2026年2月11日水曜日

逃亡

  わたしは、日本の支配層というのは、自立的にものを考える能力に欠けていると思っている。それは今に始まったっことではなく、戦前から、だ。

 自立的にものを考えるということは、責任を負うことができる思考でなければならない。ところが、日本の支配層は、政治家も官僚も、責任を負うことからいかに逃げるかということを考えながら思考する。

 それは今の首相も同じで、ウソをつく、事実を指摘されたらシラを切る、追及されても答えない・・・・とにかく責任を負うということをしない。卑怯者である。そういう輩の思考というか、それに基づく決断というか、それらが人びとの心を捉えるかというと、無理だというしかない。

 もちろん、それについていく輩はいるだろうが、彼らも同じ穴の何とかである。

 絶対多数を確保しても、その多数を差配する能力が欠如している人物であるとき、途中で投げ出して、おそらく逃亡を図ることだろう。

 問題は、能力があるかどうか、である。 

2026年2月9日月曜日

批判の意味

  yahooコメントを読むと、「批判ばかりしている」、「批判するな」という言説によくであう。しかし、批判がなくなるということは、朝鮮民主主義人民共和国のような社会になるということだ。 

 そこでCHATGPTに尋ねてみた。「批判の意義とは?」という問いである。

 

批判の意義は一言で言えば、物事をよりよくするための思考の力です。ただ否定することとは、まったく別物です。

少し分けてお話ししますね。


1. 批判は「壊す」ためではなく「照らす」ためにある

本来の批判(critique)は、

  • 何が前提になっているのか

  • どこに矛盾や偏りがあるのか

  • 見落とされている視点はないか

明るみに出す行為です。

つまり

間違いを暴く
ではなく
構造を可視化する

ことが核心です。


2. 批判がなければ、価値は固定されてしまう

批判が存在しない社会や集団では、

  • 「昔からそうだから」

  • 「みんながそう思っているから」

  • 「権威が言っているから」

という理由だけで、価値観が凍結されます。

批判は
当たり前を一度、宙づりにする行為
です。
それによって初めて、変化や更新が可能になります。


3. 批判は対立ではなく、対話の入口

よく「批判=攻撃」と受け取られがちですが、本質的には逆です。

  • 批判するということは
    → 相手の考えを真剣に受け取っているということ

  • 無関心こそが、最大の拒絶

健全な批判は「あなたの考えを、もっと深く理解したい」という姿勢から生まれます。


4. 自分自身を自由にするための批判

批判は他者に向けるものだけではありません。

  • なぜ自分はそう感じたのか

  • どんな前提に縛られているのか

  • 本当にそれは自分の言葉なのか

こうした自己批判的思考は、他人に支配されないための知的な防御でもあります。


5. 批判が失われると起きること

批判が封じられると、

  • 権力はチェックされなくなる

  • 多様な声が消える

  • 創造性が衰える

歴史的にも、批判の抑圧は必ず思考の貧困を生みました。


まとめると

批判の意義とは、「よりよく考え、より自由に生きるための知的実践」です。

 まったく同感である。批判することを否定する者たちこそ、貧困な思考の持ち主なのである。批判する中身を問うのではなく、批判という行為のみをみて、表面的に攻撃するのである。攻撃者は、批判する中身についての知識は持たない、まさに 「無関心」であった者が、自分は批判できる知的レベルに達していないからこそ、つまり「無関心」であるが故に、己の無知をかくすために、批判ばかりしている、とか、批判するななどと攻撃するのである。 


2026年2月7日土曜日

騒ぎ  Commotion

  選挙中である。ウルトラ右翼の高市某が、理由は分からないが、大した人気だそうだ。

 2005年、小泉純一郎が郵政選挙を行い、自由民主党が圧勝したことがあった。あのときも、人びとは郵政民営化がいかなることであるかを理解しないまま、「風」に揺られて自由民主党に票を集中させた。

 さてその後、郵政民営化のあとどうなったか。土曜日、日曜日の配達はなくなった。特別料金を払えば配達されるが、そうでなければ、土日の配達はない。郵便振替の手数料も高くなったし、郵便料金も高くなった。

 また民営化されたことで、オーストラリアの宅配業を傘下にしようと買収したが、ばく大な損金を計上して撤退した。

 民営化されたことで、すべてがマイナスになった。

 しかしこのことは、すでに人びとの記憶にはない。自由民主党の議員が、日本人は忘れやすいといっていたが、まさにその通りである。過去の自由民主党の施策に対する検証もなされない。

 大手マスコミも、そうしたことはしない。大手マスコミも、自由民主党を盟主とする権力機構を支える機関と化している。自由民主党がいかに統一教会と密接であるかは、今回の選挙では重大な争点であるにもかかわらず、報じることはない。

