2026年3月30日月曜日

中村宏展の図録

  しばらく浜松から離れていたことため、ブログの書き込みはできませんでした。

 先月、「中村宏展 アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」という展覧会を観にいき、図録を予約してきたところ、4月上旬に発送とのこと。

 図録が欲しいけど、予約販売が締め切られたということから諦めていた方がいるが、今日、静岡県立美術館にアクセスしたら、以下のような記述があった。

 中村宏は、注目されるべき、浜松市出身の画家で、最近亡くなられたばかりである。 

 

皆様からのご要望を受けまして、以下のとおり図録の追加販売を決定いたしました。

<販売開始日>

令和8年4月14日(火) ※事前予約はできません。

<価格>

4,000円(税込み)

<購入方法>

上記販売開始日から以下の方法で購入・予約いただけます。
・当館ショップでの現地購入

・当館ショップへの電話予約(054-262-1960)
※電話予約の場合、図録代金と送料は現金書留でのお支払いとなります。

2026年3月25日水曜日

【本】田中伸尚『なでし子を 夜半の嵐に た折られて 「甘粕事件」記憶の再生』(影書房)

  昨日、著者である田中さんからご恵贈いただいた本である。3月27日刊行とあるから、もうじき店頭に並ぶことであろう。 

 昨日届いたばかりであるから、もちろん読み終えていない。したがって、ここでは途中経過の段階で記すものである。

 わたしは、この大杉栄や伊藤野枝、橘宗一に対する、甘粕ら陸軍憲兵隊による惨殺事件についてはよく知っている者だろうと自分でも思っているが、しかし、橘宗一少年、その母あやめらの動向を詳しく知っているわけではない。この本を読みながら、まず思ったことは、この事件はあまりに悲しい事態であると言うことを再度痛感したことである。大杉や野枝の惨殺もむごたらしいものであるが、いたいけな宗一少年の命が奪われたことの重さ、悲しみを、この本を読みながら感じるのだった。

 そしてもうひとつ、彼らを、無法に虐殺した甘粕正彦ら陸軍憲兵隊は、まさに鬼畜というべき所業であること、さらに軍事裁判で彼らの罪が問われることなく終わったこと、そして何と彼ら犯罪者に対して、減刑嘆願運動が行われたという事実。これらは、近代天皇制国家の本質を象徴する。その本質は、陸軍という軍事組織、それに付属する憲兵隊、さらに減刑嘆願運動を行った庶民に表現されている。

 最近行われた選挙のなかであらわれた、日本の庶民が、統一教会や裏金問題など政権政党の闇をなんら問題にせずに投票行動を行ったその正義に悖る反倫理的な行為に、甘粕らの減刑嘆願運動を重ねてみる。近代日本から今日まで、日本の庶民には、正義や倫理はないのではないか、と思うほどである。

 まだ読み終えていないが、読み進む中で、今迄大杉や野枝の本をいろいろ読んでは来たが、あらたな事実、新たな感慨が生じてくるのであった。そしてその感慨は、現代の日本の現状からわきあがることでもあった。

 田中さんは、巻頭に、韓国のノーベル賞作家、ハンガンの「歴史的事件を扱うことは、過去について語る方法を探し出し、現在について語るということです。歴史を見つめて問うことは、人間の本性について問うことでもある」を引いている。それは、本書で具現している。

 多くの方に読んでもらいたい。この本、悪税抜きで2000円である。すべて読み終えたら、また書くであろう。

 

2026年3月24日火曜日

この人の素質

  『日刊ゲンダイ』が、「高市外交を「日本の恥」だと批判続出! 夕食会で踊り狂う写真をホワイトハウスが“さらし上げ”」という記事で厳しく批判している。こうした批判をする新聞社は少ない。

 わたしは、新聞は読むべきだと思うが、しかし政治面での各紙の記事や主張を読むと、読まなくてもいいかなと思ってしまう。批判的精神が文全体にはなく、一部で申し訳程度に批判を加え、しかしその記事自体は、高市某ら政府の主張の枠内で記されているから、まったく読む価値はない。そうした記事を、大新聞は垂れ流している。

 ちなみに、高市某とは、最初から軽薄な人なのだ。

 在日コリアンの辛淑玉さんは、むかしあるプロダクションに属していて、そこに高市某もいたそうだ。高市は、「権力欲が強い」「何も勉強しない、歴史も知らない。台湾が日本の植民地であったことも知らないのではないか」「デマを簡単に信じる」「右派的な知識もない」「支持者の顔を見て行動するだけ」「支持者のウケを狙うだけ」で、ヒトラー『わが闘争』を礼賛した本、『ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄著、千代田永田書房)を推薦していた。(この指摘に対し、高市某は「推薦文については記憶がなく、コメントできない。本人も著者を知らない」という。いつもの逃げである。知らぬ存ぜぬをいつも貫く)。
 昨年9月22日、「奈良のシカを足で蹴り上げるとんでもない人がいる。殴って怖がらせる人がいる。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるとすれば、何かが行き過ぎている」と言った。しかしそれが根拠なしだと報道されると、「自分で確認した」といい、11月10日、「撤回しろといわれても、撤回するわけにはまいりません」と主張した。
 高市の特徴は、暴言ー批判ー撤回・謝罪せずー逃亡のパターン、平気でウソをつくというものである。また批判されるとすぐに切れるか、あるいは逃亡する。

