2026年3月9日月曜日

人が死ぬことを何とも思わない人びと People who don't care about others dying

  1930年代から40年代初め、地球上で沢山の人びとが殺された。戦場で、収容所で、日常の場に空襲があって、そして病気や飢餓で。その時代は、あまりにも多くの人が亡くなったため、死者数は概数で示される。ほんとうの死者数を明らかにすることはできないからだ。

 その時代は、世界的に激しい戦争が起こされ、人びとは憎悪を煽られ、人を殺すことを何とも思わずに銃で、剣で殺し、そして砲弾で人間をバラバラにしてこの世から葬った。

 当然、それは人倫に反することだと、人びとは反省し、平和の大切さを知り、戦争が起こらないようなシステムをつくろうと努力してきた。

 しかし今、再び戦争の時代へと、世界は動きだしているようだ。

 昨日の『東京新聞』の「本音のコラム」で、前川喜平氏が、アメリカやイスラエル、そしてロシアを「世界の暴力団」だと指弾した。その通りである。暴力団が、第二次世界大戦後につくられた国際秩序を破壊している。

 その首謀者である、アメリカのトランプ、イスラエルのネタニヤフ、ロシアのプーチンなどは、人が死ぬことを何とも思わない人びとである。ネタニヤフはユダヤ教、トランプやプーチンはキリスト教であろう。世界歴史を振り返ると、キリスト教徒がもっとも多くの人を殺している。キリスト教の源流はユダヤ教であろうから、彼等の共通した信仰は、人が死ぬことを何とも思わないという反人道的な宗教ということになるだろう。

 もちろん、このような人物を国家のリーダーとした、それぞれの国の大衆も、おそらく同じように、人が死ぬことを何とも思わない人びとなのであろう。ひとりの人間が死ぬことだけでも、とても悲しくつらいことなのに、それを想像すら出来ない者たちが、彼等をリーダーとしたのである。

 そしてその仲間に、日本も入ろうとしている。3月7日の『東京新聞』の第一面に、自由民主党、日本維新の会が「殺傷武器の輸出を提言」という記事があった。日本製の殺傷兵器を売って、カネを儲けようと考えているのだ。彼等も、もちろん、人が死ぬことを何とも思わない人びとなのだ。そしてそういう人物を国会に送り込んだ、日本の大衆も、人が死ぬことを何とも思わない人びとへと成り下がったということである。

 日本に住む人間として、自由民主党、日本維新の会のこうした行動を悲しみ、また憤りを覚える。こうした動きは、いずれ日本人に対して殺傷武器が使われることにつながっていくことだろう。

 話は変わるが、わたしはほとんど毎日畑に立つ。近年、今までにない雑草が生えるようになった。気候変動を、わたしは肌で感じている。

 戦争は、殺傷兵器の使用は、地球の環境を破壊する。アメリカ、ロシア、イスラエル、そして日本、そこの国々の人たちは、地球を人間の住めないところへと変えようとしているように見える。人が死ぬことを何とも思わない人びとは、地球が「死ぬ」 ことを何とも思わない人びとでもある。

 From the 1930s to the early 1940s, countless people were killed on Earth. On battlefields, in concentration camps, in everyday places under air raids, and from disease and starvation. So many perished during that era that death tolls are given only as estimates. The true number of victims cannot be ascertained.

 It was an era of intense global warfare, where people were incited to hatred, killing others without hesitation with guns and swords, and obliterating human beings with shells, banishing them from this world.

Naturally, people reflected on this as contrary to humanity, came to understand the importance of peace, and endeavored to create systems to prevent war.

 Yet now, the world seems to be moving back toward an era of war.

In yesterday's the newspaperTokyo Shimbun “Honest Column,” former Education Minister Kihei Maekawa denounced the United States, Israel, and Russia as “the world's gangsters.” He is correct. These gangsters are destroying the international order established after World War II.

 Their ringleaders—Trump of the United States, Netanyahu of Israel, Putin of Russia—are people who feel nothing about human death. Netanyahu is Jewish; Trump and Putin are Christian. Looking back at world history, Christians have killed the most people. Since Christianity traces its roots to Judaism, their shared faith likely amounts to an anti-humanitarian religion that cares nothing for human life.

Of course, the masses in each country who elected such individuals as national leaders are probably similarly indifferent to human death. Even the death of a single person is profoundly sad and painful, yet those who cannot even imagine this chose them as leaders.

