、樋田君にとって、あるいは暴力支配に抗した者にとって、彼の存在は現在とつながっているのだが、当の加害者である大岩にとって、あの時期は人生の一コマでしかないのだ。

 加害者は忘却し、被害者にとっては重い記憶として残る。それはかつての大日本帝国が侵攻していった地域で行われた残虐行為に対する加害者と被害者のその後と相通じるものだ。

 なぜ人間は平気で暴力を振るうことができるのか、そしてそれをいとも簡単に忘れることができるのか。ここにも「人間の多様な側面と暗黒」があると、私は考える。

 私が最近になって「人間てえ奴は?」を再び、いや三度・・・・考え始めたのは先の総選挙の結果である。あんなにひどい悪政を自民党・公明党政権がやってきたのに、日本の国民は怒っていない。野党が伸びるだろうという予想はみごとにはずれた。おそらくそう予想していた人々は、みずからの価値観、つまり悪政への怒りを日本の国民のなかに発見したかったのだろう。

 だが日本の国民は、そうではなかった。なぜ?と私は考える。

 スターリンの時代、ソ連は全土が「収容所」であった。突然人々は官憲に連行され、ある者は銃殺され、ある者はシベリアでの重労働を課せられた。自分がなぜ連行されるのか、なぜ銃殺されるのか、人々はその理由もわからずにその「運命」に従った。ロシア人に、その時代を懐かしむ人々がいる。なぜ?

 アレクシェーヴィチはこう語る。

今起きていることや歴史というものを知るためには、私たちは「小さき人々」の声に耳を傾ける必要があります。(33頁)

 ドストエフスキー生誕200年だということで、『現代思想』(青土社)は臨時増刊号を出すようだ。もう一度ドストエフスキーを読むこと、そしてアレクシェーヴィチの作品を読むこと、「小さき人々」を見つめること、「小さき人々」の声を聴くこと、ここから始めなければならない。


時流に乗る人(2022年1月28日)

 
 学生時代、S君がいた。S君は研究者になった。父君も大学教授であった。大学卒業以降一度も会っていないが、かなり前、『法学セミナー』で彼の論文を読んだ。その内容は、新自由主義的な色彩の濃いものであった。S君は学生時代、学生運動をしていたので、その内容に驚いたことがある。S君は変わった?いや本質的には変わっていない。彼はおそらくその時々の「時流に乗りながら生きて行く」ということにおいては変わっていない、のではないか。
 
 樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』のなかに、革マル派の活動家、それもかなりの武闘派だったと言われ、その後は明治学院大学の教授に収まり、スローライフなどを提唱している大岩との対談が載っている。
 
 川口大三郎君をテロリンチで殺害した仲間の一人であった大岩が、その頃のことをどう思っているのかを、樋田は問う。しかし、大岩の人生には、そうした蛮行の「経験」が刻印されていないことに気づく。大岩は学生時代にみずからがふるった暴力(当然、暴力を振るわれた人がいる)、革マル派による川口君虐殺などについて、おそらくみずからを振り返ることなく生きてきたようなのだ。 
 
 樋田は、学生時代にみずからが経験したことをみずからに刻印し、それを反芻し考えながらその後の人生を生きてきた。「時流に流されず」、「時流に抗って」、自分自身をしっかと持ち続けて生きてきた樋田と、大岩とは本質的に異なった人間なのだ。
 
 先ほど私は、「時流に乗って生きていく」ということを書いた。ふつうの人々は、「時流に流されて生きていく」のだが、なかには「時流に乗って」それを利用しながら生きて行く人もいるのだ。その「時流」が、時の流れのなかで正反対のものになっても、その人間にとっては問題にならない。「時流に乗る」ことが、彼の生の本質だからだ。
 
 大岩は、時流にうまく乗って生きていくという生き方をしてきたのではないかと思った。
 
 かれは、みずからの生の軌跡を自分自身の生に刻印していかない人たちの一人なのだ。樋田とは異なる人間なのだ。樋田は、自分自身がこうだから、大岩も学生時代のことをみずからに刻印して生きてきたのだろうと思い込んだ。しかし大岩はそうではなかった。
 
 他人も自分と同じであると思ってはいけないのである。
 
 樋田は、大岩と対談し、あんなにヒドイ暴力をふるったのだから、暴力集団の強力な一員だったのだから、それが心の傷として残っているはずだと推測したのだろう。しかしなかった(私はそのように読み取った)。
 
 私は、たくさんの「時流に流されている」人々、「時流に乗ってその時流を「有効に」利用して生きている」人々を見てきた。もちろん、時流に流されず、「時流に抗する」人もいるが、そういう人は、実は少ないのである。
 
 最近、かつて書いたブログ、「「哀しい」転向」へのアクセスが多い。ここでとりあげた弁護士は、時流に乗った人ではない。「時流に抗する」人であった。しかし「時流に抗する」なかで、大きな挫折を味わった。そして今までは労働者の権利擁護に奔走していた彼が、次には労働者の権利擁護に敵対する立場の弁護士となった。
 戦前、日本共産党の活動家のなかから、「転向」して労働運動などの社会運動をつぶす活動を専門に行うようになった鍋山貞親らがいる。
 
 その弁護士は、しかし鍋山らとは違うと思う。おそらく彼は、心の中で泣き叫びながら、企業のための弁護活動をしているのではないか。彼も、みずからの生を刻印して生きてきた人間だと思うからだ。しかし、彼は中途で刻印するのをやめた。だが、過去に刻印してきた人格は、おそらく消えてはいない。だからきっと苦しい生き方をしているのではないか。その点で、大岩とは異なる。大岩は過去の自分に苦しんだことはないのではないか。
 

【付記】 「哀しい」転向(2013年1月9日)

 
 今月号の『世界』に、「ある弁護士の「転向」」という文があった。アメリカの大手通信社「ブルームバーグ」という会社から不当解雇された人の裁判に関する記事であった。

 「転向」とは、「思想的・政治的立場を変えること」をいう。「戦前」という時代には、国家権力、とくに特別高等警察による激しい弾圧・拷問に屈して、共産主義者などが政治的思想を変えることがたくさんあった。

 今はそういう激しい弾圧や拷問はなくなっているが、政治的立場を180度変える人は時々いる。学者の中にも、共産党員だった教育学者が何らかのきっかけで、国家主義的・反民主主義的言動に走った人がいた。またマルクス主義の立場から日本古代史を論じていた人も、最近は「皇国史観」的な発言をしているということも聞く。

 考え方が変化していくというのはある意味で仕方がないことだ。生きていく上で、新しい発見をしたり、今まで経験したこともないようなことに際会し、自らの精神が大きく変動させられることもあるだろう。だから私は、いわゆる「転向」を責めることはしない。

 だが、なぜ?という問いはもつし、なぜかを知りたくなる。

 この文にある弁護士とは岡田和樹氏。ボクはこの人の名をしばしば見ていた。国鉄の分割民営化に際して、国鉄労働組合の組合員がJRにより徹底的に差別され、国鉄からJRへの採用を拒否されたことがあった。当時の首相、中曽根康弘は、国鉄分割民営化は国鉄労働組合をぶっつぶすためにやったのだと、後に豪語している。
まさに国家による不当労働行為であった。