 そういう人物を、日本は首相にまつりあげたのである。

 

 

2026年3月22日日曜日

暴漢に媚びへつらう日本の首相 The Japanese Prime Minister Who Pander to Thugs

  現在の中東情勢を混乱に陥れているのは、ユダヤ人国家・イスラエルと、侵略国家アメリカである。ネタニヤフという暴漢と、トランプという暴漢のふたりが、世界を混乱させている。

 中東の混乱は、ネタニヤフの野望が原動力となっているが、世界各地のユダヤ人はそれを是認しているのだろうか。1930年代から40年代はじめにかけて、アウシュビッツに象徴されるユダヤ人虐殺、あるいはそれ以前のヨーロッパ各地でのユダヤ人迫害など、わたしはユダヤ人にこころから同情し、彼らの怒りを我がことのようにしていた。

 しかし、イスラエルという国家誕生から、今までユダヤ人を迫害してきたキリスト教徒にではなく、パレスチナ人などムスリムに対して、虐殺、迫害、搾取・・・・、ありとあらゆる悪事をイスラエルという国家は開始した。国連から何度も「やめろ!」という決議がなされても、イスラエルは侵略や迫害をやめることはなかった。ガザに対するイスラエルの蛮行はその象徴でもある。

 世界各地のユダヤ人は、こうしたイスラエル国家の蛮行を是認しているのであろうか。ならば、わたしはユダヤ人に対する考えを変えなければならなくなる。

 そしてそのイスラエルにそそのかされてか、トランプもネタニヤフの野望の片棒をかついでいる。今までも、アメリカという国家は、イスラエルの蛮行を支持してきたから、トランプが最初ではもちろんない。しかし、今回の事態をみていると、トランプに何らかの方針があるようにはとても見えない。なるほど、トランプという人は、浅慮の者であることがよくわかる。

 さて、こうしたイスラエル、アメリカの蛮行、暴挙に、わが日本の首相が、訪米し、トランプと会談し、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのは、ドナルドだけだと思っています」というマヌケな発言をしたという。「平和と繁栄」を破壊している人物が、トランプではないのか。

 日本は、第二次大戦後、アメリカに従属することを国家意思として決定したようだが、その従属度が日増しに強まっている。従属ではなく、今や隷属である。隷属状態にある日本の首相が、暴漢であるご主人様に媚びへつらうという醜態を、私たちは見せられた。

 従属国である日本は、カネをアメリカに差し出してきたが、さらにトランプの要請によりばく大なカネを差しだした。日本の庶民は日々の生活に苦しんでいるというのに、ご主人様には豪華なプレゼントを差し出す。

  現代の国際秩序は、「国民国家が互いに主権を持ち、法的に平等の地位を持つ」という前提の上に成立しているといわれるが、そうした教科書的な説明は、今や意味をなさなくなっているのではないかと思う。

  The current turmoil in the Middle East is being caused by the Jewish state of Israel and the aggressor nation, the United States. Two thugs—Netanyahu and Trump—are throwing the world into chaos.

 While the turmoil in the Middle East is driven by Netanyahu’s ambitions, do Jews around the world actually condone this? From the 1930s through the early 1940s, I felt deep sympathy for the Jewish people—for the genocide symbolized by Auschwitz, as well as the persecution of Jews across Europe prior to that—and I took their anger to heart as if it were my own.

 However, since the birth of the state of Israel, it has not been directed at Christians—who had persecuted Jews until then—but rather at Muslims, such as the Palestinians, that the state of Israel has committed massacres, persecution, exploitation... every conceivable evil. Even after the United Nations passed numerous resolutions demanding, “Stop!” Israel never ceased its aggression and persecution. Israel’s atrocities against Gaza are a symbol of this.

Do Jews around the world condone these atrocities committed by the State of Israel? If so, I will have to change my view of the Jewish people.

 And perhaps incited by Israel, Trump is also playing into Netanyahu’s ambitions. The United States has long supported Israel’s atrocities, so Trump is certainly not the first. However, looking at the current situation, it is hard to see that Trump has any kind of policy. Indeed, it is clear that Trump is a man of shallow judgment.

Now, in response to these barbaric and outrageous acts by Israel and the United States, Japan’s prime minister reportedly visited the U.S., met with Trump, and made the foolish remark, “I believe Donald is the only one who can bring peace and prosperity to the world.” Isn’t Trump the very person who is destroying “peace and prosperity”?

 It seems Japan decided after World War II to subordinate itself to the United States as a matter of national policy, and that subordination has been growing stronger by the day. It is no longer mere subordination; it is now servitude. We were forced to witness the disgraceful spectacle of Japan’s prime minister, a servant in a state of servitude, fawning over his thuggish master.

 Japan, as a subordinate nation, has been handing over money to the U.S., and at Trump’s request, it has handed over even more vast sums. While ordinary Japanese people struggle to make ends meet, they are presenting lavish gifts to their master.

