2026年2月6日金曜日

明日

  明日の夜、わたしは大阪駅に行く。山本太郎の選挙戦最後の演説を聞きに行く。

 れいわには頑張ってもらいたい。 

自由民主党と統一教会

  テレビや新聞は、自由民主党と統一教会の密接な関係を報じているだろうか。

 統一教会の内部文書である「TM特別報告書」が、その密接な関係を明らかにしているのに、新聞やテレビはほとんど報じないという。マスメディアへの不信感が拡大する、これでは当たり前のことだ。

 また政党も、自由民主党と統一教会との組織ぐるみの関係を追求することはしない。れいわ新選組だけが厳しく追及している。

 ネットでは、Tansaや「高世仁のジャーナルな日々」だけが、その関係を報じている。 

 Tansaは、こう書いている。

 統一教会の教祖であるムン・ソンミョン(文鮮明)が、世界の為政者たちを従わせたいと考えていたことは、40年以上前に明らかになっている。

1984年、文藝春秋7月号に「これが『統一教会』の秘部だ」と題する告発記事が載った。筆者は統一教会の機関紙である『世界日報』の元編集局長・副島嘉和と、元営業局長の井上博明。

前年に世界日報が、国際勝共連合理事長の梶栗玄太郎らに襲撃され、社員10人ほどが負傷した。副島らは、世界日報を統一教会の宣伝・布教のための新聞から脱する方針を示していた。告発記事では襲撃事件の経緯を暴露したのだが、統一教会の内部情報が生々しく語られた。副島は、統一教会の方針を決定する12人の幹部メンバーの一員でもあった。

統一教会での「敬礼式」という儀式についても言及されていた。ムンが世界の覇者を目指していたことをうかがわせるものだ。

「『文鮮明氏』を『メシア』『王の王』とみなす象徴的な、不愉快な儀式が統一教会にあることも書いておく。統一教会が四大名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式という儀式があり、そこでは聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州のイーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗煥大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれその国の教会幹部が担当し、文教祖一族に拝跪して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うのである」

「日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木氏なのである。なんとも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日本国民としては見逃せぬ情景ではないか」

この告発記事は、1984年6月10日に発売された。

その8日前の夜、東京・世田谷にある副島の自宅マンション入り口。白いズボンをはいた坊主頭の男が「この野郎」と叫び、刃物で副島の頭や腕、背中をメッタ刺しにした。副島のこめかみからは、ホースから水が噴き出すように血がふき出した。背中と腕の傷は深く、指がめり込んでしまうほどだった。一命は取り留めた。

犯人は不明のままだ。

2020年中央アジア総括局長の報告でも

ムン・ソンミョンは2012年、92歳で亡くなった。

だがムンの妻、ハン・ハクチャが教団の総裁に就いた後も、統一教会のトップが世界の覇者であるべきだという考えは変わっていない。

2020年11月26日、中央アジア総括局長のイ・チョンウによるTM特別報告。統一教会の行事の感想を述べる中で「真の父母様の前に為政者たちがひれ伏す状況をつくる」と語っている。「真のお母様」はハンのことで、「本部長」は世界中から上がってくる報告をハンに伝えていた教団ナンバー2、ユン・ヨンホ(尹英鎬)のことだ。

今回の行事で思想的な運動観念から、具体的な現実国家建設論としての段階が確固となり、広がっていることを感じます。真の父母様をお迎えすることが「元々そうだったこと、当然のこと」になり、真の父母様の前に為政者たちがひれ伏すことが、正当性を持って当然になる状況をつくらねばならないと、真のお母様をお迎えし本部長がつくり上げた本日の行事の中で、人々は見て感じたことでしょう。