 そのとき、岡田氏は、国労組合員の権利を守るべく奔走した。ボクも、国労を支援する会のメンバーだったから、『国労新聞』で岡田氏の名は見ているし、彼がかつて属していた東京法律事務所には友人がいて、そこのニュースは送られているので、知っていた。確かに今のニュースに、岡田氏の名はない。

 その岡田氏が、今、企業側の弁護士として、労働者の不当解雇を正当とする弁護活動を行っているというのだ。まさに180度の「転向」だ。

 労働弁護士時代、岡田は国労組合員の不当差別に抗して、各地の労働委員会に提訴し、救済命令を勝ち取った。しかしJR側は民事訴訟を提起し、東京地裁は労働委員会の救済命令を取り消したのである。もちろんこの判決は不当である。

 岡田は、この東京地裁の判決に「茫然自失」し、「法廷に通えないほど落ち込ん」だという。そして他の弁護士事務所に移り、今は企業側の弁護士として活動しているという。

 岡田氏のプロフィールを調べてみた。

 1969年、開成高校卒業。
 1973年、一橋大学法学部卒業、司法研修所入所。一橋大学在学中の1972年に司法試験合格。
 1975年、当時の小島成一法律事務所(現在の東京法律事務所)に入所。以後、様々な労働事件で労働者       側で活躍。
 1987年の国鉄分割民営化をめぐる1047名の解雇事件を担当し、国労弁護団の代表として、全国で2       00件の救済命令を勝ち取る中心として活動。
 1998年、救済命令を取消す東京地裁判決を機に、労働弁護士をやめ、
 1999年にフレッシュフィールズ法律事務所に入所。


 岡田氏は、一橋大学在学中に「当時最年少で司法試験に合格」したという。卒業した高校も開成高校という私立の有名進学校だ。まさにエリートコースを順調に進み、挫折を知らずに、おそらく1998年まできたのだろう。

 ふつう、普通の人間は、小さな挫折を繰り返しながら成長していく。だから少しの挫折に対しては耐性があるのだ。おそらく岡田は、その耐性がなかったのだろう。

 だがボクは、「転向」というとき、どのレベルまでの「転向」なのかを考える。人間性そのものも変わってしまったのかどうか、と。彼に関するブログを探したところ、人間性はかわっていないようだ。

 『カラマーゾフの兄弟』だったか、抽象的な具体像をもたない「人民」は愛することは出来るが、日常生活を生きる具体的にそこに存在する「人民」を愛せるか?というような文言があったような気がする。ボクはこれを読んで、大きなショックを受けた記憶がある。

 その後ボクは、二つの「人民」の距離を埋めていくことを意識的に行った。

 岡田氏は、今の自分を「無責任のようだが、自分の人生であって、自分の人生でないような不思議な感覚である」と、記しているという。

 大きく挫折した後の生は、その挫折を正視しそれを克服しない限り、おそらく大地にしっかと足を踏みしめるのではなく、浮遊しながらの生を生きるしかない、だから労働者を不当解雇するための企業側の弁護も可能になるのだ。
 

学生時代のこと(2022年2月13日) 


 このサイトを時々訪問する。樋田君のこの本を読んだ感想のリンクがはられる。紹介されたサイトを読む。紹介されているもののうち、水島朝穂さん、高世仁さんについては、学生時代から知っている。同じ法学部であった。私にとって、彼らは後輩となる。同年齢・同学年の者たちは、この本を読まないのだろうか、と思う。4年間しかいなかったが、あの頃の早稲田は、異常だった。とにかく、革マルの暴力が熾烈を極めていた。私は、情け容赦もなく鉄パイプで殴りかかっていた革マル派の学生を見ている。

 暴力が吹き荒れていたキャンパス。大学当局(村井資長総長)が革マル派とつながっていたことは、当時大学にいた者として予想できていたことである。この本は、それをはっきりと指摘している。革マル派の暴力は、大学当局によって公認されていたのだ(革マル派は組織至上主義で、組織のためなら権力とも手を結ぶ。それは国鉄の分割民営化の際、革マル派の拠点であった動労という組合が、それに全面的に協力したことにあらわれている)。

 当時、革マル派の暴力は日常であったことから、大学という所はそういうところなんだと思っていたが、しかしそれはきわめて異常なことだったのだということを近年思うようになった。

 当時、多くの学生がいた。革マル派の暴力を目の当たりにしていたはずだ。そして川口君が殺された。革マル派追放運動もあった。

 そうした記憶を、どのようにみずからの人生に位置づけてきたのだろうか。すでに現役からリタイアしているであろう方々に、みずからの読後感を公表してほしいと思う。

 

大宅壮一ノンフィクション賞(2022年5月14日)

 

 今回の大宅壮一ノンフィクション賞に、樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ』が受賞したそうだ。おめでとう、である。

 かつての早稲田大学、とりわけ文学部キャンパスは、革マル派によって暴力支配がなされていた。その下で、川口大三郎くんが殺された。それを契機に、暴力支配に怒りを抱いていた多くの学生が革マル派糾弾、早稲田を革マル派から取り戻そうという闘いに参加した。樋田さんもその渦中に入り込み闘ったが、暴力支配を復活させた革マル派により暴力を受け、キャンパスに入れなくなった。それらに関わることを、70歳近くになってふり返り、暴力の張本人にも会って話を聞いた、それらのことが書かれた本である。私もその闘いに参加したひとりでもあるからだ。

 革マル派の正式名称は、革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革共同革マル派)の下にある、マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(マル学同革マル派)という。彼らは、「革命的」ということばが好きなのだ。

 学生時代、各党派を眺めていたが、そのうち革マル派がもっとも組織至上主義であった。彼らは反帝国主義、反スターリン主義を唱えていたが、彼らこそもっともスターリン主義ではないかと思っていた。

 この本が受賞することにより、革マル派という組織がいかに暴力的であったか広く知られることになる。それはよいことだ。勢力はかなり小さくなっているだろうが、今もその流れの組織や人が運動のなかに入り込んでいるからである。

【付記】革マル派は許せない、という気持ちは続いている。単に彼等が暴力を振るっていたということではなく、国鉄の分割民営化の際、国鉄労働組合に対する不当労働行為に、みずからの組織(動労)温存のために、当局と協力したこともある(これは国鉄労働組合破壊、そして総評解体へとつばがる支配層の策謀であった)。もと革マル系であった知識人に、内田樹、福島泰樹(歌人)、石田英敬らがいることを最近知った。 

 

昨日の『東京新聞』を読んで(2024年5月4日) 

 まず目についたのは奥島孝輔氏の訃報である。彼は経済法の教授であったと思うが、教えを受けいたことはない。経済法では、私は宮坂富之助氏の講義を受けた。宮坂氏の講義はシャープであった。調べてみたらもう鬼籍に入られていた。