 And now Japan is about to join their ranks. On the front page of the March 7th newspaperTokyo Shimbun, there was an article stating that the Liberal Democratic Party and the Japan Restoration Party “proposed the export of lethal weapons.” They are thinking of selling Japanese-made lethal weapons to make money. They, too, are people who clearly feel nothing about human death. And the Japanese public who sent such individuals to the Diet have themselves become people who feel nothing about human death.

As someone living in Japan, I feel both sorrow and anger at these actions by the Liberal Democratic Party and the Japan Restoration Party Nippon Ishin no Kai. Such movements will inevitably lead to lethal weapons being used against the Japanese people themselves.

Changing the subject, I work in the fields almost every day. In recent years, weeds I've never seen before have started growing. I feel climate change in my bones.

 War, the use of lethal weapons, destroys the Earth's environment. America, Russia, Israel, and Japan—the people of those countries seem intent on turning the Earth into a place uninhabitable for humans. People who feel nothing about others dying are also people who feel nothing about the Earth “dying.”


Translated with DeepL.com (free version)

 

2026年3月8日日曜日

人間の平等

  金子文子の思想については、長い文章をすでにアップしている。昨日「金子文子 何が私をこうさせたか」をみ、映画のパンフレットを入手して、あらためて文子の思想の先見性を思った。

 文子は、

 私は予て人間の平等と云ふ事を深く考へて居ります。人間は人間として平等であらねば為りませぬ。其処には馬鹿も無ければ利口も無い、強者も無ければ弱者も無い。地上に於ける自然的存在たる人間としての価値から云へば総べての人間は完全に平等であり、従って総べての人間は人間であると云ふ一つの資格に依って人間としての生活の権利を完全に且つ平等に享受すべき筈のものであると信じて居ります」(第十二回訊問調書)

 と語っている。 この平等感は徹底している。この思想を、みずからの過酷な人生を生きる中で自分自身で会得したことに、わたしは感動する。わたしも同じ思想をもつが、その思想をみずからのものにした契機は、学生時代、映画「夜明けまえの子どもたち」をみたからだった。びわこ学園の重度心身しょうがい児のすがたのなかに、輝くばかりの「人間の尊厳」をみたからだ。ひとりひとりの人間は人間であるが故に尊厳を有し、その人間の尊厳を持つということで人間は平等なのだという思想を体得し、また障がい児教育の本を多数読むところからさらに確信を持ったことを思い出す。

 しかし、このような徹底した平等観を持つ者は多くはないように見える。すべての人間がこうした平等観をもてば、戦争なんかあり得ないし、新事由主義の席捲などあり得ない。

 なぜか。文子は、こうも語る。

 「「君等と妥協する」「改心して社会に順応して生きる」今と為って君等と妥協が出来るなら私はね、社会に居た時既に妥協して居た筈です。君等の御説教は聞かなくとも其の位の智慧はありました。此の位の事は覚悟の上です。何卒御遠慮なく御自由に。私もね実は一度出度いのです。で左様する為めには「改心しました」と頭を下げて一礼入れさへすれば甘く行く事は知って居ます。だがね。将来の自分を生かす為めに現在の自分を殺す事は私は断じて出来ないのです。御役人方君等の前に改めて勇敢に宣言しませう。「私はね、権力の前に膝折って生きるよりは寧ろ死して飽く迄自分の裡に終始します。夫れが御気に召さなかったなら何処なりと持って行って下さい。私は決して恐ろしくは無いのです。」之れが昔も今も変らぬ私の心持であります。」(「第三回被告人訊問調書」1924年1月22日)

 一切の妥協を拒否するのである。だから文子の転向などあり得ない。だが、この世には、妥協する人、転向する人が多すぎる。

 わたしの経験から、学生時代に格好良く偉そうにしゃべっていた者たちは、ほとんど「君等」の側に今はいる、そして組合活動をしていた者がいつのまにか組合をやめて管理職になっている。あるいは、わたしたちとつきあうときはわたしたちと話を合わせ、そうでないときは真逆の話をする。そういう姿をたくさん見てきた。 

  人間は弱い。人参をぶら下げられたら、頭を下げる輩が多い。そういう弱さに、「彼等」はつけこんでくるのだ。つけこまれた者たちは、平等観を棄てる。人間の尊厳を、みずからのうちにも、他者の中にも認めるところから、平等観は培われる。