将来、人類全体が真の父母様をお迎えし、敬拝する責任を実際にどのように実現するか、いつも悩んでおられる本部長を見て、気づき、学ぶ努力をいたします。

  徳野の文も紹介されている。 

  ともかく実権を握っていないと言えども、国民の象徴として天皇が存在し、天皇制というひとつの存在感をもって日本国民の心に精神的な影響を与えているのは事実です。

より自然な形で天皇制が撤廃される方向に行き、そしていつか日本国民が真の父母様によく仕えることのできる国家体制、そのような日本民族を真の父母様につなげられるような摂理的な人物として相応しい国会議員が多く誕生したり、2世をはじめとした信者が国会議員になったり、最後にはこの日本国の首相にならなければならないと切実に考えております。

 

 統一教会は、自由民主党の政治方針とは相容れないところが多いはずだが、かくも密接な関係を持っているなら、自由民主党の方針こそが日本国民をだましているのであって、本心は統一教会の教義ではないのか。

 高市某が、統一教会系の議員をとりたてて応援に行っていることをみると、高市某こそが統一教会の最大の支持者ではないかと思える。

 日本国民が、この選挙で自由民主党を押し上げることは、統一教会を支えることにもなる。裏金と言い、統一教会と言い、それらの問題を無視ないし軽視して、票を自民党に入れるということは、日本には倫理も何もない道義のない民族であることを示すということになる。

 それでよいのか、日本人!!! 

2026年2月5日木曜日

「中道」ということば

  立憲民主党と公明党がタッグを組んで、「中道」某という政治団体を結成した。今まで公明党のポスターが貼られていた創価学会信者の家の塀などに、「中道」なんとかのポスターが貼り出されている。

 しかし「中道」という言葉の意味は、確定的ではない。「中道」とは、ふわふわと世の動きに流されながら、定点を持たないということで、同時に「中道」という言葉にあるのは、現状肯定という観念があると思う。

 公明党は、長い間、日本を衰退させた自由民主党と共に政権を担っていた。ということは、現状の日本、先進国とは言えない日本の実態、貧困、アメリカの言うがままになっている「防衛」問題など、公明党にはそれらにかかわる政治責任と言うものがあるはずだ。しかし政権与党から離れたからということかもしれないが、そうした責任についてはまったく語ろうともしていない。

 考えてみれば、一定の歴史をもつ政党は、それぞれの歴史の中で、悪事に手を貸してきた。社会民主党も、である。年表を繰ってみれば分かるが、日本の軍事大国化、あるいは憲法改悪の動きは、小選挙区制以後に、自由民主党などが積極化させてきている。その小選挙区制に、当時の社会党(社会民主党)は賛成し、みずから弱小政党への途をつくりだした。今、まったくの少数と化した社会民主党は、断末魔を迎えている。

 「中道」ということばは、リベラルということばと響き合う。リベラルも、現状肯定で、現状の根底的批判は行わない。立憲民主党が「中道」何とかに合流したら、たちまちにして原発肯定、安保法肯定へと舵を切った。

 酒井隆史の論稿(『賢人と奴隷とバカ』)を前提にすれば、その原因は、日本社会の中で、「対抗的実践が衰弱し、知的言説が保守化するなか」(286)、現状の根底的批判の言説がほとんど聞かれなくなったことにある。「中道」とは、そうした流れに身を託すということであって、何となく現状を批判しながら、しかし現状の改革には進むことなく、ふわふわと浮沈をくり返しながら流れ去っていく政治勢力といえるのではないか。

 酒井の前掲書に、「世界のエリート層は、破局を富のさらなる蓄積の機会に転じつつ、一手に集中させた膨大な富の防衛のために地球上の人びととたたかう意欲をますます隠さなくなってきた。富裕層とその同盟者は、システムの正当化が困難になればなるほど、「切腹」や「安楽死」などを口にしながら、「たちどころ」の解決、つまり暴力による解決をもとめていくだろう。」 (445)とあるが、今後の世界は「暴力」が躊躇もなくふるわれる時代と化していくだろう。

 ネオリベラリズム(「新自由主義」)という、資本主義のもっとも先鋭化し、もっとも本質を顕現する資本主義が、その仮面をとるとき、そこでは「暴力」が自由にふるわれる。まさにトランプがその典型を見せている。