 奥島氏の唯一の功績は、学内の革マル派と闘い、彼らを文学部自治会、文連、大学祭実行委員会から放逐したことだ。彼ら革マル派は、自治会などを掌握して年間多額のカネを入手し活動費につかっていた。私も在学中、彼ら革マル派の暴力には心の底から怒りを持っていた。彼らは反スターリン主義を掲げていたが、彼らこそもっとも組織の温存を至上価値とするスターリニストであると思っていた。彼らは文学部校舎を暴力支配していた。スターリン時代のソ連とまったく同じであった。

 革マル派の暴挙は、樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ』に詳しいが、あの時代、キャンパスで彼らの暴行を目撃しなかった者はいないだろう。

 また革マル派は、国鉄の労働組合のひとつ、いわゆる動労を牛耳っていた。国鉄民営化という方針が示されたときには、その政策にのって、民営化を推し進める国鉄当局と癒着し、率先して民営化の旗振りを行い、動労という組織の温存を図った。しかしJR当局に見捨てられ、JR社内での革マル系労働組合の凋落は大きいようだ。

 学生時代、いろいろな党派がうごめいていたが、革マル派はとにかく許せない、というのが私の未だに消えない感情である。(以下略)

 【付記】奥島の革マル派一掃の方針は、それ以外の学生の活動をも抑圧するものであったそうだ。10年ほど前、サークルの同窓会があり早稲田のキャンパスを歩いたが、タテカンはなく、大人しそうな学生たちがたくさんいた。わたしが学生であった頃は、学内タテカンだらけであった。大学の管理体制は驚くほどに強化されていた。

 

ある映画について(暴力支配下の大学)(2024年5月27日)

「ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ」という映画が上映されている。残念ながら、私の住む浜松市では上映されないようだ。

 この映画は、1972年11月8日、早稲田大学文学部の学生であった川口大三郎君が、暴力集団革マル派に中核派のメンバーだとされて(川口君は、中核派のメンバーではない)、文学部校舎で革マル派によって惨殺された事件である。

 当時法学部の学生であった私も、その後に展開された虐殺抗議・革マル派追放運動に参加はしたが、しかし熱心に参加していたわけではなかった。

 この事件について、樋田毅さんが『彼は早稲田で死んだ』を著し、この事件を詳細に記した。

 そしてこの本をもとに、映画が制作された。上映される中で、11・8事件についてのサイトが立ち上がっていることを発見した。

 私は、樋田さんの本を読んで、暴力支配に抗する文学部の学生がどのような行動をとっていたかを改めて知ったし、彼らが体験したこと、そしてそれに伴う苦悩を知らなかったことを恥じた。さらにネット上で今日知った「川口大三郎リンチ殺害事件の全貌」は、まったく知らなかった、樋田さんの本でも詳しく記されていなかった事実を提示している。これを読み、またまた驚かされた。

 事件から50年以上経過して、こうして新たな事実が公にされていく。

 あの頃、私はサークル活動(裁判問題研究会)やアルバイトで日々を過ごしていて、そちらのほうに力を注いでいたので、他学部ということもあったが、反革マル運動に積極的に参加していなかった。しかし暴力支配(革マル派は、平気で鉄パイプを振り下ろしていた!!)の下にあった文学部生にとっては必死の闘いであったことが樋田さんの本や、このサイトで知らされた。

 革マル派の暴虐を見て見ぬふりをしていれば革マル派の暴力とは無縁であったが、そうでなければ彼らの鉄パイプは着実に振り下ろされたのである。

 私も法学部では彼らの暴力活動に抗する行動を行ったりしていたが、彼らは法学部の八号館では勝手な行動はとれなかった。

 振り返ってみれば、異常な大学であった。革マル派の暴力は日常的に振るわれていた。その暴力支配を利用して、大学当局は秩序維持を図っていた。暴力支配の構造を、大学当局と警察が支えていたのである。以前にも書いたが、大学正門を警察が入退構する者を見張っていたが、明らかにコートのなかに鉄パイプを隠し持っている革マル派の学生を見逃している姿を、私は見ている。

 私が通っていた頃と大学の姿はかなり変わってしまっているようだ。またあの頃、政治の問題や社会の不正義に憤っていた学友たちのなかには、不正義の側に「転向」してしまった者が、あんがいいる。

 不正義への怒りを、何故に捨て去ることができたのだろうか。

 11・8事件に拘泥している人たちは、革マル派による暴力への怒りを捨てることなく、強く強く持ち続けている。私も、あの頃の記憶を持ち続けていたい。川口君、そしてその前に革マル派の暴力を受け、穴八幡で自殺を遂げた山村政明(梁政明君、彼は在日であった)君を忘れない。そして革マル派への怒りは、死ぬまで消えることはないだろう。

 【付記】某高校の校史の編さん執筆をおこない、その高校でおきた「高校紛争」についてもきちんと書いた。その当事者から手記を送ってもらったとき、当時生徒会長であった彼が民間の中企業に就職し、社長にまでなった。回想を読んだ限りでは、高校時代のことはその後の人生に影響を及ぼしていない。ただ退職したあとに、当時の仲間とベトナムを訪問したこと、高校生の頃に「ベトナム戦争反対」を叫んだことに関連しての訪問であったことが記されていた。高校時代の「紛争」への参加は、「一時」のことでしかなかったのか、と思った。

 

映画「ゲバルトの杜」 (2025年4月14日)

 アマゾンのプライムビデオで、「ゲバルトの杜」が公開されていることを、今朝知った。そしてみた。

 早稲田大学で、文学部校舎を暴力支配していた革マル派が、川口大三郎くんを虐殺した事件がテーマである。1972年のことである。

 この映画は、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』をもとに描いたものだ。その本を読んだり、またこの映画を見て、同じ時期に早稲田のキャンパスにいて、わたし自身革マル派の放逐運動に参加していた気持ちはあるのだが、しかし具体的なことはほとんど知らず、またそれに関わる運動に積極的に参加していなかったことがよくわかる。法学部生であったわたしは、革マル派の暴力からは守られていた学部であったから、文学部で闘われていた反革マルの運動は他人事だったようだ。

 この映画は、川口君事件は「内ゲバ」を激化させた、という。わたしは革マル派の暴力、彼らが服の中に鉄パイプを隠し持っていたことも知っている。そして情け容赦もなく、「敵」とした学生に激しい暴力を振るっていた場面もみている。

 革マル派も、中核派も、そして他セクトも、みずからと思想が異なる者を「敵」とみなし、暴力を「革命的暴力」であるとして、みずからの暴力を「正当」であるとしていた。しかし、それらのセクトに関わらなかった私たちには、彼らセクトに属している学生たちの暴力を「革命的暴力」として正当化していたその姿に、一㍉も同意することはなかった。独善的な組織に属している者たちが、その組織の歯車として、みずからを滅して組織に奉公する、私たちとは異なる存在としてみていたような気がする。

 わたしも社会主義的な文献を読み、暴力を伴った革命でないと、既成の政治権力は倒せないという論理は理解していたが、しかしその暴力はあくまで観念的なもので、目の前にいるセクトの暴力とは結びつくことはなかった。しかしセクトの学生たちは、みずからがふるう暴力こそが「革命」のための暴力だと思っていたのだろう。独善的な残酷な認識である。