  It is said that the modern international order is founded on the premise that “nation-states possess mutual sovereignty and hold legally equal status,” but I believe such textbook explanations have now lost all meaning.


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2026年3月20日金曜日

展覧会の図録

  静岡県立美術館で開催されていた「中村宏 アナクロニズムのその先へ」を観にいったのは、2月27日であった。かなり長時間滞在して、沢山の作品をみてまわった。

 中村宏は、この1月初めに亡くなっているので、図録を買おうとミュージアムショップに寄った。図録が見当たらないので、聞いてみたら予約販売だとのこと、すぐに予約した。

 しかしその図録が届かない。3月17日に問い合わせの電話を美術館に入れたが、まだ出来ていないとのこと。そして今日も届かなかった。

 思うに、この展覧会は静岡県立美術館だけで開催される。2024年10月~12月、「無言館と、かつてありし信濃デッサン館ー窪島誠一郎の眼」という展覧会もあった。この展覧会も、静岡県立美術館だけの開催であった。そして図録はなかった。

 わたしは、「画家と戦争」という表題で3回の歴史講座をやっていた関係で、無言館にも行ったし、無言館にある静岡県出身の画家の卵たちについても調べていた。だから、図録を買うつもりはなかったので、あまり気にもしていなかった。

 しかし、中村宏は、最初から買うつもりであった。歴史講座「画家と戦争」の導入で、中村宏について言及したし、戦後日本美術史において不可欠の画家であったからだ。そして中村は浜松市出身。

 おそらく、静岡県立美術館は、中村宏展の図録を最初から制作するつもりはなかったのではないか。何といっても、この展覧会は、「無言館と、かつてありし信濃デッサン館」展と同様に、静岡県立美術館のみの開催なので、図録は、あまりたくさん売れないことが予想されるからだ。

 だがしかし、である。「中村宏 アナクロニズムのその先へ 」は、静岡県だけの開催ではもったいないとおもう。わたしは、よくこれだけ集めたと感心した。

 ただし、展示されたものをみていたなかで、これだけは観たくなかったというものがあった。「早稲田祭」のポスターである。早稲田大学時代、早稲田祭は、あの暴力集団・革マル派の資金源となっていて、早大生であってもパンフレットを買わないと大学構内に入れず、多くの学生はこの時期、帰省したりバイトに励む時期となっていた。その後、早稲田大学文学部を暴力的に支配していた革マル派は、恒常的に数々のテロ事件を起こしていたが、ついに川口くん事件を起こして、早大生の大いなる怒りをかったことは、当事者であったもと朝日新聞記者樋田毅くんが『彼は早稲田で死んだ』で描いた通りである。

 今でも早大OBは、いろいろ党派はあるけれども、革マル派だけは許せないという。わたしも同様である。革マル派の活動家の目は、統一教会=原理研究会のメンバーの目とよく似ていた。組織が同じ本質をもっていたからだと思う。

 だから、中村宏が、早稲田祭のポスターを描いていたことは、とても残念である。 

2026年3月19日木曜日

【演劇】劇団NLT「Musical O.GⅡ」を観てきた。

  O.G.というのは、OldーGirls、この劇に即していえば、「老女」となるか。このミュージカル劇、全編「老女」への盛大なる声援であった。観客の拍手は、そのまま「老女」への讃歌となり、激励となる。「老男」のわたしとしては、戸惑うところさえあった。

 シチュエーションはあんがい単純であるが、しかしそこにはふたりの「老女」の人生が詰まっている。そうした「老女」の人生を背景に話は展開していく。1時間45分、語りと歌によって動いていくのだが、ふたりの「老女」がお互いを助けあう、励まし合うという「シスターフッド」もあり、「老女」が今後より良く生きていくための処方も示されていた。

 最近「老い」に対して非難めいたことを言ったり、「老人」への社会保障などを減らすべきだという政党も出てきている。彼らも、必ず「老い」、「老人」になっていくのだという冷厳な事実を予想することができない人びとだ。

 このミュージカル劇は、そんな風潮に対して、「フン、何よ、歳をとって悪いのか!」、「歳をとってシミが出来たり、シワが増えたりしているけれど、それが何だ!」という、堂々とした抗議であるともとれた。それも笑顔を見せながら。

 「老女」だって自由に楽しく生きていきたい、のである。それを妨げる權利など何もない。だけど、「老女」、いや「老男」だって、「孤独」に生きていくのはつらい。人間は、いくつになっても、支え合う存在なのだ。

 だから、「老女」よ、「老男」よ、団結せよ!そしてみずからの尊厳を守り抜こう!というテーマが、底に流れているように感じた。

 1時間45分は、とても短く感じた。 

国家意思 the state’s will

  『週刊金曜日』の月一回の、崔善愛さんのインタビュー記事、いつもフームと考えさせられる。今週は、渡辺一枝さん。はじめて知った女性である。椎名誠の奥さんとのこと。ずっと前、『週刊金曜日』立ち上げの頃、彼の講演会を浜松で開催したことがあったことを思い出す。