 わたしはテレビはみなくなって久しいが、それがいかに正しい行為であるかを日々痛感させられる。NHKについては、良い番組があるからと言うが、良い番組とそうでない番組との比率はどうなのかと聞きたい。

 テレビを捨て去るとき、日本はよくなるだろう。

 そして次は、SNSである。無責任な情報、ウソ、虚偽、デマを流す悪質な野郎が、自由民主党などと結託して、人びとの意識を攪乱させるようなことをしているらしい。

 わたしのパソコンやiPhoneには、広告ブロックのソフトを入れてあるから、高市某のキツネ顔は見なくてすんでいるが、人によると、あの顔が何度も出てくるそうだ。選挙の公平は、まったく確立されていない。カネある政党が得する選挙制度。

 日本はまったく民主主義国家ではない。選挙が、国民主権の重要な機会だというのに、単なる騒ぎになっている。

 日本の、近未来には、アメリカの代わりに戦争をする歴史が待っているようだ。その戦争も、おそらく「騒ぎ」だとしか、人びとは認識しないだろう。

 It's election season. Some far-right politician named Takaichi is apparently quite popular, though I don't know why.

Back in 2005, Junichiro Koizumi held the postal privatization election, and the Liberal Democratic Party won a landslide victory. Even then, people didn't understand what postal privatization really meant; they just got swept up in the “wind” and concentrated their votes on the LDP.

So, what happened after postal privatization? Saturday and Sunday deliveries disappeared. You can get them delivered by paying extra fees, but otherwise, there are no weekend deliveries. Postal transfer fees went up, and postage rates increased too.

Furthermore, after privatization, they tried to acquire an Australian delivery company to bring it under their umbrella, but ended up posting massive losses and withdrew.

Privatization resulted in nothing but negatives.

 Yet this is already fading from people's memories. A Liberal Democratic Party lawmaker once remarked that Japanese people have short memories, and he was absolutely right. There is no scrutiny of past LDP policies either.

The major media outlets don't do this either. They too have become institutions supporting the power structure led by the LDP. Despite the LDP's close ties to the Unification Church being a major issue in this election, they report nothing about it.

I haven't watched TV in a long time, and every day I'm reminded how right that decision was. People say NHK has good programs, but I want to ask: what's the ratio of good programs to bad ones?

When Japan gets rid of TV, it will become a better place.

 Next up is social media. It seems malicious bastards spreading irresponsible information, lies, falsehoods, and rumors are colluding with the Liberal Democratic Party and others to confuse people's minds.

I have ad-blocking software on my PC and iPhone, so I don't have to see that fox-faced Takagi woman, but I hear that face pops up repeatedly for some people. Fair elections are completely non-existent. An electoral system that favors parties with money.

Japan is not a democratic nation at all. Elections, which should be crucial opportunities for popular sovereignty, have become mere spectacles.

In Japan's near future, it seems history awaits us to fight wars in place of America. And people will likely perceive even those wars as nothing more than “spectacles.”


Translated with DeepL.com (free version)

 

2026年2月6日金曜日

明日

  明日の夜、わたしは大阪駅に行く。山本太郎の選挙戦最後の演説を聞きに行く。

 れいわには頑張ってもらいたい。 

自由民主党と統一教会

  テレビや新聞は、自由民主党と統一教会の密接な関係を報じているだろうか。

 統一教会の内部文書である「TM特別報告書」が、その密接な関係を明らかにしているのに、新聞やテレビはほとんど報じないという。マスメディアへの不信感が拡大する、これでは当たり前のことだ。

 また政党も、自由民主党と統一教会との組織ぐるみの関係を追求することはしない。れいわ新選組だけが厳しく追及している。

 ネットでは、Tansaや「高世仁のジャーナルな日々」だけが、その関係を報じている。 

 Tansaは、こう書いている。

 統一教会の教祖であるムン・ソンミョン(文鮮明)が、世界の為政者たちを従わせたいと考えていたことは、40年以上前に明らかになっている。

1984年、文藝春秋7月号に「これが『統一教会』の秘部だ」と題する告発記事が載った。筆者は統一教会の機関紙である『世界日報』の元編集局長・副島嘉和と、元営業局長の井上博明。

前年に世界日報が、国際勝共連合理事長の梶栗玄太郎らに襲撃され、社員10人ほどが負傷した。副島らは、世界日報を統一教会の宣伝・布教のための新聞から脱する方針を示していた。告発記事では襲撃事件の経緯を暴露したのだが、統一教会の内部情報が生々しく語られた。副島は、統一教会の方針を決定する12人の幹部メンバーの一員でもあった。