 この映画は、暴力について考えさせようとしているように思えた。革マル派を追放するなかで文学部の自治会委員長に推挙された飛田は、非暴力を徹底的に唱えていた。他方、革マル派の暴力に抵抗する暴力は必要だとして、行動委員会を組織していた者もいた。しかしそうした行動委員会の行動も、革マル派やそれ以外のセクトの暴力をより過激化させただけで、解散していった。

 やはりわたしは、飛田と同様に、非暴力こそがもっとも力を持つのではないかと思う。暴力はさらに暴力を招く。暴力は、人を傷つけ、あるときは命をも奪う。非暴力が原則とされなければならない所以である。


 

 

 


 
 

2025年5月13日火曜日

権力悪には従わない

  マイナ保険証の問題で混乱が起きているという。『日刊ゲンダイ』は、その混乱の原因をこう書いている。

 「総務省の想定では、今年度に電子証明書の期限を迎えるのは約1580万件、これとは別にカード自体の更新が約1200万件と計2780万件に上る。ちなみに来年度は計2020万件、再来年度は計2810万件の見通し。窓口の混雑はしばらく続きそうだ。」

 そもそもマイナポイントにつられて国民の多くがマイナ保険証をつくったからだ。

 わたしはマイナンバーカードも持たないし、マイナ保険証も持たない。当初から、これらのカードの問題点は指摘されていた。にもかかわらず、人々は窓口に殺到してマイナ保険証をつくった。

 政治権力が「悪」を働くことには従わないことだ。

 政治権力は、権力を掌握しているが故に、いかなることでも強制することができる。抵抗できない強制もあるが、抵抗できることについては、極力抵抗する。そうした気概を持つ者は多くはない。

 とにかく、権力を持つ者は悪事を働く。たとえば万博。ユスリカが大量発生しているそうだ。 万博は問題が多すぎる。そもそも大阪万博は、橋下徹、松井一郎の両名が、アベとスガを抱き込んで、夢洲にカジノを誘致するために、インフラを税金でつくらせようという魂胆から計画されたということだ。だから万博の成功はどうでもよく、人が集まらなくても、それは問題ではないのである。

 さらに官僚も悪事を働く。森友問題で、重要な書類が「廃棄」されたという。安倍昭恵関連の文書である。 自民党政治家やその家族、彼等と思想を同じくする者たちを、官僚は厚遇し、そのために悪事をはたらくのだ。そして指摘されても、彼等は平然としている。権力が守ってくれると思っているからだ。

 政治家も官僚も、さらにそれにはりつく面々には、正義ということばはない。自分たちだけの利益のためだけに、権力を行使するのである。

 国民の要求には「財源がない」とうそぶき、自分たちには湯水の如く税金を「我田引水」ならぬ「我懐引金」に勤しむ。

 絶望的な国、日本である。

2025年5月12日月曜日

自民党・公明党政権を退場させよ!

  新聞報道によると、袴田事件であれほど喫緊の課題だと認識された再審法改正、自民党内部の検討ができていないから、今国会では無理だという。

 また選択的夫婦別姓の実現も、自民党などの反対により、これも実現しそうもない。

  米価をはじめ、諸々の物価が高騰し、庶民の生活が苦しくなっているのに、米価は上がり続け、それ以外の物価高騰も終わりが見えない。しかし自民党・公明党政権には、それに対する政策は皆無である。米については、備蓄米を放出すれば米価は下がるだろうと農水大臣が言っていたが、一向に下がらない。

 庶民の経済生活が困難を極めている。昨日の『東京新聞』日曜版には、日本のエンゲル係数が28.3%という高水準であることを報じていた。

 物価高で消費税からの税収が大きく伸びているのに、消費税をなくすとか、庶民の生活をなんとかしようという施策はまったくなされない。

 要するに、国民が望んでいることはいっさいやらない、ということだ。

  しかし、国民が望んでいないことは積極的にやろうとしている。年金制度の改悪である。国民年金の納付期間は、20歳から60歳までの40年間というのが現行制度である。ところが自民党・公明党政権は、65歳まで年金を納付させようと企んでいる。一年間の年金はおよそ20万円であるから、5年で100万円。国民から100万円を奪おうとするものだ。

 国民の生活の苦しさをいっさい顧慮せずに、さらに国民から金をむしり取ろうという、自民党・公明党政権は、さっさと退陣させなければ、国民の生活は悪化するばかりだ。

 自民党・公明党政権は、異常としかいいようがない。国民が喜ぶような施策は、とにかく何もしようとしない。

 彼等は、所得税のかからない裏金を得てにんまりしているだけだ。要するに今だけ、カネだけ、自分だけを、みごとに貫いているのだ。

 

式嫌い

  子どもの頃から「式」というものが大嫌いだった。入学式、卒業式など学校で行われる「式」、葬式、結婚式。

 そのなかで、葬式だけは余り抵抗感を持たずに参加できていた。しかし、わたしが死んだときには葬式はださないでほしいと思う。わたしはこの世からそっと消えていくことが望みである。

 そもそも、仏教による葬式は、坊主が主体のようになっている。わけのわからない読経を聞きながら、ひたすら座り続ける。それでも我慢しながら坐っているが、自分の場合はそうした苦行を他人に強いたくはない。

 キリスト教の葬儀に参列したことがあるが、キリスト教の場合は、亡くなられた方を中心にして挙行されていた。いろいろな人が、故人について語る。だから、わたしの知らない故人についての理解が深まったという記憶がある。

 さて学校関係の「式」。壇上に「エライ」人々が並んで、聞きたくないような話をする。いずれも聞きながらすぐに忘れてしまうようなツマラナイ内容の話である。毎年、毎年、同じことをして何か意味があるのかと思ってしまうが、『儀礼の象徴性』という本だったか、そこには、「式」というのは支配秩序というか上下関係を公然と示す(確認する)場だという記述を読んで、なるほどと思ったことがある。余計に「式」が嫌いとなった。

 学校の卒業式は、ずーーと前はある程度自由であった。40年ほど前だったか、文科省が強権的に、大日本帝国憲法下(天皇制下)の式のやりかたを復活させてから、まったく参加したくなくなった。まさに支配秩序の確認の場となった。したがって、できるだけ式場に入らないように、わたしは駐車場係をかってでていた。日の丸も見たくはないし、君が代も聴きたくはないし。 

 最近、ユーチューブで、東京藝術大学のチャンネルをみるようになった。東京藝大の「式」はユニークである。まったく支配秩序とは関係なく、創造の場となっている。そこで人びとは等しく参加者である。そして参加者が一緒になって創造の場をつくりだす。

 わたしの人間観は、ひとりひとり皆チョボチョボという小田実の考え方を是としている。わたしは学問上の権威は認めるが、人間関係に於いての権威はいっさい認めない。話してみて、こいつは権威をふりかざそうとしている、と判断したときには、以後その人との交流は遮断する。いろいろな人と交流してきたが、有能な人ほど権威的でないのである。無能な人ほど、自分自身にではなく、他者の権威や肩書きなどにこだわる。

 「式」が好きな人は、無能な人である。無能な人が「式」で中心になりたがる。

2025年5月10日土曜日

カネ儲け 違法選挙

 