 「中道」は、そうしたネオリベラリズムの暴力に対抗できない。「中道」には、対抗する核というモノがない。流されていくだけだ。

 今後の社会は、対抗する核を持った、マイノリティが時代を切り開いていくのだと思う。多数が寄り集まっただけでは、ネオリベラリズムがつくりだす潮流に対抗することは出来ない。

 

嘘つきの顔 The face of a liar

  選挙になると、候補者の顔が新聞などに掲載される。またネットでも、とりわけカネのある政党の党首など、見たくない顔が何度も何度もでてくる。気分が悪くなる。ネットの政治報道でも、そうした顔が無数に掲載される。やめてもらいたい。

 最近、ことばが破壊されているように思われる。ことばはことばなのだが、それぞれのことばが単発的で、そのことばがどういう脈絡で話されたのか、そのことばがいかなる背景を持って話されたのかなど、そういうつながりが見えなくなっている。

 だから、それをいいことに、候補者は平気でウソをついたり、根拠不明なことを明言する。

 たとえば、統一教会系の団体のインタビューを受けてそれらが雑誌に掲載されているのに、「わたしは文鮮明や統一教会なんかは知らない」という。統一教会系の団体から献金を受けているのに、「知らない」などと、堂々と否定する。

 しかしそのことばがウソであっても、ウソはつきつづければよいとばかりに、居直る。

 政治の世界は、ことばで構成されるはずだが、残念ながらことばが空を舞い、ことばが意味を失っている。

 そういう空虚なことばを吐く者たちが跋扈しているのが、日本の政界である。そういう者たちが、みずからへの利益導入にいそしみ、みずからの支持組織、大企業や宗教団体などへの利権に励む。腐っている、としかいいようがない。

 もうじき投票日。どんな結果になるか、人びとをだますキツネのような顔のリーダーが、人びとをだますことができるか、それともそのウソを見抜くことができるか。

 ことばが、本来の意味内容と重さを取り戻す日本にしたい。

 During elections, candidates' faces appear in newspapers and such. Online too, especially the leaders of well-funded parties, faces you don't want to see pop up over and over. It makes me sick. Even in online political coverage, countless such faces are displayed. I wish they'd stop.

 Lately, it feels like language itself is being destroyed. The words are still words, but each one is isolated. The context in which they were spoken, the background behind them—those connections are disappearing.

So, taking advantage of this, candidates lie without hesitation or make bold statements with no basis.

 For example, they'll be interviewed by Unification Church-affiliated groups and have those interviews published in magazines, yet declare, “I don't know anything about Moon Sun-myung or the Unification Church.” They'll receive donations from Unification Church-affiliated groups, yet boldly deny it, saying things like “I don't know them.”

But even if those words are lies, they just keep lying, stubbornly refusing to budge.

 The world of politics should be built on words, but sadly, words float aimlessly through the air, stripped of meaning.

Japan's political world is overrun by those who spew such empty words. These people busily funnel benefits to themselves and work tirelessly to secure privileges for their support organizations—large corporations, religious groups, and the like. It can only be described as rotten.

 Election day is approaching. What will the outcome be? Can leaders with fox-like faces deceive the people, or will the people see through their lies?

I want Japan to be a place where words regain their original meaning and weight.

Translated with DeepL.com (free version)

 

2026年2月4日水曜日

ひどい選挙だ Japan's House of Representatives election.

  SNSが選挙を左右する、といわれて久しい。しかし、カネある者、政党は、多額のカネをつかって大量の情報をSNSに流している。そのことによって、ある種の「風潮」をつくりだそうとしている。

 わたしは、人びとは、「風潮」にたゆたいながら生きていると思っている。「風潮」に立ち向かう人は少なく、いつでもマイノリティである。
 

 そして選挙。しかし、政策を知って投票活動をする人はほとんどいない。その時代の、その時期の、その時の「風潮」に乗って動く。どこの国の人もそういう傾向があるが、とりわけ日本人はそれが強い。

 統一教会の「TM特別報告書」にも、「日本人の性格は真のお母様もご存知の通り、眼前の目標の内容自体も重要としながらも、周囲の雰囲気、つまり全体の流れに非常に影響を受けるため、主体性がないということが国民性の特徴の一つでもあります。」と書かれている。


