2026年9月20日日曜日

「真面目に働いてください」?

  『週刊金曜日』1585号の巻頭、「風速計」で田中優子さんが首相に対して「もっと真面目に働いてください」と訴えていた。しかしわたしは、高市首相は、働いていないのではなく、理解力がないのだと思っている。彼女にとって難しいことは理解できないのである。

 今号の特集は、「質問するとSNSで叩かれる こんな社会に誰がした?」である。国会議員が国会で高市政権を批判したりすると、たちまちSNSで激しい非難が巻き起こるというのである。ろくでもない国家に、日本はなった、ということである。

 この背後には、おそらく自由民主党という政党があると思われる。以前、「Dappi」という企業が組織的にデマを流していて、その企業が自由民主党と密接につながってたことが明らかになっている。その事例をみれば、背後に自由民主党があることは容易に想像できる。

 組織的に、政府批判をする人びとに対して集中されるデマは、暴力そのものである。その暴力に支えられている政権が高市政権なのである。

 その高市政権、米軍が沖縄の米軍基地「嘉手納・普天間はPFAS汚染源」であると認めたにもかかわらず、日本政府はそれを隠し続けていた。人びとの健康や生活より、米軍の利益を優先し、問題にならないように隠し続ける。

 国民より米軍基地、これが自由民主党政権の特質である。 

2026年9月19日土曜日

「世のため、人のため」 “For the sake of society and others.”

  「世のため 人のため」。実はこれはわたしが理想とする生き方です。出来うる限り、そのように生きようとしていますが、一日として、これこそが「世のため 人のため」だと満足できた日はありません。でも、今でもそれが努力目標であり続けています。

 共同通信社のHP、「47レポーターズ」を読んでいたら、「ドローンショーや路上紙芝居で伝えるのは81年前の戦争の記憶  手を替え品を替え、多様な企画で「関心のない人に届けたい」」という記事を見つけました。読んでいて、この吉村大作さんは、とても立派な方だと思いました。

 吉村さんは、まさに「世のため 人のため」に生きています。感動しました。

 そして、これが吉村さんが制作した紙芝居「ケイちゃんの消えない雲」です。何カ国語でも読めるようになっています。

 いま、世界各地で、戦争があり、多くの人びとが苦しんでいます。戦争なんかすべきではない、平和がいちばん、です。

 この紙芝居がひろがって、世界が平和に向けて動いていったら最高です。 

 “For the sake of society and others.” Actually, this is the ideal way of life I aspire to. I try to live that way as much as possible, but not a single day has gone by when I’ve been fully satisfied that I’ve truly lived “for the sake of society and others.” Still, it remains my goal to strive toward even now.

 While reading the “47 Reporters” section on the Kyodo News website, I came across an article titled, “Conveying Memories of a War from 81 Years Ago Through Drone Shows and Street Kamishibai: Using Diverse Approaches to ‘Reach Those Who Aren’t Interested.’” As I read it, I thought Mr. Daisaku Yoshimura was a truly admirable person.

Mr. Yoshimura is truly living “for the sake of society and others.” I was deeply moved.

 And this is the picture-story show Mr. Yoshimura created, titled “Kei-chan’s Unfading Cloud.” It’s designed to be read in multiple languages.

Right now, wars are raging all over the world, and many people are suffering. War should never happen—peace is what matters most.

It would be wonderful if this picture-story show spread far and wide and helped move the world toward peace.