「選挙って儲かるんですよ」の裏側 ポスター代を水増し請求 “選挙ハック”の実態【報道特集】

超右翼の面々

  『日刊ゲンダイ』の記事、「自民・西田昌司議員「ひめゆりの塔」巡る暴言が飛び出した「憲法シンポジウム」主催者たちの正体」には、西田が暴言を吐いた集会の主催者が報じられていた。

 沖縄県神社庁や神道政治連盟県本部、日本会議県本部という超右翼の面々、そして西田の発言を詳報したのが『世界日報』だという。

 西田は、記事が指摘するまでもなく、自由民主党の議員である。要するに、自由民主党の思想と、神社本庁・神道政治連盟、日本会議、旧統一教会の思想とは、同じだということだ。

 神道政治連盟と神社本庁とは一体的であって、目的としては大日本帝国憲法の時代に戻そうという復古運動である。神社や神道についていろいろ説明しているが、要は明治以降の、日本近代の神社や神道の状況にしたいという動きである。日本近代の神道は国家神道であり、神職は国家公務員として厚遇されていた。それに戻したい、ということなのだろう。近代以前の神道、神社には、あまり関心はないように見える。伝統というなら、古代からみるべきなのに、明治以降、敗戦までしか視野に入っていない。だから選択的夫婦別姓にも反対するのである。夫婦別姓こそ、日本の伝統であったのに、近代天皇制との関連で、「臣民」に強制したのである。源頼朝のおくさんは、北条政子であろう。これが伝統なのだ。

 それにしても、日本の伝統を強調する神社本庁や神道政治連盟が、韓国生まれの旧統一教会と足並みを揃えるのはどうなのだろうか。韓国は夫婦別姓である。旧統一教会の教祖は文鮮明、妻は韓鶴子、何故に韓国生まれの旧統一教会が選択的夫婦別姓に反対するのか。

 

読む

  上丸洋一氏の『南京事件と新聞報道』(朝日新聞社)を読んでいる。6月に上丸氏を招請して講演会をやる、zoomでも参加できるからぜひ参加して欲しいという連絡があった。そこでこの本を購入して読みはじめた。

 上丸氏はもと朝日新聞記者で、退職してから全国紙のみならず、地方紙を読み込んでこの本を書いた。

 わたしも南京事件について軍事郵便をもとに書いたことがあるので、らくに読み進めることができている。読みながら思ったことは、戦時下、日本軍は中国の民衆に、途轍もなくひどい仕打ちをしたことは、一部にこれを否定するアホがいるが、歴史的事実であり、だれもが否定できないことである。本書にも新聞記事などをつかってそれが多数記されている。にもかかわらず、沖縄県内各地に、中国との戦争を想定して自衛隊基地をせっせと築いている日本の支配層の、歴史に学ばない姿勢にあきれてしまう。

 支配層は、戦争で多くの庶民が殺され、塗炭の苦しみに遭うことなぞ、まったく気にしていない。そもそも、軍隊は(自衛隊も軍隊である)、国家権力とその担い手達、つまり支配層を守るために存在しているのであって、国民を守るという立派な代物ではない。過去の戦争を振り返れば、それはすぐにはっきりするはずだ。

 ずっと前に、歴史の解説書に、以下の資料をつかった書いたことがあるが、その資料を紹介しよう。

 1941年12月10日の岩崎小弥太の訓話である。戦争遂行に「産業報国」の使命のもとに戦争遂行に邁進することを訴えたのであるが、その際にこういうことを言っている。

  英米の旧友に対する心得是なり。在来我が三菱と事業に於て相提携せるものに幾多の英米人あり。彼等は今日に至る迄我らの友人として同一の事業に提携し、同一の利害に終始来たれるものなり。今や不幸にして干戈相見ゆるの両国籍に分属す。国家が彼等の事業並に資産に対して合法的の措置ある可きは当然なれども、旧誼は之に由りて減ず可きに非ず。・・・・他日平和克復の日来らば彼等は過去に於て忠実なる好伴侶たりしが如く、将来に於てまた忠実なる盟友たる可く、斯くて両者相提携して再び世界の平和人類の福祉に裨補するの機至る可きなり・・・・(『三菱社誌』)

 

 国民に対しては「鬼畜米英」を押しつけ、戦争で巨額の利益を産みだしていた三菱は、戦争が終わったらまた「英米の旧友」と儲けに励もうと言っているのである。

 軍事費がばく大になっている。それによって三菱などが儲けていることを先日指摘したが、またもや三菱などは、対中国の軍備増強に商機をみているのだ。まさに「死の商人」。

 1945年に終わった戦争で、三菱などの財閥が、国民の悲劇のなかで、どれほど儲けることができたのか、もう一度振り返って欲しい。たとえば、三菱重工業は、1935年の利益金が700万5000円であったが、1944年には8642万6000円となっている。戦争は、巨大企業委巨額の利益をもたらす。政府も、軍需企業には減税策をとり、国民の生活を犠牲にした政策を展開していた。まさに現在の自民党・公明党政権の政策である。

 歴史を振り返り、1930年代から40年代前半の歴史を繰り返させてはならない。

 

 

2025年5月6日火曜日

ベトナム戦争終結50年

  ジャーナリストの高世仁さんが、「ベトナム戦争終結50年」と銘打ってブログで連載している。大学の後輩である高世さんもベトナム戦争によって人生を決められたひとりであった。

 「高世さんも」と、「も」をつけるのは、そういう人たちが、わたしと同世代の人には多いからだ。

 かつて2019年に書いたものを貼り付ける。

  高校時代の一つ上の先輩のKさんから電話があった。話すのは本当にほんとうに久しぶりであった。

 私の高校時代、ベトナムでは、ベトナムの民衆が、侵略してきたアメリカ帝国主義と戦っていた。その凄まじいまでの残酷さに、当時の若者は心を痛めていた。最近は戦闘の写真、当然そこには死体が転がり、血が流れている、を見ることはなくなったが、私が高校生の頃、そういう写真は新聞でも見られた。同じ人間として、こういうことはあってはならないという正義感なり倫理感は、誰もがもっていたことだろう。

 Kさんも、私もベトナム反戦の運動に関わっていた。人間として許せない!、人間としての怒りがその原動力であった。

 Kさんは、高校からひとりひとりにあてがわれていたロッカーにベトナム反戦の本を入れていて、そうした本を読むことをすすめていた。またKさんは校内で行われた弁論大会で、しばしば弁論を行った。そのひとつに「刺青と彫師」というものがあった。その内容もベトナム戦争に係わるもので、私たちは彫師として歴史に平和という「刺青」を彫っていかなければならない、というような内容であった。今日の電話では、その内容を本人は忘れているようであった。

 人間として許せない、と考えた高校生は、その当時たくさんいた。私たちは「社会科学研究会」、通称「社研」を組織した。もちろん届け出たわけではない。

 その「社研」ではどういうことをやったのか、ほとんど記憶はないのだが、そこに集っていた人々の顔は思い出すことができる。何度も会っていたはずだ。

 高校を卒業して、私はKさんだけには会ったことがある。といってもKさんが大学を卒業するかしないかの頃で、Kさんの結婚式に出た。当時東京から静岡まで、「東海〇号」という急行があり、私はそれに乗って東京・静岡を往復した。