統一教会での「敬礼式」という儀式についても言及されていた。ムンが世界の覇者を目指していたことをうかがわせるものだ。

「『文鮮明氏』を『メシア』『王の王』とみなす象徴的な、不愉快な儀式が統一教会にあることも書いておく。統一教会が四大名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式という儀式があり、そこでは聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州のイーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗煥大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれその国の教会幹部が担当し、文教祖一族に拝跪して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うのである」

「日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木氏なのである。なんとも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日本国民としては見逃せぬ情景ではないか」

この告発記事は、1984年6月10日に発売された。

その8日前の夜、東京・世田谷にある副島の自宅マンション入り口。白いズボンをはいた坊主頭の男が「この野郎」と叫び、刃物で副島の頭や腕、背中をメッタ刺しにした。副島のこめかみからは、ホースから水が噴き出すように血がふき出した。背中と腕の傷は深く、指がめり込んでしまうほどだった。一命は取り留めた。

犯人は不明のままだ。

2020年中央アジア総括局長の報告でも

ムン・ソンミョンは2012年、92歳で亡くなった。

だがムンの妻、ハン・ハクチャが教団の総裁に就いた後も、統一教会のトップが世界の覇者であるべきだという考えは変わっていない。

2020年11月26日、中央アジア総括局長のイ・チョンウによるTM特別報告。統一教会の行事の感想を述べる中で「真の父母様の前に為政者たちがひれ伏す状況をつくる」と語っている。「真のお母様」はハンのことで、「本部長」は世界中から上がってくる報告をハンに伝えていた教団ナンバー2、ユン・ヨンホ(尹英鎬)のことだ。

今回の行事で思想的な運動観念から、具体的な現実国家建設論としての段階が確固となり、広がっていることを感じます。真の父母様をお迎えすることが「元々そうだったこと、当然のこと」になり、真の父母様の前に為政者たちがひれ伏すことが、正当性を持って当然になる状況をつくらねばならないと、真のお母様をお迎えし本部長がつくり上げた本日の行事の中で、人々は見て感じたことでしょう。

将来、人類全体が真の父母様をお迎えし、敬拝する責任を実際にどのように実現するか、いつも悩んでおられる本部長を見て、気づき、学ぶ努力をいたします。

  徳野の文も紹介されている。 

  ともかく実権を握っていないと言えども、国民の象徴として天皇が存在し、天皇制というひとつの存在感をもって日本国民の心に精神的な影響を与えているのは事実です。

より自然な形で天皇制が撤廃される方向に行き、そしていつか日本国民が真の父母様によく仕えることのできる国家体制、そのような日本民族を真の父母様につなげられるような摂理的な人物として相応しい国会議員が多く誕生したり、2世をはじめとした信者が国会議員になったり、最後にはこの日本国の首相にならなければならないと切実に考えております。

 

 統一教会は、自由民主党の政治方針とは相容れないところが多いはずだが、かくも密接な関係を持っているなら、自由民主党の方針こそが日本国民をだましているのであって、本心は統一教会の教義ではないのか。

 高市某が、統一教会系の議員をとりたてて応援に行っていることをみると、高市某こそが統一教会の最大の支持者ではないかと思える。

 日本国民が、この選挙で自由民主党を押し上げることは、統一教会を支えることにもなる。裏金と言い、統一教会と言い、それらの問題を無視ないし軽視して、票を自民党に入れるということは、日本には倫理も何もない道義のない民族であることを示すということになる。

 それでよいのか、日本人!!! 

2026年2月5日木曜日

「中道」ということば

  立憲民主党と公明党がタッグを組んで、「中道」某という政治団体を結成した。今まで公明党のポスターが貼られていた創価学会信者の家の塀などに、「中道」なんとかのポスターが貼り出されている。

 しかし「中道」という言葉の意味は、確定的ではない。「中道」とは、ふわふわと世の動きに流されながら、定点を持たないということで、同時に「中道」という言葉にあるのは、現状肯定という観念があると思う。

 公明党は、長い間、日本を衰退させた自由民主党と共に政権を担っていた。ということは、現状の日本、先進国とは言えない日本の実態、貧困、アメリカの言うがままになっている「防衛」問題など、公明党にはそれらにかかわる政治責任と言うものがあるはずだ。しかし政権与党から離れたからということかもしれないが、そうした責任についてはまったく語ろうともしていない。

 考えてみれば、一定の歴史をもつ政党は、それぞれの歴史の中で、悪事に手を貸してきた。社会民主党も、である。年表を繰ってみれば分かるが、日本の軍事大国化、あるいは憲法改悪の動きは、小選挙区制以後に、自由民主党などが積極化させてきている。その小選挙区制に、当時の社会党(社会民主党)は賛成し、みずから弱小政党への途をつくりだした。今、まったくの少数と化した社会民主党は、断末魔を迎えている。