 まず知って驚いたこと。

 アメリカのハンフォードと言えば、核開発で有名なところだ。その近くにリッチモンドという町があるが、その町は放射性物質に汚染された作業員のためにつくられ、大きなスーパーや映画館があり、たいへん活気づいているとのこと。浪江の町は、そのリッチモンドをモデルにしているそうだ。

 核兵器開発→放射性物質による汚染→そのための町。そこには、核兵器開発という国家意思に全てが従属され、その国家意思が人びとの生命や生を蹴散らしていくという姿があり、まさにそれは時間と空間を超えて拡大されていく。

 国家意思は戦争をも引き起こす。渡辺は「戦争開始にかかわった人たちが断罪されずにそのまま政局に残った」と語る。戦争遂行という国家意思の前には戦争遂行というものだけがあり、それ以外のものは、そのための手段と化す。人であろうと物であろうと、である。戦争遂行の結果、勝とうと負けようとそれは関係ない。それにかかわった、責任ある者たちがその責任を追及されることはない。だから、反省もないし、戦争で犠牲になった者がいようと、それはあくまで戦争という国家意思の遂行の結果であるにすぎない。

 国家には、意思はあるが、感情はない。感情にはびくともしない。国家は冷厳にそびえ立ち、人びとを見下ろしている。

 渡辺は、「チベットの人は24時間祈っています。祈るために生活しているのです。」という。へーそうなのかと思う。祈るという行為は、みずからの上になにかしらの存在を認めることでもある。 

 だが、国家は祈らない。国家の上位に何者をも認めないからだ。みずからが絶対的な最高の存在であることを、国家は自認している。 

 The monthly interview column by Choi Sun-ae in magazine Kinyo-bi *Weekly Friday* always makes me pause and reflect. This week’s subject is Kazue Watanabe. I’d never heard of her before. Apparently, she is the wife of Makoto Shiina. It reminds me of a time long ago, back when *Kinyobi Weekly Friday* was first launched, when we organized a lecture by him in Hamamatsu city.

 The first thing that surprised me was this:

When you think of Hanford in the U.S., it’s famous for nuclear development. Nearby is a town called Richmond, which was built for workers contaminated by radioactive materials. It reportedly has large supermarkets and movie theaters and is quite lively. Apparently, the town of Namie in Fukushima is modeled after that Richmond.

 Nuclear weapons development → contamination by radioactive materials → a town built for that purpose. There, everything is subordinated to the state’s will to develop nuclear weapons, and that state will tramples upon people’s lives and livelihoods—a reality that expands far beyond the confines of time and space.

 The will of the state also triggers war. Watanabe states, “Those involved in starting the war were not held accountable and remained in political power.” In the face of the state’s will to wage war, only the act of waging war exists; everything else becomes a means to that end. Whether it be people or objects. As for the outcome of waging war—whether victory or defeat—it matters not. Those responsible for it are never held accountable. Therefore, there is no reflection, and even if people are sacrificed in the war, it is merely the result of carrying out the state’s will to wage war.

The state has a will, but no emotions. It remains unmoved by emotion. The state stands cold and stern, looking down upon the people.

 Watanabe says, “The people of Tibet pray 24 hours a day. They live to pray.” I think, “Huh, is that so?” The act of praying is also an acknowledgment that there is some kind of existence above oneself.

But the state does not pray. This is because it acknowledges no one above itself. The state recognizes itself as the absolute, supreme being. 

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2026年3月18日水曜日

呆気にとられて・・・in stunned

先週半ばから、喉を痛め、ひたすら病臥。

 この間もいろいろあった。世界は、何をするかわからない全く予想が立たない暴漢が行う破壊的行為を茫然とみているか、あるいは暴漢の行為に静かに賞賛のことばをささやいているか、あるいは暴漢と示し合わせて破壊的行為を共同で行うか、いくつかのグループにわかれているように見えた。いずれにしても、暴漢が暴れ回っている。国際社会は、暴漢の破壊的行為をやめさせることなんかできないと諦めているかのようにも見えた。

 いま、このような暴漢の姿は、あちこちでみることができる。ふつうのひとは、ふつうの生活をしているから、予測の付かないことをする暴漢の出現には慣れていない。何をして良いかわからないので、人びとは暴漢の行為をとめることはせずに遠巻きにみているだけで、事態が沈静化するのを待っている。

 21世紀になって、アメリカだけではなく、こうした暴漢が出現するようになった。常識の世界で常識的なことをしていれば、この世は常識的に動いていくのだが、暴漢の出現によって、そうでない時代が生まれたのである。その背景には、暴力的な資本主義=新自由主義が猛威をふるっているからだ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の思考が、エリートの精神にこびりついている。

 今、とりわけ暴力的な暴漢であるトランプとイスラエルのネタニヤフが、やりたい放題のことをしている。それが出来てしまう世界へと変わってしまった。

 一定の良識を持っているだろうという予測は、見事にくつがえされた。彼らは一片の良識すら持たない野蛮人である。他者が殺されようと、どんなに困窮しようと、彼らの眼中にはない。目先の利益と、みずからの地位を確保することだけが彼らの原動力となっている。

 その原動力の背後に、新自由主義者たちがいる。彼らが、この二人を支えているのだ。

 世界の普通の人びとは、呆気にとられて、見つめることしかできないでいる。 

 Since the middle of last week, I’ve been suffering from a sore throat and have been confined to bed.