 Kさんは静岡大学人文学部に進学、卒論は中世史、個別荘園の研究であった。卒業後は神奈川県の中学校の教員となった。そして今も平和に関わることをしている。

 高校時代に持った思い、人間として許せない!という感性は、今もなお、Kさんにも私にも生きている。

 思春期にもったそうした思いは、捨てることができない。捨てるということは、自分自身を裏切ることになる。おそらく死ぬまで持ち続けることだろう。

 あの頃、同じような思いを持った「社研」の人々は、その後、どういった生き方をしてきたのだろうか。

2025年5月4日日曜日

オルレア・ホワイトレース

  今、庭にはオルレア・ホワイトレースが咲き誇っている。白い、まさにレースのような花で、どうしてこんなきれいな造形の花ができたのかと思ってしまう。

 昨年、このオルレア・ホワイトレースの種を買って栽培してみたら、あまりにもきれいなので、今年も購入したのだが、昨年咲き終わったオルレア・ホワイトレースを捨てたところにも勝手に生えて咲いている。なかなか強い花である。

 近所のおばさんたちも、欲しいと言ってくるので、切ってあげている。花瓶に挿しても、そのきれいさは変わらない。

 オルレア・ホワイトレースが終わるころからは、ゴデチャが色彩豊かに咲き始めるはずだ。これももう何年も咲かせている。そしてその後ろにはアリストロメリアがあって、毎年花壇を豪華にしてくれている。これは放っておいても毎年咲く。

 花壇の前方には、ネモフィラ、わすれな草があるが、しかしそれらはもう盛りを過ぎた。

 春に咲く花はいいのだが、夏の花は、最近の酷暑で軒並みやられてしまう。いろいろな花の種を買って栽培しているのだが、酷暑のもとで強いのは百日草と千日紅である。他の花は最近の酷暑には耐えられないようだ。

 だから今年は百日草と千日紅で、酷暑の花壇を覆うつもりである。とはいえ、タキイ種苗のカタログを見て、これはというものを選んで注文している。栽培してみて、酷暑に耐えられるかどうかをチェックしようと思う。

 テーブルの上には、オルレア・ホワイトレースが咲いている。時々じっとみつめ、真っ白だけど、どうしてこんなに豪華に感じられるのかと思う。

 近所で花を咲かせている家は、少ない。最近新築される家には庭がない。樹木もなく、石を敷き、コンクリートで覆う。建物の色も黒が多く、窓が少ない。いろいろな意味で余裕がなくなっているのだろう。

 

 しかし、

 

盛況の防衛産業

 『地平』6月号の半田滋氏の「よみがえる日本軍需産業」の冒頭部分、

  防衛産業が好景気に沸いている。岸田文雄政権が2022年12月に閣議決定した「敵基地攻撃能力の保有」「防衛費の対GDP比2%」を受けて、防衛省からの発注が殺到している。

 閣議決定の次年度、2023年度の契約額を見ると、受注額の多い順に三菱重工業が一兆6803億円(対前年度比4.6倍)、川崎重工業が3886億円(同2.3倍)、NECが2954億円(同3.1倍)、三菱電機が2685億円(同3.6倍)、富士通が2096億円(同3.2倍)となった。

 岸田政権は2027年度まで五年間の防衛費をその前五年間の1.6倍の43兆円としたが、1から5位までの契約額はこの伸び率をはるかに上回った。しかも防衛省は2023年度から利益率を8%から15%に増やしたから、各社とも利益がさらに増えている。業界最大手の三菱重工業の株価は閣議決定直後からの三年間で約4倍も上昇した。

 衝撃的な数字が並んでいる、とわたしは思った。

 庶民が米の高騰で、うどんなどで腹を満たそうとしているそのなかで、軍需産業が大儲けをしている。ここに書かれている数字は、もちろん国家財政(税金)から支出される。軍需産業やその株主は大喜びである。

 今や日本の主要な輸出産業は、車だけとなっている。それ以前には原発の輸出も考えられていたが、福島原発の爆発でそれは潰えた。それまでにも、日本にはいろいろな産業が勃興してきたが、官僚や政治家は利権につながらないからか、それらを育成してこなかった。車と原発でいこうと彼らは考えていたのであるが、原発が潰えたことから、次は軍需だと考えているようだ。しかし軍需品は実際に使用されてみないとその効果は信用されない。そこで日本の財界はどこかで戦争をしようと考えているように思う。

 日本の支配層に、日本国憲法は眼中にない。カネだけをみつめている。

 わたしが主に使用しているパソコンはNEC(補助的に使っているのはマウス)、残念ながらWindows11に対応していないので、あたらしく買わなければならない。やはりNECと富士通はやめよう。 

 半田氏の軍事に関する知識は相当なもので、彼が書いたものはすべて読むに値する。この論考から、新たな知見を得ることができた。

 なお半田氏は、ユーチューブのデモクラシータイムスで、軍事に関する番組を持っている。

 

直球 “「永遠の戦後」目指して”

  5月3日の『東京新聞』の社説、直球といえるようなストレートの主張である。腐敗する自由民主党という政党と、創価学会の公明党が結託して、日本を戦争の出来る国家へにしようとしている。もちろんその背後には、政治資金を贈り続ける経団連の意向がある。経団連など財界は、戦争によって国土が破壊され、人びとが殺されたり傷ついたりすることに関心はない。

 そのような動きを押しとどめる力は、市井の人びとしかない。『東京新聞』社説は、それを訴える。

 

 日本現代史は戦前、戦中、戦後に区分できます。日本軍は1937(昭和12)年から中国と戦火を交えていましたが、41(同16)年12月8日の日米開戦を起点にすると開戦前が戦前、開戦から45(同20)年8月15日の終戦までが戦中、終戦以降が戦後となります。
 「もはや『戦後』ではない」と56(同31)年度の経済白書は宣言しましたが、私たちは今も、戦後を生き続けていると言えます。
 そうした中、近年は「新しい戦前」との指摘が聞かれるようになりました。2022(令和4)年末、タレントのタモリさんが黒柳徹子さん司会のテレビ番組「徹子の部屋」に出演した際、翌23年の予測として発したそうです。
 当時、岸田文雄内閣が相手国の領域内で軍事拠点などを攻撃する「敵基地攻撃能力の保有」を容認する新しい国家安全保障戦略を閣議決定した直後でした。

◆軍事傾倒「新しい戦前」

 歴代内閣は憲法の趣旨ではないとして認めてこなかった攻撃能力の保有を一転して認めたのですから、「集団的自衛権の行使」容認に続き、専守防衛に徹してきた戦後の安保政策の大転換です。
 タモリさんはそうした軍事への傾倒を、日米開戦に突き進む戦前と重ね合わせたのでしょう。
 きょうは憲法記念日です。終戦から2年後の1947(昭和22)年に現行の日本国憲法が施行された日です。それまでの旧憲法を敗戦を経て改正したものですから戦争との決別を誓い、平和を創造する意志にあふれています。
 前文にはこうあります。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 そして、9条に戦争放棄、戦力と交戦権の否認を明記します。
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 当初、連合国軍総司令部(GHQ)案を基にした政府案の条文に「平和」という文言はなく、新憲法制定に向けた衆院「帝国憲法改正案委員小委員会」での審議の過程で加えられました。
 95(平成7)年に公開された速記録によると、法学者出身の鈴木義男・社会党議員が「唯(ただ)戦争をしない、軍備を皆棄(す)てると云(い)うことは、一寸泣言(ちょっとなきごと)のような消極的な印象を与えるから、先(ま)ず平和を愛好するのだと云うことを宣言して置いて、其(そ)の次に此(こ)の(戦争放棄の)条文を入れようじゃないか」と提案し、各委員の賛同を得ます。