 ひとたび「風潮」が吹き始めると、人びとはその方向へと動いていく。その先に戦争があろうと、独裁があろうと、人びとはその方向へと、一緒になって動いていく。危ない橋でも、みんなが一緒なら怖くはないのである。

 金ある者たちは、カネを儲けようと(戦争はカネ儲けの手段である)、そうした「風潮」をつくりだす。

 日本の衆議院選挙、日本を劣化させてきた自由民主党が、大きな勝利を得るだろうという報道がなされている。

 不幸なことだ。普通の人びとと、マスメディアが、カネある者たちの意向に沿って、そうした結果をつくりだそうとしている。

  It's long been said that social media influences elections. Yet those with money, the political parties, spend vast sums flooding social media with massive amounts of information. Through this, they seek to create a certain “prevailing sentiment.”

I believe people drift through life carried by this “prevailing sentiment.” Few stand against it; they are always in the minority.
 

 And then there are elections. Yet, almost no one votes based on understanding the policies. They move with the prevailing “mood” of that era, that period, that moment. People everywhere tend to do this, but it is particularly strong among the Japanese.

 The Unification Church's “TM Special Report” also states: “As True Mother well knows, the Japanese character is such that while the content of the immediate goal itself is important, they are also greatly influenced by the surrounding atmosphere—that is, the overall flow—and thus a lack of initiative is one characteristic of their national character.”


 Once the “prevailing trend” begins to blow, people move in that direction. Even if war or dictatorship lies ahead, people move together in that direction. Even a dangerous bridge isn't scary if everyone is crossing it together.

 Those with money create such “trends” to make more money (war is a means to make money).

Reports indicate the Liberal Democratic Party, which has degraded Japan, will likely achieve a major victory in Japan's House of Representatives election.

It is unfortunate. Ordinary people and the mass media are working to create this outcome, aligning with the intentions of those with money.

Translated with DeepL.com (free version)

 

 

2026年2月1日日曜日

選挙ポスター

  れいわ新選組の山本太郎が、重い病気になりかかっているということで、議員を辞職した。病気になって活動ができなくなっても議員を続けている者が多いなかで、まことに潔い行動である。ユーチューブなどをみていると、山本太郎は、日本を変えていく活動を全国でやっていた。それも何度も、である。疲れないのかと思っていたら、やっぱり体を痛めていた。再起を期しての辞職であるから、早く復帰してほしいと思う。

 れいわ新選組の主張は、わたしが日頃考えていることとほとんど同じである。わたしは、消費税が導入されたときから反対であったし、その後もずっと廃止すべきであると語ってきた。

 今回の突然の総選挙、首相の器量を持ち合わせていない高市某が最高権力者になり、今後何をするかわからない、というとき、れいわ新選組の力が大きくなることは必要だと考え、れいわを応援することにした。

 わが家は道路に面しているので、ポスターを貼ってあげようと連絡したところ、想像をこえる大きなポスターが送られてきた。

 当地方は、冬になると強い冷たい西風が吹きつける。ポスターが飛んでいったり破れてしまわないように、捨てようと思っていたベニヤ板を二枚くっつけ、それにポスターを貼り付けた。

 またそのポスターの色がドピンクなのだ。目立つ。

 当地方では、れいわのポスターを見かけることはないので、近所の人は驚くだろう。

 わが家のフェンスには、今まで社会党(社会民主党)、共産党のポスターを貼らせてあげたことがある。共産党のポスターは、早い段階で撤去してもらった。市民運動で独りよがりの行動をとったので、それ以降、共産党とのつきあいはやめた。社民党は、静岡県の社民党の運動の歴史を編纂するというので、運動史の執筆・編集に協力した。ところが、その本が出来上がったら、そのときの県代表、幹事長がさっさと立憲民主党へと移っていった。わたしは社民党に対して、不信感をいっぱい持った。