A lot has happened during this time. It seemed as though the world had split into several groups: some were staring blankly at the destructive acts of a thug whose next move was completely unpredictable; others were quietly whispering words of praise for the thug’s actions; and still others appeared to be colluding with the thug to carry out destructive acts together. In any case, these thugs are running rampant. It also seemed as though the international community had given up, resigned to the fact that it could not stop their destructive acts.

Nowadays, such thugs can be seen everywhere. Ordinary people, living ordinary lives, are not accustomed to the appearance of thugs who do unpredictable things. Not knowing what to do, people do not stop the thugs’ actions but simply watch from a distance, waiting for the situation to calm down.

Since the 21st century, such thugs have begun to appear not only in the United States but elsewhere as well. If people acted sensibly within the realm of common sense, the world would function sensibly; however, the emergence of these thugs has ushered in an era where that is no longer the case. Behind this lies the rampant spread of violent capitalism—neoliberalism. The mindset of “only the present, only money, only myself” is deeply ingrained in the minds of the elite.

Now, particularly violent thugs like Trump and Israel’s Netanyahu are doing whatever they please. The world has changed into one where they can get away with it.

Any expectation that they might possess a modicum of common sense has been spectacularly overturned. They are barbarians who lack even a shred of common sense. Whether others are killed or suffer in poverty, it is of no concern to them. Their sole driving force is securing immediate profits and their own positions.

Behind that driving force stand the neoliberals. They are the ones supporting these two.

Ordinary people around the world can only stare in stunned disbelief. 

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2026年3月9日月曜日

人が死ぬことを何とも思わない人びと People who don't care about others dying

  1930年代から40年代初め、地球上で沢山の人びとが殺された。戦場で、収容所で、日常の場に空襲があって、そして病気や飢餓で。その時代は、あまりにも多くの人が亡くなったため、死者数は概数で示される。ほんとうの死者数を明らかにすることはできないからだ。

 その時代は、世界的に激しい戦争が起こされ、人びとは憎悪を煽られ、人を殺すことを何とも思わずに銃で、剣で殺し、そして砲弾で人間をバラバラにしてこの世から葬った。

 当然、それは人倫に反することだと、人びとは反省し、平和の大切さを知り、戦争が起こらないようなシステムをつくろうと努力してきた。

 しかし今、再び戦争の時代へと、世界は動きだしているようだ。

 昨日の『東京新聞』の「本音のコラム」で、前川喜平氏が、アメリカやイスラエル、そしてロシアを「世界の暴力団」だと指弾した。その通りである。暴力団が、第二次世界大戦後につくられた国際秩序を破壊している。

 その首謀者である、アメリカのトランプ、イスラエルのネタニヤフ、ロシアのプーチンなどは、人が死ぬことを何とも思わない人びとである。ネタニヤフはユダヤ教、トランプやプーチンはキリスト教であろう。世界歴史を振り返ると、キリスト教徒がもっとも多くの人を殺している。キリスト教の源流はユダヤ教であろうから、彼等の共通した信仰は、人が死ぬことを何とも思わないという反人道的な宗教ということになるだろう。

 もちろん、このような人物を国家のリーダーとした、それぞれの国の大衆も、おそらく同じように、人が死ぬことを何とも思わない人びとなのであろう。ひとりの人間が死ぬことだけでも、とても悲しくつらいことなのに、それを想像すら出来ない者たちが、彼等をリーダーとしたのである。

 そしてその仲間に、日本も入ろうとしている。3月7日の『東京新聞』の第一面に、自由民主党、日本維新の会が「殺傷武器の輸出を提言」という記事があった。日本製の殺傷兵器を売って、カネを儲けようと考えているのだ。彼等も、もちろん、人が死ぬことを何とも思わない人びとなのだ。そしてそういう人物を国会に送り込んだ、日本の大衆も、人が死ぬことを何とも思わない人びとへと成り下がったということである。

 日本に住む人間として、自由民主党、日本維新の会のこうした行動を悲しみ、また憤りを覚える。こうした動きは、いずれ日本人に対して殺傷武器が使われることにつながっていくことだろう。

 話は変わるが、わたしはほとんど毎日畑に立つ。近年、今までにない雑草が生えるようになった。気候変動を、わたしは肌で感じている。

 戦争は、殺傷兵器の使用は、地球の環境を破壊する。アメリカ、ロシア、イスラエル、そして日本、そこの国々の人たちは、地球を人間の住めないところへと変えようとしているように見える。人が死ぬことを何とも思わない人びとは、地球が「死ぬ」 ことを何とも思わない人びとでもある。

 From the 1930s to the early 1940s, countless people were killed on Earth. On battlefields, in concentration camps, in everyday places under air raids, and from disease and starvation. So many perished during that era that death tolls are given only as estimates. The true number of victims cannot be ascertained.

 It was an era of intense global warfare, where people were incited to hatred, killing others without hesitation with guns and swords, and obliterating human beings with shells, banishing them from this world.