本を読む

  最近2冊の本を読みました。一冊目は、本多隆成『定本徳川家康』(吉川弘文館)です。本多さんとは共に自治体史をやったことから、本多さんの手法は良く理解しているつもりです。本多さんはきちんと研究史を踏まえ、一次史料に基づいて研究するという歴史家でした。「でした」と書くのは、惜しくも今年亡くなられたからです。

 本多さんは、後世に書かれた文献ではなく、一次史料を基本にして書かれるので、面白さはありません。歴史家と称され、名前ばかりが知れ渡っている人たちのように、江戸時代になって懐古風に書かれた様々な文献をつかって面白おかしくかくようなことはしませんでした。

 この本を読みながら、さすが本多さんだと思いました。近年の研究書も丹念に消化され、それらを踏まえて、実証的に家康の姿を描いています。これこそ、歴史家の書いた家康だと思いました。

 わたしも、何度かご一緒するなかで、厳しいほどの一次史料を駆使して研究し、叙述する方法を学び、そのような研究、叙述を心がけてきました。その点では、心から本多さんに感謝しています。

 もう一冊は、長谷川まゆ帆『歴史学の手引』(東京大学出版会)です。わたしがここ数回「ですます」調で書くようになったのは、この本を読んだからです。

 この本は、フランス史を中心としたヨーロッパ史の研究動向に対して、長谷川さんがどのように考え、影響を受けたかについて書いた本です。紹介されている膨大な本のなかの何冊かは私も読んでいますが、あまりに多くの本が紹介されているので、歴史研究はたいへんだと今更ながら感じ入っています。

 わたしも日本近現代史について研究、執筆してきましたが、そのために膨大な本を読んできました。今でも、家人に咎められるほどの本があります。

 何かをテーマにして歴史を描くためには、史資料がまずなければなりません。しかしその史資料を歴史の展開の中に位置づけるためには、そのテーマに関する著書や論文を読みこなさなければなりません。 わたしの場合は、一定のテーマを決め、それを研究していくということもありますが、いくつかの自治体史を担ってきたことから、当該自治体で発見された資史料をもとに歴史を描いていくということが多くありました。どんな資史料がでてくるかはわかりません、しかし史資料として残されてきたわけですから、それらを大切にして歴史を描かなければなりません。

 あるところでは、南京事件に関与した兵士の手紙を発見しました。南京事件はなかったという虚偽の言説が流されていたことから、その手紙の真実性を確定すると同時に、南京事件とは如何なる事件であったかを考えるため、あるいは事件の全体像を掴むために、膨大な本を買い集めました。

 それ以外にも、たとえば、大正期の製糸工場の資料がでてきました。またそこには女工の雇用関係の資料もありました。そうなると、製糸業に関わる本、女工の雇用に関わる本も読まなければなりません。

 こうして、我が家には本がどんどんたまっていきました。もう二度、古本屋さんにきてもらい持っていってもらいましたが、今なお大量に本があります。

 『歴史学の手引』を読んでいて、長谷川さんも大量の本があることが想像できます。歴史研究者は、誰でも膨大な本を所有しています。本書にはもちろん、ヨーロッパ史に関わる文献が紹介されているのですが、日本史でもそうですが、新たな視点からの研究がつぎつぎと発表されてきます。それらは、日本史の分野に於いても役立つ内容が含まれています。だからわたしも、数少ないですが読んできました。

 歴史研究というのは、従来からの方法で研究叙述していれば済むという面もありますが、やはり新たな視点で過去を振り返ると、今まで見えてこなかったもの・ことが見えてくることもあります。

 この本は、次々に現れてきた「新たな視点」、人口史、社会史・・・・が説明されています。歴史研究に携わってきた人々には、きっと面白く読めるだろうと思います。

 最近、わたしは『現代思想』2023年12月号の特集「感情史」を読んで、今まであまり注目されてこなかった「感情」に注目すべきであると指摘した小文を書きましたが、「新たな視点」はあんがい何度も出現するのです。

 本書は、「新たな視点」に関して、どのような研究がなされてきたのかを知ることができます。もちろん、ヨーロッパ史が主ですが。

 アウトプットをする人は、いろいろな文献を読んでインプットしないと興味を引く内容の研究はできないと思います。その意味でも、本書は読む価値があります。

 