 この腐臭を放つ日本の政治を改善するには、ぶれない政党が必要である。れいわは、今までみていてぶれていない。きちんとした組織がないだけに、ひとりひとりの議員が、忖度もなく、自民党など権力者と、素手で、妥協することなくたたかっている。

 なお、わたしは以前から、立憲民主党は、自由民主党と同じだとみている。ほんとうは自民党から選挙に出たいが、空きがないので立憲民主党から出たという者が多いように思う。だから立憲民主党の議員はぶれる、ぶれる。ぶれるついでに、維新や自民党へと移っていった議員の多いこと。立憲民主党、維新、自民党、国民民主党、参政党など、顔は違うが、その体をたどっていくと、同じになる。ひとつの体から、異なった顔が伸びているだけだという気がしている。立憲民主党が公明党と一緒になって「中道」何とかという政党になったようだが、まったく関心がない。公明党も含めて、彼らの政治姿勢は、利権である。自分と自分の仲間の利益追求が、かれらの原動力である。そんな政党を支持することはできない。

 わたしは、ぶれないことが政治のレベルでもっとも大切だと思っている。れいわはぶれていない。 

部活動

  学校に於ける部活動の負担が、教員の加重労働を強いていること、それに対して現場の教員たちが叫び始めた。

 わたしも長年、部活動の実態を見て、狂っていると思ってきた。こんなにも長時間部活動が展開されるようになったのは、1970年代である。1960年代末、大学だけではなく、高校でもいろいろな政治的な動きがあった。中学でもあった。現在の世田谷区長保坂展人さんは、麹町中学校の生徒からの活動家であった。

 政府はそれに驚愕してそのような「騒乱」を「絶対に」おこさせないよう、警察がCR(コミュニケーションリレーションズ)活動を行った。 「警察から地域住民への広報活動で」「地域住民の過激派に対する警戒心を促し、捜査協力や情報提供を奨励するものであった。CRは言うなれば、公安活動の為に地域住民を強力な味方につけると同時に過激派に対する一種の地域相互監視装置の構築を目指した」とウィキペディアは書いている。

 その学校版が、CRとしての部活動の必修化である。教員と生徒とのコミュニケーションを密にすること、日常的に接することによって生徒の思考を把握し、またスポーツに多くの時間をつかうことによって考える暇を子どもたちに与えないようにしたのである。それにともない、教員統制、教科書統制なども強化されていった。

 それが強化され、高校では早朝からの朝練、授業終了後の部活動、部活動終了後の自主練習。そして部活動ではタテ関係が重視され、新入生は奴隷としてつかわれ、最上級生は王様扱いされる。奴隷としての新入生はいずれ王様になることを思い耐え忍ぶ。授業は、部活動の生徒にとって体を休めるための時間と化し、居眠りが日常となる。それなしに、体を維持できない。本なんか読むことはない、そんな時間はない。

 授業で学んだことは、もちろん予習・復習をする時間がないから、野球部ではボールを打ったり、捕球したり、走ったりする中で消えていく。部活動生徒には、おそろしく知識量が少ない者がいる。しかしそうした生徒でも、大学へは部活動を3年間続けたことを評価されて入学する。そして大学卒業後、企業にも部活動枠で就職していく。中には、部活動の指導者になりたいと、教員を目指す。学校も、部活動の指導が出来るからと優先的に採用する。教科指導の力より、部活動を学校も重視するのである。

 他県の状況は、この静岡県とは異なるだろう。愛知県では、部活動は私学が担い、県立高校の部活動はあったとしても、同好会的なゆったりとした活動内容だと聞いたことがある。だから試合があっても、勝ち残るのは私学ばかりだという。それでいいのだと思う。静岡県の公立高校では一校を除き、スポーツ推薦枠を設定して部活動生徒を優先的に入学させる。

 学校教育を通して、知よりスポーツ(部活動)という原則がつくられ、その原則で生きた者たちが社会に出て行く。

 若者たちは、学校で部活動に塗り込められた時間を過ごすが、他にもいろいろな体験、沈思黙考、知への挑戦などがあるだろうが、それらは無視ないし軽視される。