 「中道」ということばは、リベラルということばと響き合う。リベラルも、現状肯定で、現状の根底的批判は行わない。立憲民主党が「中道」何とかに合流したら、たちまちにして原発肯定、安保法肯定へと舵を切った。

 酒井隆史の論稿(『賢人と奴隷とバカ』)を前提にすれば、その原因は、日本社会の中で、「対抗的実践が衰弱し、知的言説が保守化するなか」(286)、現状の根底的批判の言説がほとんど聞かれなくなったことにある。「中道」とは、そうした流れに身を託すということであって、何となく現状を批判しながら、しかし現状の改革には進むことなく、ふわふわと浮沈をくり返しながら流れ去っていく政治勢力といえるのではないか。

 酒井の前掲書に、「世界のエリート層は、破局を富のさらなる蓄積の機会に転じつつ、一手に集中させた膨大な富の防衛のために地球上の人びととたたかう意欲をますます隠さなくなってきた。富裕層とその同盟者は、システムの正当化が困難になればなるほど、「切腹」や「安楽死」などを口にしながら、「たちどころ」の解決、つまり暴力による解決をもとめていくだろう。」 (445)とあるが、今後の世界は「暴力」が躊躇もなくふるわれる時代と化していくだろう。

 ネオリベラリズム(「新自由主義」)という、資本主義のもっとも先鋭化し、もっとも本質を顕現する資本主義が、その仮面をとるとき、そこでは「暴力」が自由にふるわれる。まさにトランプがその典型を見せている。

 「中道」は、そうしたネオリベラリズムの暴力に対抗できない。「中道」には、対抗する核というモノがない。流されていくだけだ。

 今後の社会は、対抗する核を持った、マイノリティが時代を切り開いていくのだと思う。多数が寄り集まっただけでは、ネオリベラリズムがつくりだす潮流に対抗することは出来ない。

 

嘘つきの顔 The face of a liar

  選挙になると、候補者の顔が新聞などに掲載される。またネットでも、とりわけカネのある政党の党首など、見たくない顔が何度も何度もでてくる。気分が悪くなる。ネットの政治報道でも、そうした顔が無数に掲載される。やめてもらいたい。

 最近、ことばが破壊されているように思われる。ことばはことばなのだが、それぞれのことばが単発的で、そのことばがどういう脈絡で話されたのか、そのことばがいかなる背景を持って話されたのかなど、そういうつながりが見えなくなっている。

 だから、それをいいことに、候補者は平気でウソをついたり、根拠不明なことを明言する。

 たとえば、統一教会系の団体のインタビューを受けてそれらが雑誌に掲載されているのに、「わたしは文鮮明や統一教会なんかは知らない」という。統一教会系の団体から献金を受けているのに、「知らない」などと、堂々と否定する。

 しかしそのことばがウソであっても、ウソはつきつづければよいとばかりに、居直る。

 政治の世界は、ことばで構成されるはずだが、残念ながらことばが空を舞い、ことばが意味を失っている。

 そういう空虚なことばを吐く者たちが跋扈しているのが、日本の政界である。そういう者たちが、みずからへの利益導入にいそしみ、みずからの支持組織、大企業や宗教団体などへの利権に励む。腐っている、としかいいようがない。

 もうじき投票日。どんな結果になるか、人びとをだますキツネのような顔のリーダーが、人びとをだますことができるか、それともそのウソを見抜くことができるか。

 ことばが、本来の意味内容と重さを取り戻す日本にしたい。

 During elections, candidates' faces appear in newspapers and such. Online too, especially the leaders of well-funded parties, faces you don't want to see pop up over and over. It makes me sick. Even in online political coverage, countless such faces are displayed. I wish they'd stop.

 Lately, it feels like language itself is being destroyed. The words are still words, but each one is isolated. The context in which they were spoken, the background behind them—those connections are disappearing.

So, taking advantage of this, candidates lie without hesitation or make bold statements with no basis.

 For example, they'll be interviewed by Unification Church-affiliated groups and have those interviews published in magazines, yet declare, “I don't know anything about Moon Sun-myung or the Unification Church.” They'll receive donations from Unification Church-affiliated groups, yet boldly deny it, saying things like “I don't know them.”

But even if those words are lies, they just keep lying, stubbornly refusing to budge.

 The world of politics should be built on words, but sadly, words float aimlessly through the air, stripped of meaning.

Japan's political world is overrun by those who spew such empty words. These people busily funnel benefits to themselves and work tirelessly to secure privileges for their support organizations—large corporations, religious groups, and the like. It can only be described as rotten.

 Election day is approaching. What will the outcome be? Can leaders with fox-like faces deceive the people, or will the people see through their lies?

I want Japan to be a place where words regain their original meaning and weight.

Translated with DeepL.com (free version)