2026年9月16日水曜日

9月16日

  毎年この日、わたしは静岡市の沓谷霊園に足を運びます。1923年9月16日、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の3人が陸軍憲兵隊員によって虐殺されました。この3人の遺骨が、静岡市の沓谷霊園に分骨・埋葬されているのです。

 断続的に(最後は2013年から2023年まで)、沓谷霊園では墓前祭が執り行われてきました。2024年からは、有志による墓参りが継続しています。

 大杉らの墓、墓前祭などについては、墓前祭実行委員会が発行していた「沓谷だより」が詳しく記しています。「沓谷だより」ほかについては、静岡県立中央図書館に寄贈されています。 

資本主義が地球を滅ぼす

  AIが暴走したというニュースが少し前に流されていました。AIが勝手に動いて「悪事」を働いたそうです。Matrixで描かれた世界が、実際に出現し、アメリカのAI技術者が、AIが地球を滅ぼす可能性が10%あると指摘しています。

 わたしはほとんどAIを使いませんが(一度、絵を描いて「この絵はどうですか」とAIに尋ねたところ、批判的な指摘は全くなく、全面的に褒めるばかりであったので、AIに失望しました)、周辺では使用している人が増えているように思います。

 AIもカネ儲けできるから、AIの開発はとまらないでしょう。世界の殆どは資本主義、世界中カネ儲けのために動いています。そうした世界では、カネ儲けは「正義」ですから、カネ儲けができることには制御装置がありません。

 昨日書いた気候変動の問題についても、国際社会になんとかしようという気運が芽生えたことがありましたが、しかしアメリカやロシア、中国など、そうした大国がこの問題をまったく無視しています。カネ儲けの論理は、「今だけ、カネだけ、自分だけ」ということに表れますから、その「自分だけ」は「自社」、「自国」・・・というように、「自分」が属する集団のカネ儲けも包含しています。

 しかし、資本主義社会では、カネ儲けは「正義」ですから、カネ儲けにつながることは正当化され、カネになるならなんでもやってよいという倫理なき倫理がまかりとおっています。

 こうなると、資本主義は地球を滅亡に導いていく可能性が高いというわけですから、もう資本主義は人類にとって捨てなければならないシステムになっています。資本主義にかわるシステムを設計しなければならない時が来ているのです。

 

2026年9月15日火曜日

地球が狂った?

  ずっと雨が降り続いています。今日の夕方、雨が止んだので畑に行きました。雑草が繁茂しているので、雨の合間をみて刈り取らなければなりません。草刈り機でひたすら刈りました。雑草は太陽の光がなくても、雨さえ降ればどんどん成長していきます。

 8月、この地方は猛暑が続き、雨が全く降りませんでした。猛暑は、今年で3年目です。4年前までは、8月でも16時頃からは農作業が出来ましたが、3年前からは16時では暑すぎて、せいぜい20分間くらいしか作業はできなくなりました。今年は、18時前に行き、さっと作業をして帰るというようにしていました。だから草取りができなくなり、雑草は伸び放題です。

 子どもの頃、気温が30度を越すのはまれでした。しかし今は、35度以上が当たり前、30度なら涼しく感じられることもあります。

 どうしてこんなおかしな気候になったのでしょうか。今日、隣の農家の方が、「地球は狂った」と言っていました。

 今年も気候に関するニュースが、世界各地から飛び込んできています。ヨーロッパでは40度を超えたという話、ネパールでは氷河が溶け、土石流で多くの人が亡くなりました。

 やはり地球温暖化が大きく影響していると思います。数年前から、この地域には今まで見たこともないような雑草が増えています。もう日本は、温帯地帯ではありません。

 地球温暖化に伴う気候変動が、世界の人びとを苦しめるようになっています。このまま灼熱の地球になるのを防がなければなりません。そのためには、国際社会が知恵を出して、何とか温暖化を防ぎ、もとに戻していかなければなりません。 