Naturally, people reflected on this as contrary to humanity, came to understand the importance of peace, and endeavored to create systems to prevent war.

 Yet now, the world seems to be moving back toward an era of war.

In yesterday's the newspaperTokyo Shimbun “Honest Column,” former Education Minister Kihei Maekawa denounced the United States, Israel, and Russia as “the world's gangsters.” He is correct. These gangsters are destroying the international order established after World War II.

 Their ringleaders—Trump of the United States, Netanyahu of Israel, Putin of Russia—are people who feel nothing about human death. Netanyahu is Jewish; Trump and Putin are Christian. Looking back at world history, Christians have killed the most people. Since Christianity traces its roots to Judaism, their shared faith likely amounts to an anti-humanitarian religion that cares nothing for human life.

Of course, the masses in each country who elected such individuals as national leaders are probably similarly indifferent to human death. Even the death of a single person is profoundly sad and painful, yet those who cannot even imagine this chose them as leaders.

 And now Japan is about to join their ranks. On the front page of the March 7th newspaperTokyo Shimbun, there was an article stating that the Liberal Democratic Party and the Japan Restoration Party “proposed the export of lethal weapons.” They are thinking of selling Japanese-made lethal weapons to make money. They, too, are people who clearly feel nothing about human death. And the Japanese public who sent such individuals to the Diet have themselves become people who feel nothing about human death.

As someone living in Japan, I feel both sorrow and anger at these actions by the Liberal Democratic Party and the Japan Restoration Party Nippon Ishin no Kai. Such movements will inevitably lead to lethal weapons being used against the Japanese people themselves.

Changing the subject, I work in the fields almost every day. In recent years, weeds I've never seen before have started growing. I feel climate change in my bones.

 War, the use of lethal weapons, destroys the Earth's environment. America, Russia, Israel, and Japan—the people of those countries seem intent on turning the Earth into a place uninhabitable for humans. People who feel nothing about others dying are also people who feel nothing about the Earth “dying.”


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2026年3月8日日曜日

人間の平等

  金子文子の思想については、長い文章をすでにアップしている。昨日「金子文子 何が私をこうさせたか」をみ、映画のパンフレットを入手して、あらためて文子の思想の先見性を思った。

 文子は、

 私は予て人間の平等と云ふ事を深く考へて居ります。人間は人間として平等であらねば為りませぬ。其処には馬鹿も無ければ利口も無い、強者も無ければ弱者も無い。地上に於ける自然的存在たる人間としての価値から云へば総べての人間は完全に平等であり、従って総べての人間は人間であると云ふ一つの資格に依って人間としての生活の権利を完全に且つ平等に享受すべき筈のものであると信じて居ります」(第十二回訊問調書)

 と語っている。 この平等感は徹底している。この思想を、みずからの過酷な人生を生きる中で自分自身で会得したことに、わたしは感動する。わたしも同じ思想をもつが、その思想をみずからのものにした契機は、学生時代、映画「夜明けまえの子どもたち」をみたからだった。びわこ学園の重度心身しょうがい児のすがたのなかに、輝くばかりの「人間の尊厳」をみたからだ。ひとりひとりの人間は人間であるが故に尊厳を有し、その人間の尊厳を持つということで人間は平等なのだという思想を体得し、また障がい児教育の本を多数読むところからさらに確信を持ったことを思い出す。

 しかし、このような徹底した平等観を持つ者は多くはないように見える。すべての人間がこうした平等観をもてば、戦争なんかあり得ないし、新事由主義の席捲などあり得ない。

 なぜか。文子は、こうも語る。

 「「君等と妥協する」「改心して社会に順応して生きる」今と為って君等と妥協が出来るなら私はね、社会に居た時既に妥協して居た筈です。君等の御説教は聞かなくとも其の位の智慧はありました。此の位の事は覚悟の上です。何卒御遠慮なく御自由に。私もね実は一度出度いのです。で左様する為めには「改心しました」と頭を下げて一礼入れさへすれば甘く行く事は知って居ます。だがね。将来の自分を生かす為めに現在の自分を殺す事は私は断じて出来ないのです。御役人方君等の前に改めて勇敢に宣言しませう。「私はね、権力の前に膝折って生きるよりは寧ろ死して飽く迄自分の裡に終始します。夫れが御気に召さなかったなら何処なりと持って行って下さい。私は決して恐ろしくは無いのです。」之れが昔も今も変らぬ私の心持であります。」(「第三回被告人訊問調書」1924年1月22日)

 一切の妥協を拒否するのである。だから文子の転向などあり得ない。だが、この世には、妥協する人、転向する人が多すぎる。

 わたしの経験から、学生時代に格好良く偉そうにしゃべっていた者たちは、ほとんど「君等」の側に今はいる、そして組合活動をしていた者がいつのまにか組合をやめて管理職になっている。あるいは、わたしたちとつきあうときはわたしたちと話を合わせ、そうでないときは真逆の話をする。そういう姿をたくさん見てきた。 

  人間は弱い。人参をぶら下げられたら、頭を下げる輩が多い。そういう弱さに、「彼等」はつけこんでくるのだ。つけこまれた者たちは、平等観を棄てる。人間の尊厳を、みずからのうちにも、他者の中にも認めるところから、平等観は培われる。