 そして、わたしは文子の平等観と共に、小田実の「にんげん皆チョボチョボや」という思想も持っている。

 

2026年3月7日土曜日

「手足まで不自由なりとも 死ぬという只意志あらば死は自由なり」

  映画「金子文子 何が私をこうさせたか」を観た。

 導入部分は、文子が朝鮮で祖母や叔母から激しい虐待を受けていたとき、文子は川で入水自殺を図るが、 「私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらなければならぬ。そうだ、死んではならない。」(『獄中手記 何が私をこうさせたか』岩波文庫版、172頁)と自殺を思いとどまったところであった。死ぬことよりも、生きていこうと決意したところである。

 そして映画は、文子が縊死したところで終わった。生きることよりも、文子は死を選んだ。刑務所で、文子は厳しく管理され、転向を強いられ、読書を制限され、文子が大切にしている自由が奪われていた。自分自身の生を生きることができなくさせられた文子は、今度は、生きることよりも死ぬことを選んだ。これは自死ではあるが、しかし客観的には、国家権力が強いた死であり、その意味では、天皇制国家に殺されたといえるとわたしは思う。

 導入が、死から生へ、そして最後が、生から死である。その間の文子の生が、主に大逆罪で逮捕されてからの「時間」のなかで描かれていく。その生の軌跡を導くのが、文子の短歌である。文子はいろいろ書いていたはずだが、それはおそらく刑務所側によって廃棄されたのか、刑務所に入ってからのものはない。ただ残されているのが短歌である。

 浜野監督や脚本を担当した山崎さんは、短歌をもとにして文子の「晩年」を描いた。23歳で亡くなっているから、「晩年」という表現はどうかとも思うが仕方がない。

 以前、「金子文子と朴烈」という映画をみたが、わたしがもつ文子のイメージとはまったく合致せず、みるのがイヤになったことがある。文子の主体的で、自立した生き方がなく、あたかも朴烈の添え物のような感じで、とても観られたものではなかった。女優さんには、文子のカケラもなかった。 

 しかし、今度文子役を演じた菜葉菜さんは、まさに文子そのものだと思った。文子は依存的な生き方ではなく、自分自身で生きる道をつくっていくような主体性をもった人物である。また自らが厳しい人生を生きる中で培った思想は強靭である。そうした強靭さを、菜葉菜さんは演じていた。

 最初から最後まで、わたしは緊張しながらみた。スクリーンから、文子が迫力を持って迫ってくるような感じだった。

 浜野監督と、昨年9月にお目にかかって、金子文子を調べ、ここにもそれを掲載したことがある。

 現代に生きる人間にとって、金子文子のような生き方から学ぶことは多い。ぜひ多くの方に観てもらいたいと思う。 

教員不足

  教員の不足が深刻化している。

 教員のなり手が減っているということも一つの原因だろう。教育現場は、ブラックな職場となっているからだ。

 実を言うと、わたしも定年前に退職した。わたしが教員となった頃、若手は忙しかったが、それなりに高齢化していた先生はゆとりをもって仕事をしていた。

 しかし、文科省が、教員統制を強化してくるなかで、教育とは無関係の仕事が増えていった。PDCAというアメリカ生まれの、企業のセルフマネジメントメソッドが学校にも導入され、それに関する仕事が増え、それ以外にもまったく役に立たない研修とかが増え、教育活動に関わらない分野の仕事が、文科省・教育委員会から次々と持ち込まれてきた。

 増えた仕事はなくならず、今まで通常行っていた仕事も継続であるから、仕事は増えるばかりであった。学校というのは、授業だけをしているのではなく、さまざまな校務を教員が分担しているから、それに関する仕事は決して減らない。何か事件があれば、会議は増え、家庭訪問などもしなければならず、また問題を起こした子どもがいれば「もらい下げ」にも行かなければならない。また行事があれば、それに関する準備その他もなかなかの仕事量であった。

 わたしが若い頃は、部活動指導や生徒会指導などで、帰宅は夜八時、土日もなく、長期の休みでも、8月中旬、年末年始しか休みは取れなかった。

 振り返ってみれば、長時間労働で、余分に働いてもその報酬はないという、まったくブラックな職場ではあった。当時は、それが当たり前という世界であった。

 しかし、こうした過酷な労働現場に対して、それを問題とする声が出されるのは必然であった。

 とりわけ、教員にとってもっとも問題なのは部活動指導であった。体育系の部活動の顧問になれば、土日も長期休暇もなく、また夜八時頃まで部活動指導に従事する。となると、教材研究や分担された校務は、家庭に帰ってからやらざるを得ない。