◆平和の愛好をまず宣言

 これを受ける形で芦田均委員長(後の首相)が修正案を提示。議論の末、1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、2項の冒頭に「前項の目的を達するため」との文言が挿入され、今の9条となりました。
 国際平和の希求は、戦争の惨禍を生き延びた人々の切実なる願いであり、犠牲となった人々や国際社会への誓いでもあるのです。
 先に述べたように近年、集団的自衛権の行使容認や敵基地攻撃能力の保有など、憲法9条に反する動きが加速し、防衛費の増大や防衛力の強化も続きます。
 しかし、日本が戦後、平和を維持し、国際社会の評価と尊敬を得たのは、憲法9条の下で専守防衛に徹し、他国に脅威を与える軍事大国にならず、非核三原則を守る「平和国家としての道」を歩んできたからにほかなりません。
 「新しい戦前」の状況を転換するには、先人たちが憲法9条に込めた理想に立ち返り、今を生きる私たちがその実現に努めねばなりません。それが「永遠の戦後」にとどまることになるのです。
 18世紀ドイツの哲学者カントが「永遠平和のために」(集英社、池内紀訳)に記した言葉を紹介して、結びとします。
 「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」

宗教とカネ

  浜松市の片田舎に住んでいると、自分自身を刺激する情報は基本的に本(雑誌も含む)しかないという状況に陥る。すでに退職し、農作業と読書に時間を費やしているわたしには、他者からの刺激はほとんどなくなっている。それにテレビも見ないし、Xもやっていないので、情報源は本、新聞となる。

 『地平』6月号に「統一教会の行方」(藤田庄市)という文があった。統一教会は、宗教団体というより、カネ集め集団であるという認識が、わたしにはある。わたしの大学時代においても、東京の駅頭では彼らが様々な理由をつけて(たとえば洪水に見舞われたバングラデシュの民衆を救済しよう、とか)カンパ活動を行っていた。かれらの人を騙してカネを奪うという手法は、一貫している。大学を卒業して浜松に帰っても、彼らは自宅を訪問して、北海道の珍味を売りに来たり、署名カンパ活動をしていた。署名用紙をみたら近所の人びとが一律1000円のカンパをさせられていた。集められた多額のカネは、韓国にわたり教祖とそのまわりの人たちに豊かな生活を生みだし、自由民主党という利権政党にわたり、おそらく日本国内の幹部たちの豊かな生活を支えているのだろう。

 わたしは統一教会に関していろいろな本を読んできたが、キリスト教を名乗りながら因縁とかわけのわからないことばを弄して人を騙し続けていることに怒りを感じていた。「先祖解怨」とかも、カネを集める手段となっている。

 統一教会が宗教法人として存続することはできないだろう。当然のことだ。人からだまし取ったカネを私的に費消し、自由民主党に流し、しかも税金が課せられていないというのはまったく不当である。

 統一教会への批判の高まりの中で、彼らは活発に宣伝活動を行っているという。「デモや街頭宣伝、集会の頻繁な開催、ユーチューブ、SNSをはじめとするネット上での大宣伝と、教団批判の元二世への攻撃は凄まじい」らしい。その原動力は、おそらく宗教的なものではなく、カネへの執着だろう。かれらは人を騙すことが人倫に反するとはまったく思っていないだろう。

 だが、である。統一教会と同じようなことが、日本の仏教界でも行われている。近くの日蓮宗の寺院では、塀を新調するためといって檀家に最低30万円を求め、また庫裏(住職の家族らが住むところ) を増築したいからカネを求めるなど、カネ集めに余念がない。「坊主丸儲け」ということばがあるが、まさにその通りである。

 だからわたしは、墓じまいをした。子どもや孫に不要な負担をさせたくないからだ。

 仏教界、寺院がおこなっているそのような下地があって、統一教会のカネ集めがあるのではないかと思う。

 統一教会は、集めたカネを韓国に送っている、日本の寺院はみずからの安楽のためにカネを集めている。わたしが墓じまいをした寺院に来ていた兼務住職(すでに亡くなっている)は、夕方になるとバス停に立つ。白っぽいスーツを着てお出かけである。外見は、〇〇〇風であった。おそらく夜の街にくりだすのだ。

 統一教会も、ほとんどの仏教の寺院も、カネ、カネ、・・・・では共通している。

2025年5月3日土曜日

「人がたたかうのは、愛と怒りからです」

  このことばは、『地平』6月号の酒井隆史さんの「後ずさりして前をみる」のなかの一文である。

 愛と怒りがあるから「人はたたかう」。これと同じようなことばが韓国でも語られた。それについては、gooブログに書いた。そのまま転載する。

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「私たちは、愛だから!」

2025-04-08 09:45:29 | 社会

 『世界』5月号、たくさんの文が並んでいる。なかにはツマラナイもの、自分たちの「世界」だけに通用するような内向きの、一般読者に何を伝えようとしているのかわからないものもある。だが、なかにすごい!と思ったものがあった。

 チョン・スユンさんの「私たちは、愛だから」がそれだ。韓国の若い女性たちの動きを印象的に綴ったものである。韓国は、ここまで進んできているのかと、驚いた。

 昨年の12月21日、韓国は日本よりずっと寒かっただろう。その日、多くの人々がソウルの光化門に集まっていた。いつもは夜10頃にそれは解散するものであった。

 ところがこの日、農民たちがトラクターを連ねてソウルに向かっていた。米の価格保障を求める農民たちのデモンストレーションであった。ところが農民たちは、ソウルの南・南泰嶺(ナムテリョン)で、警察に足止めを食らって動けないでいた。農民たちは高齢であった。

 この状態が、Xで伝えられたところ、ソウルに集まっていた若い女性たちその他が、ナムテリョンに向かったのだ。

 「今、農民のみなさんがたいへんなことになっている。」「困っているおじいさん、おばあさんがいる」「みんな助けに行こう」

 応援棒や携帯などを振りながら、農民たちのトラクターに駆け寄ってきた。若い市民たち、80%が女性であったそうだ。

 「警察は車をどけろ、農民を通せ!」「警察のみなさん、あなたたちもこの農民が作った米を食べているじゃありませんか」

 次々とリヤカーのようなものに乗って、若者が発言を始めた。ソウルで行われていたようなことが、ナムテリョンで起こった。

 「夜中の現場には、観光バスが何台も入ってきました。寒い人は誰でも入って体を温めてください、と。全国や海外から、この若者たちを心配する大人たちが送った暖房バスでした。続いてキムパップ(海苔巻き)、サンドイッチ、餃子、鶏のスープなど食べ物や温かい飲み物、防寒用具が配達されました。もちろん若者たちの予約ではなく、この子たちを応援する大人たちが電話で注文したものでした。真冬の深夜にバイク便やバスの運転手さんが見つかったのも信じられないことです。しかし、警察は、学生たちが集まったことに戸惑ってはいたものの、農民のトラクターをソウル市内にとうらせませんでした。」

