アエラの「「おにぎりすら食べられない」 相次ぐ郵便局員の突然死は“氷山の一角“か 仕事に誇りを持っていた40代男性はなぜ亡くなったのか」という記事を読んだ。
今でもわたしははがきを書いたり、手紙を出したりしている。ラインやメールですむことでも、あえて郵便を利用する。手紙という文化を廃れさせたくないという思いがあるからだ。
2~3年前まで、わが家への郵便配達は昼頃であった。その後は、夕方となり、配達する人も変わった。それまでの人とは時々親しく話したりしていた。しかし今は、そういう関係ではなくなっている。
小泉進次郎が首相であったとき、郵政改革、郵便局を民営化すると叫び、大方のメディアもそれにのり、小泉を好意的に報じ、その結果郵政選挙で居自民党が勝利した。その結果、郵政民営化が進められ、郵便局の労働者の労働も過酷となった。わたしには、全逓の組合員の知人がいたので、職場の変化をいろいろ聞いていた。
小泉の郵政改革は、アメリカへの忖度であり、新自由主義政策の一環であった。新自由主義的な政治が推進されればされるほど、労働者の生活は苦しくなり、格差も拡大し、人びとはたいへんなことになると思っていたが、その通りとなった。郵便事業全般で、サービスの低下は著しい、それも民営化の結果である。あのときの選挙で自民党に投票した人びとには、猛省してもらいたいと思う。
その頃と比べて、さらに郵便事業場での労働は厳しさを増しているようだ。働く人を大切にしない社会には、先がないとわたしは考えているが、日本はそれがどんどんひどくなっていると感じる。
この記事に書かれていることは、あまりにヒドイ!というしかない。
わたしは郵便を使わない方がいいのではないかとも思ってしまう。わたしが手紙を出せば、仕事が増えるということになる。
こんな時代になるとは思わなかった、という嘆息ばかりである。
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