 こんな職場であるから、敬遠されるにきまっているではないか。

 しかし中には、それでも教員になりたいという人がいる。その原動力は、部活動である。部活動の顧問になりたいがために教員を志望する。その数は、多い。そういう教員を見ていると、教材研究をせず、授業を軽視し、ひたすら部活動に専念する。また教科に関する知識もあまりない。それはそうだろう、彼らは学生時代から一貫してスポーツに専念し、スポーツ推薦その他で大学を卒業してきたからだ。神戸大学法学部を出たという人、「公序良俗」ということばも知らなかった。学生時代も、ひたすらボールを追い続けていたのだ。 

 現場の教員が危機感をもって、働き方についていろいろ提案しているが、文科省は聞くみ身をもたない。だから、教員不足が毎年ひどくなるのだ。

 なぜ文科省、政府は、この危機的状況を何とかしようとしないのか。

 それは、新自由主義下においては、政府にとって学校教育などの公共的なものは切りすてる対象であって、できうるかぎりそうした公共的なものに財政を振り向けることをしなからだ。

 政府や地方自治体の財政を見れば、企業に対する補助金や優遇措置などが最優先なのだ。公共的な業務はできるだけ減らして、あるいは民間企業に委託して、「小さな政府」にしていく、スリムにしていくことが進んでいる。

 私立学校の授業料無料化などは、公立学校を潰して教育を私学に任せ、なくなった公立学校用地を私企業に売り渡し、私企業がもうけの手段とする。そして自治体は公共的な業務を減らしていくのである。

 1990年代から、新自由主義という狂暴な資本主義が席捲するなか、公共は捨て去られていくのである。学校教育は、公共的なもっとも大切な業務ではあるが、現在は、それすら廃棄しようとしているのである。教員不足は、そうした政策の結果である。 

2026年3月6日金曜日

小選挙区制のこと

  「政治改革」、「政治改革」と政治学者を先頭に、またマスコミも、またそれに煽られた政党関係者(当時の社会党)は政権交代のために小選挙区制にしなければだめだ、金権政治をなくすためには小選挙区制にしなければならない、というように、小選挙区制にすれば色々な問題が解決するかのように言われていた時期があった。しかし、今回の選挙に見られるように、小選挙区制というものがいかに民意を踏みにじる選挙制度であるかということが白日のもとに晒された。

 雑誌『地平』のインタビューで、政治学者の中野晃一さんは、あの当時小選挙区制導入に反対した政治学者のひとりであるが、次のように語っている。

「長期的に見れば、かつて「政治改革」といって旗を振った人たちがリベラル側の政治学者などにもいたわけですが、そこで追求されていたことは何も実現していません。残酷なほどに、何一つ実現できていないわけです。二大政党制にしても、アカウンタビリティが果たされる政治にしても、いわゆるマニフェスト選挙みたいなものにしても、まして本来のスタート地点だったはずの金権政治の打破という問題にしても。場合によっては、55年体制の時よりも悪くなっているのが実態で、悪い形で完成を見たのが今回の選挙です。

 自民党は小選挙区では約25%の絶対得票率で85%ぐらいの議席をとっています。これは全く合理的な説明ができないものです。絶対得票率ではなく相対得票率をとっても、半分もいかない得票で8割強の議席なので、「上げ底」にもほどがある。」

 「リベラル側の政治学者」、あるいは小選挙区制導入によって少数政党となった社会党から、反省や自己批判を聞いたことがない。とりわけ山口二郎という政治学者、あの時旗を振って注目を浴びていたひとりだ。 

 時に、平和を求め、民主的な発言をしている政党や人間が、「現実主義」的に、自由民主党と同じことを言うようになることがある。

 今回の選挙でも、公明党と合体した立憲民主党、選挙の直前に、自民党の政策を追認することを言っていた。

 立憲民主党が公明党と合体したことで、立憲民主党も自由民主党と同じ道を歩くことを公然化した。自由民主党、国民民主党、立憲民主党、日本維新の会、参政党などはほとんど同じである。今や、平和と民主主義を主張する政党は、れいわ新選組と日本共産党、そして社会民主党くらいか。