 翌朝になっても、警察との対峙状態は続いていた。10時頃にはもっと人も増え、中年の男女も加わった。

 「警察は車をどけろ!農民を通せ!」の叫び声が続いた。

「結局、午後4時頃、警察のバスが動きました。冬至が過ぎて、昼間がだんだん長くなるその日に、壁がなくなったのです。10台あまりの農民のトラクターは、漢江の橋を越え、大統領の公邸付近まで進撃しました。農民のみなさんは、涙を流しながら娘たちにいました。「みんな、ありがとう。本当に、ありがとう。」一晩一緒に見守っていた若い女性たちは歓声を上げました。「私たちが勝った!」「私たちは勝てる!」」

 女性たちは言った。「だって私たちは、愛のために闘っているから!

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筆者のチョン・スユンさんは、こうした若者の動きの背景を書く。

 2014年4月16日のセウオル号沈没事故を挙げる。そのとき、ライフジャケットを着た学生たちが並んでいる。学生たちは「みんな、生きてまた会うんだよ」「うん、生きろ、生きろ」と会話していた。そのバックに、「皆さん、そのままにしていてください。今の場所で待機してください」というアナウンスが流れていた。その間に船長らは、脱出していた。そして学生たちは船と共に沈んでいった。

 「何もしないで、そのままに」という言葉にものすごい抵抗心があるわけです。何か不当なこと、不正義なこと、理不尽なことがある時、そのまま大人しくしていれば、死ぬ、死なれる、死んでしまう、という危機感とトラウマがあるから、とにかく行動に移す。これは今の若い世代の特徴だと言えます。

 そして。どこかに自分たちの助けを求める人がいれば、自分たちが助けられる立場にいれば、それがどれだけ辛くても駆けよって一緒に連帯し、力になろうとする。」

 その原動力は、愛、だという。「私たちは、愛だから」。

 そのような愛情は、日本にもある。石牟礼道子の詩に、「悶(もだ)え神」を記したものがあると、チョンさんは紹介する。「悶え神」とは、「自分は被害に遭っていなくても、被害者の悲しみを自分のことのように感じ苦しむ人のこと」をいうそうで、熊本県の水俣の言葉だそうだ。

 チョンさんは、石牟礼の詩を最後に紹介する。

花が/この世でもっとも悲しい人々の為に/ひらくように/平和は/泥にまみれ けりやられ つばをかけられ/してきた人々のためにある//今のあなたの暮らしが平和だから/平和を守れ というな/今のあなたの暮らしが/人々の貧困とうらみを土台にして/居る限り

 この連載の表題は、「言葉と言葉のかくれんぼ」である。ことばというのは、まだまだ美しく、輝くことができる。

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 酒井さんのことばは、2022年に亡くなった マイク・デイヴィスのものである。

 『地平』6月号の酒井さんの文の内容は、マイク・デイヴィスが著した本の内容を簡単に紹介するもので、5月号は「マリブは燃えるにまかせるべし」であった。マリブは高級住宅地、ロサンゼルス郡の美しい海岸部に造成され、住宅販売価格の中央値は400万ドル、約6億800万円だそうだ。そこは「悪魔の風」によって2年半ごとに大規模火災に見舞われる。しかし富豪たちはひるまない。保険をかけているし、そうした高級住宅地には当局が「厖大な予算を投入してくれる」からだ。

 同じように、ロサンゼルスのスパニッシュ・ハーレムであるウエストレイクも大規模火災に見舞われる。当局は、しかし「無視と無策」を提供(?)する。富豪には手厚い保護を、貧民には「無視と無策」を、これが現在の政府・自治体など「公共」がやっていることである。

 絶望?デイヴィスは、こう語るのだ。

 だれもがいつも知りたがっています。希望はないのか?希望を信じないのか?でも、人は希望があるからたたかったり、道をふみとどまったりするのではないとおもう。人がたたかうのは、愛と怒りからです。・・・絶望的にみえるたたかいであってもたたかってほしいと願いながら書いているんです。

 闘いの原動力としての、「愛と怒り」。アメリカと韓国から、同じようなことばがだされた。だが、日本からは?

 

憲法記念日

  毎年、日本評論社が発行している『法律時報』の5月号は、何らかのかたちで日本国憲法の特集をしていた。しかし、最近そういうことはなくなった。法律学のレベルでも、憲法は脇におかれている状態である。

 安倍政権以降、公然と憲法を無視する傾向が強まり、対米隷属のままの軍事拡大、「敵」との戦闘を前提とした軍事作戦が計画されている。沖縄県の諸島では、自衛隊が軍事基地を構築し、アメリカに言われるままに対中国との戦争を準備している。

 そのようなことがあっても、沖縄県の首長選挙では、悪名高き自民党・公明党推薦の候補が当選している。もうどうでもよい、と思うようになったのか、それとも「保守化」したのか、わたしにはわからないが、少なくとも、アメリカに隷属する自民党・公明党政権に対する、平和・軍事レベルでの抵抗感は少なくなっているように思われる。

 兵庫県でも、知事によって法を無視する行動が眼に見える形で行われている。あらゆる部門で、法を無視する動きが強まっている。

 それはアメリカでも、である。トランプ政権は、堂々と法を蹂躙する動きを強めている。まさに安倍晋三が、みずからの恣意的な政治を行うために、内閣法制局長官を意のままに動かすことができる人物を任命したように、法や慣例を歯牙にもかけない動きが、世界的に強くなっているように思う。

 昨日、ユーチューブでデモクラシータイムスの「三ジジ放談」をみていたら、平野貞夫が、番組の最後のあたりで、衆議院憲法調査会のトップにいる立憲民主党の枝野幸男が積極的な改憲論者であり、スガもと官房長官を大いに評価していたことを指摘していた。スガについては、雑誌『プレジデント』での対談記事に、そう書かれていたようだ。

 わたしはもともと枝野というのは胡散臭い人物だと思っていたが、やはりそうだったのかと思った。ひょっとしたら、立憲民主党をたちあげたのは、改憲を進めるための手段ではなかったのでは。

 いずれにしても、歴史は「法の支配」が確立していない時代に戻りつつある。

 なお『週刊金曜日』の特集は、「象徴天皇制」である。天皇制の骨格も、近代日本国家の創造物である。わたしは天皇制が日本の民主主義や人権を麻痺させていると思っている。毎年春秋に叙勲が行われているが、日頃批判的な言辞を展開している人士のなかに、堂々と叙勲を受けている人がいる。叙勲を受けるということは、天皇制に包摂されることだと思っている。

 若い頃、購読していた『歴史学研究』の月報に、歴史学者の江口朴郎が叙勲を受けないことについて書いていた。その通りだと思った。わたしが尊敬する歴史学者は、誰ひとり叙勲を受けていない。