 そして、わたしは文子の平等観と共に、小田実の「にんげん皆チョボチョボや」という思想も持っている。

 

2026年3月7日土曜日

「手足まで不自由なりとも 死ぬという只意志あらば死は自由なり」

  映画「金子文子 何が私をこうさせたか」を観た。

 導入部分は、文子が朝鮮で祖母や叔母から激しい虐待を受けていたとき、文子は川で入水自殺を図るが、 「私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらなければならぬ。そうだ、死んではならない。」(『獄中手記 何が私をこうさせたか』岩波文庫版、172頁)と自殺を思いとどまったところであった。死ぬことよりも、生きていこうと決意したところである。

 そして映画は、文子が縊死したところで終わった。生きることよりも、文子は死を選んだ。刑務所で、文子は厳しく管理され、転向を強いられ、読書を制限され、文子が大切にしている自由が奪われていた。自分自身の生を生きることができなくさせられた文子は、今度は、生きることよりも死ぬことを選んだ。これは自死ではあるが、しかし客観的には、国家権力が強いた死であり、その意味では、天皇制国家に殺されたといえるとわたしは思う。

 導入が、死から生へ、そして最後が、生から死である。その間の文子の生が、主に大逆罪で逮捕されてからの「時間」のなかで描かれていく。その生の軌跡を導くのが、文子の短歌である。文子はいろいろ書いていたはずだが、それはおそらく刑務所側によって廃棄されたのか、刑務所に入ってからのものはない。ただ残されているのが短歌である。

 浜野監督や脚本を担当した山崎さんは、短歌をもとにして文子の「晩年」を描いた。23歳で亡くなっているから、「晩年」という表現はどうかとも思うが仕方がない。

 以前、「金子文子と朴烈」という映画をみたが、わたしがもつ文子のイメージとはまったく合致せず、みるのがイヤになったことがある。文子の主体的で、自立した生き方がなく、あたかも朴烈の添え物のような感じで、とても観られたものではなかった。女優さんには、文子のカケラもなかった。 

 しかし、今度文子役を演じた菜葉菜さんは、まさに文子そのものだと思った。文子は依存的な生き方ではなく、自分自身で生きる道をつくっていくような主体性をもった人物である。また自らが厳しい人生を生きる中で培った思想は強靭である。そうした強靭さを、菜葉菜さんは演じていた。

 最初から最後まで、わたしは緊張しながらみた。スクリーンから、文子が迫力を持って迫ってくるような感じだった。

 浜野監督と、昨年9月にお目にかかって、金子文子を調べ、ここにもそれを掲載したことがある。

 現代に生きる人間にとって、金子文子のような生き方から学ぶことは多い。ぜひ多くの方に観てもらいたいと思う。 

教員不足

  教員の不足が深刻化している。

 教員のなり手が減っているということも一つの原因だろう。教育現場は、ブラックな職場となっているからだ。

 実を言うと、わたしも定年前に退職した。わたしが教員となった頃、若手は忙しかったが、それなりに高齢化していた先生はゆとりをもって仕事をしていた。

 しかし、文科省が、教員統制を強化してくるなかで、教育とは無関係の仕事が増えていった。PDCAというアメリカ生まれの、企業のセルフマネジメントメソッドが学校にも導入され、それに関する仕事が増え、それ以外にもまったく役に立たない研修とかが増え、教育活動に関わらない分野の仕事が、文科省・教育委員会から次々と持ち込まれてきた。

 増えた仕事はなくならず、今まで通常行っていた仕事も継続であるから、仕事は増えるばかりであった。学校というのは、授業だけをしているのではなく、さまざまな校務を教員が分担しているから、それに関する仕事は決して減らない。何か事件があれば、会議は増え、家庭訪問などもしなければならず、また問題を起こした子どもがいれば「もらい下げ」にも行かなければならない。また行事があれば、それに関する準備その他もなかなかの仕事量であった。

 わたしが若い頃は、部活動指導や生徒会指導などで、帰宅は夜八時、土日もなく、長期の休みでも、8月中旬、年末年始しか休みは取れなかった。

 振り返ってみれば、長時間労働で、余分に働いてもその報酬はないという、まったくブラックな職場ではあった。当時は、それが当たり前という世界であった。

 しかし、こうした過酷な労働現場に対して、それを問題とする声が出されるのは必然であった。

 とりわけ、教員にとってもっとも問題なのは部活動指導であった。体育系の部活動の顧問になれば、土日も長期休暇もなく、また夜八時頃まで部活動指導に従事する。となると、教材研究や分担された校務は、家庭に帰ってからやらざるを得ない。

 こんな職場であるから、敬遠されるにきまっているではないか。

 しかし中には、それでも教員になりたいという人がいる。その原動力は、部活動である。部活動の顧問になりたいがために教員を志望する。その数は、多い。そういう教員を見ていると、教材研究をせず、授業を軽視し、ひたすら部活動に専念する。また教科に関する知識もあまりない。それはそうだろう、彼らは学生時代から一貫してスポーツに専念し、スポーツ推薦その他で大学を卒業してきたからだ。神戸大学法学部を出たという人、「公序良俗」ということばも知らなかった。学生時代も、ひたすらボールを追い続けていたのだ。 