 「現実主義」という現状肯定路線を、多くの人びとが支持しているようにみえる。

 この状態が、維新以降の近代日本がつくりあげた日本の国ということである。

 しかし今、現在「金子文子 何が私をこうさせたか」という映画が上映されているが、まさに私たちには、金子文子や大杉栄、伊藤野枝らの生き方が示されているといってよいのではないか。

 

  

2026年3月4日水曜日

本多隆成先生、ご逝去

  日本中世/近世史の研究者、静岡大学名誉教授・本多先生が亡くなられた。今年も年賀状をいただいた。ずっと研究も続けられ、元気でご活躍されていると思っていたのだが。

 先生とは、ふたつの自治体史でご一緒させていただいた。泊まり込みの調査の際には、楽しい酒をのまれ、カラオケでは「高校三年生」を熱唱されていた。

 先生の研究は、史料に忠実で、史料に基づかない憶説などあり得ないというほどの厳格さをもっていた。武田信玄と家康とのあいだで戦われた三方原合戦、武田軍は青崩峠から南下してきたという従来の説に対して、寺院の史料などを丹念に渉猟され、山梨県から静岡県中部に入り遠州方面に進軍してきたことを実証された。さすがだと思った。

 わたしは近現代史ではあったが、先生の史料に対する姿勢を、いつも傍から学ばせていただいた。

 直接に教えを受けたわけではないが、学恩のある方である。

 心からご冥福をお祈りいたします。

 ※いろいろ教えていただいた、戦後歴史学をになってこられた歴史学者がまたひとり亡くなられ、さびしい限りである。 

2026年3月3日火曜日

軍事化したニューリベラリズム  Military neoliberalism

  アメリカとイスラエルによるイラン攻撃、もちろんこれは国際法を無視した蛮行である。先にアメリカがベネズエラに対して侵攻した事件も、国際法を無視した蛮行である。まさに無法状況が起きている。

 それはロシアによるウクライナ攻撃も、国際法無視の暴挙である。ロシアによるウクライナ攻撃は、アメリカを中心とする国々(NATO)が、ウクライナを勢力下に置きたいがためにウクライナを反ロシアの国家とするための策動が原因であるとは言え、国際法的には許されない行為である。

 このように、ロシア、アメリカという大国が、大がかりな軍事行動を開始している。

 このアメリカとイスラエルによるイラン攻撃を、今日の新聞で、イギリス、フランス、ドイツがアメリカに協力すると共同声明を出したという。イランによる周辺諸地域への攻撃を非難するなかでの声明であるが、しかしまず批判されなければならないのは、アメリカとイスラエルのイラン攻撃であろう。これが発端で、イランは周辺への攻撃を始めたからだ。

 現在の国際情勢、大国は、国際法を無視し、正当性もない軍事行動を始め、一般庶民を苦しい状況のなかに追い込んでいる。米軍は、イランの女子小学校に爆撃を行い、多数の死者を出したという。

 わたしは、この背後に、飽くなき利益追求を是とするニューリベラリズムの動きがあると考えている。ニューリベラリズムの動きは、1980年代から蠢き始めた。アメリカのレーガン大統領は、アメリカの飽くなき利益を追求する富裕層の大きな期待をあつめて当選した。富裕層は、レーガンを大統領にするために多額の支援を行った。そして当選させた。レーガンはもちろん共和党である。共和党は大企業や富裕層への減税で支持を集める政党である。そうした政策を正当化する言説がニューリベラリズムである。イギリスのサッチャー政権も、そうした政策を行った。以後、世界の富裕層は、ニューリベラリズムの「改革」を求めた。

 その「改革」の最大の目的は、富裕層がより豊かになること、政府や自治体から公共性を奪い、それをカネ儲けの手段とすること(「民営化」)、あるいは公共の場である公園や公共施設なども、カネ儲けの手段へと変えることであった。

 このニューリベラリズムは、ほぼ行きわたった。しかし富裕層の欲望は際限がなく、今度は国家的庇護のもとにある軍需産業に触手を伸ばし、戦争を行わせることでカネ儲けをさらに求めようとし始めた。アメリカはもともと「軍産複合体」が政治に大きな影響をもち、軍需産業はアメリカ政府に戦争をやるように働きかけて戦争をさせ、多大な利益をあげてきた。その姿を、イスラエルもみならい、今や日本も軍需産業を盛んにしてカネ儲けをしようとしている。