 ところが、ロシア、アメリカ、イスラエルなどが、戦争を引き起こし、温暖化の原因となる二酸化炭素を大量に生みだしています。気候変動なんか、ないかのようです。

 プーチン、トランプ、ネタニヤフが、国際法の秩序を破壊し、同時に自然の秩序まで壊そうとしています。彼らの蛮行を抑えることができないことにもどかしさを感じます。

 狂った地球を元に戻したい、そのためには、戦争をやめさせ、平和を取り戻さなければならないと思います。

 ※今日は、「ですます調」で書いてみました。『朝日新聞』の書評に、長谷川まゆ帆『歴史学の手引き』(東京大学出版会)が紹介されていて、それを今日、図書館から借りてきました。医院で待っている間、「あとがき」を読んでいたら、「ですます調」で書くと、「言葉が「声」として紡がれていることにより自覚的になれます」という文に出会いました。この本はすべて「ですます調」で書かれています。わたしも挑戦してみようと思いました。

  

沖縄県知事選挙を思う

  沖縄県知事選挙では、自民党、公明党、国民民主党などの推薦を受けた古謝某が当選した。玉城デニーを大きく引き離しての当選であった。

 このような結果になることを、わたしは予想していた。先の衆議院選挙でも小選挙区はすべて自民党議員が当選し、自治体首長選に於いても自民党系などが多く当選している。

 この現象は、沖縄が本土化したことを示すと、わたしは考えている。本土における選挙では、多くの選挙民は選挙に行かないか、行っても選挙の度ごとに自民党など保守系の議員に投票している。それが日本の選挙風土である。沖縄も、日本の選挙風土に同化したのである。

 沖縄で、こうした選挙がある度に、わたしのところにカンパの要請がある。もちろん、今回の県知事選では、玉城デニー側へのカンパ要請である。わたしはその都度、少額のカンパを送ってきたが、今回はやめた。玉城デニーの落選を予想できたからでもあるし、沖縄の選挙の度ごとに、沖縄の基地問題などに関心を持つ人びとにカンパ要請することはどうなのか、という思いもあったからだ。

 沖縄に於いて大きな問題となっていたのは、辺野古基地の新設である。わたしは、この基地建設は、日本政府から沖縄の建設業界への税金撒布、つまり利権政治の象徴ではないかと考えてきた。おそらく完成もしない基地、長期間土砂を投入し続ける工事、そこには国税がたんまりと投入される。米軍の思惑とは異なる辺野古基地建設は、利権政治という国内問題と直結しているのだ。

 自民党への投票行動は、国や自治体から、利権という蜜を吸いたい業者や人びとが、積極的に群がり、担うのである。利権につながらない人びとは、選挙には行かないのだ。

 そうした利権政治が、沖縄で一般化したのではないか。南西諸島で進む自衛隊の基地建設なども、利権を生んでいることだろう。

 日本のこの国際的地位の下落、経済が好転しない、そうした原因は、日本国の経済をどうするかという視点ではなく、いつも目の前のカネ、利益を拡大することを最優先し、企業などは税金に群がり、補助金其の他を自らの懐に持ってくることに血道を上げ、政界、官界は、財界へと撒布された税金を自分の懐にまわして貰うことだけを考える。「我田引水」ということばがあるが、日本の政治は「我懐引金」で貫かれている。

 そうした風土が、沖縄を支配するようになったということではないか。

 ついでに記しておけば、朝日新聞社がこの県知事選挙結果の速報で、「県政奪還」ということばをつかい、それを引っ込めたという情報を得ている。自民党と同じ立場であることを表明したのであるが、さすがにこれはいけないと思ったらしく引っ込めたのであろう。でも、もちろん朝日新聞社はじめ新聞業界も利権に食らいつく集団である。何故に、新聞だけが消費税8%なのか、どのようにして8%を獲得したのか。書籍などは10%の悪税を取られているのに。