 まさに現在は、大国やイスラエル、日本、そして英仏独なども、そうした動きを強めている。

 昨日記したように、しかし大国同士は戦争をしない。大国は弱小国になんらかの理由をつけて戦争を始め、軍需産業をより盛んにしようとしている。そして大国は、ほかの大国と何らかの対立が起きたときには、大国の目下の国家を戦わせようとしている。まさにウクライナは、その明確な事例である。ウクライナにロシアと戦わせ、そこで使用される武器弾薬はアメリカなどが売る。

 ドル基軸体制を維持しなければいけないアメリカは、中国の経済圏が拡大することを阻止しようとしている。その中国を軍事的に牽制するべく、日本の軍拡をすすめ、そして中国に近いところに軍事基地をつくらせている。もし戦闘が起きれば、そこで使用されるのは米国の武器である。ウクライナと同じ構図である。

 ニューリベラリズムは、最後の「発展形態」として、軍事的ニューリベラリズムへと「発展」した。

 世界のふつうの人びとは、そうした動きに対して、どう対抗すべきか、真剣に考えなければいけない時代へと突入している。そうでなければ、待っているのは悲惨な死であり、また虐げられた貧しい生活だけだ。 

 The attack on Iran by the United States and Israel is, of course, a barbaric act that disregards international law. The earlier incident where the United States invaded Venezuela was also a barbaric act that disregarded international law. A state of lawlessness is indeed unfolding.

 Russia's attack on Ukraine is likewise an outrageous act disregarding international law. While it could be argued that Russia's attack on Ukraine stems from the scheming of countries led by the United States (NATO) to turn Ukraine into an anti-Russian state in order to bring it under their sphere of influence, it remains an act impermissible under international law.

In this way, major powers like Russia and the United States have launched large-scale military operations.

 Today's newspapers report that Britain, France, and Germany issued a joint statement declaring their cooperation with the United States regarding this US and Israeli attack on Iran. While the statement condemns Iran's attacks on neighboring regions, the primary criticism must be directed at the US and Israeli attack on Iran. This was the trigger that led Iran to begin its attacks on neighboring areas.

 In the current international situation, major powers are ignoring international law and launching military actions lacking legitimacy, plunging ordinary citizens into dire circumstances. U.S. forces reportedly bombed an Iranian girls' elementary school, causing numerous casualties.

 I believe behind this lies the movement of neoliberalism, which justifies the relentless pursuit of profit. This neoliberal movement began stirring in the 1980s. U.S. President Reagan was elected by garnering the high hopes of America's wealthy elite, who sought the relentless pursuit of profit. The wealthy elite provided substantial financial backing to make Reagan president. And they succeeded. Reagan, of course, was a Republican. The Republican Party is a party that gains support through tax cuts for large corporations and the wealthy. The discourse justifying such policies is neoliberalism. The Thatcher government in Britain also implemented such policies. Since then, the world's wealthy have demanded neoliberal “reforms.”

 The primary goal of these “reforms” was to enrich the wealthy further, strip public services from governments and municipalities to turn them into profit-making ventures (“privatization”), or transform public spaces like parks and facilities into money-making opportunities.

 This neoliberalism spread almost universally. However, the desires of the wealthy are limitless. They then began reaching out to the military-industrial complex, protected by the state, seeking even greater profits by instigating wars. America has long been shaped by the “military-industrial complex,” where the defense industry wields significant political influence, lobbying the US government to wage wars and reaping enormous profits. Israel has followed this model, and now Japan too is actively promoting its defense industry to make money.

Indeed, major powers like Israel, Japan, and even Britain, France, and Germany are intensifying these movements.

 As noted yesterday, however, major powers do not wage war against each other. They find some pretext to start wars against smaller nations, aiming to further boost their military-industrial complexes. When conflicts arise between major powers themselves, they seek to pit other major powers' vassal states against each other in battle. Ukraine is a clear example of this. They are making Ukraine fight Russia, and the weapons and ammunition used there are sold by the US and others.

 The United States, needing to maintain the dollar-based system, seeks to block the expansion of China's economic sphere. To militarily contain China, it is pushing Japan's military expansion and establishing military bases near China. Should combat occur, the weapons used there would be American. It's the same pattern as Ukraine.

Neoliberalism has “evolved” into military neoliberalism as its final “form of development.”

 Ordinary people around the world have entered an era where they must seriously consider how to counter such movements. Otherwise, what awaits them is nothing but a miserable death and a life of oppression and poverty.