 現場の教員が危機感をもって、働き方についていろいろ提案しているが、文科省は聞くみ身をもたない。だから、教員不足が毎年ひどくなるのだ。

 なぜ文科省、政府は、この危機的状況を何とかしようとしないのか。

 それは、新自由主義下においては、政府にとって学校教育などの公共的なものは切りすてる対象であって、できうるかぎりそうした公共的なものに財政を振り向けることをしなからだ。

 政府や地方自治体の財政を見れば、企業に対する補助金や優遇措置などが最優先なのだ。公共的な業務はできるだけ減らして、あるいは民間企業に委託して、「小さな政府」にしていく、スリムにしていくことが進んでいる。

 私立学校の授業料無料化などは、公立学校を潰して教育を私学に任せ、なくなった公立学校用地を私企業に売り渡し、私企業がもうけの手段とする。そして自治体は公共的な業務を減らしていくのである。

 1990年代から、新自由主義という狂暴な資本主義が席捲するなか、公共は捨て去られていくのである。学校教育は、公共的なもっとも大切な業務ではあるが、現在は、それすら廃棄しようとしているのである。教員不足は、そうした政策の結果である。 

2026年3月6日金曜日

小選挙区制のこと

  「政治改革」、「政治改革」と政治学者を先頭に、またマスコミも、またそれに煽られた政党関係者(当時の社会党)は政権交代のために小選挙区制にしなければだめだ、金権政治をなくすためには小選挙区制にしなければならない、というように、小選挙区制にすれば色々な問題が解決するかのように言われていた時期があった。しかし、今回の選挙に見られるように、小選挙区制というものがいかに民意を踏みにじる選挙制度であるかということが白日のもとに晒された。

 雑誌『地平』のインタビューで、政治学者の中野晃一さんは、あの当時小選挙区制導入に反対した政治学者のひとりであるが、次のように語っている。

「長期的に見れば、かつて「政治改革」といって旗を振った人たちがリベラル側の政治学者などにもいたわけですが、そこで追求されていたことは何も実現していません。残酷なほどに、何一つ実現できていないわけです。二大政党制にしても、アカウンタビリティが果たされる政治にしても、いわゆるマニフェスト選挙みたいなものにしても、まして本来のスタート地点だったはずの金権政治の打破という問題にしても。場合によっては、55年体制の時よりも悪くなっているのが実態で、悪い形で完成を見たのが今回の選挙です。

 自民党は小選挙区では約25%の絶対得票率で85%ぐらいの議席をとっています。これは全く合理的な説明ができないものです。絶対得票率ではなく相対得票率をとっても、半分もいかない得票で8割強の議席なので、「上げ底」にもほどがある。」

 「リベラル側の政治学者」、あるいは小選挙区制導入によって少数政党となった社会党から、反省や自己批判を聞いたことがない。とりわけ山口二郎という政治学者、あの時旗を振って注目を浴びていたひとりだ。 

 時に、平和を求め、民主的な発言をしている政党や人間が、「現実主義」的に、自由民主党と同じことを言うようになることがある。

 今回の選挙でも、公明党と合体した立憲民主党、選挙の直前に、自民党の政策を追認することを言っていた。

 立憲民主党が公明党と合体したことで、立憲民主党も自由民主党と同じ道を歩くことを公然化した。自由民主党、国民民主党、立憲民主党、日本維新の会、参政党などはほとんど同じである。今や、平和と民主主義を主張する政党は、れいわ新選組と日本共産党、そして社会民主党くらいか。

 「現実主義」という現状肯定路線を、多くの人びとが支持しているようにみえる。

 この状態が、維新以降の近代日本がつくりあげた日本の国ということである。

 しかし今、現在「金子文子 何が私をこうさせたか」という映画が上映されているが、まさに私たちには、金子文子や大杉栄、伊藤野枝らの生き方が示されているといってよいのではないか。

 

  

2026年3月4日水曜日

本多隆成先生、ご逝去

  日本中世/近世史の研究者、静岡大学名誉教授・本多先生が亡くなられた。今年も年賀状をいただいた。ずっと研究も続けられ、元気でご活躍されていると思っていたのだが。

 先生とは、ふたつの自治体史でご一緒させていただいた。泊まり込みの調査の際には、楽しい酒をのまれ、カラオケでは「高校三年生」を熱唱されていた。

 先生の研究は、史料に忠実で、史料に基づかない憶説などあり得ないというほどの厳格さをもっていた。武田信玄と家康とのあいだで戦われた三方原合戦、武田軍は青崩峠から南下してきたという従来の説に対して、寺院の史料などを丹念に渉猟され、山梨県から静岡県中部に入り遠州方面に進軍してきたことを実証された。さすがだと思った。

 わたしは近現代史ではあったが、先生の史料に対する姿勢を、いつも傍から学ばせていただいた。

 直接に教えを受けたわけではないが、学恩のある方である。

 心からご冥福をお祈りいたします。

 ※いろいろ教えていただいた、戦後歴史学をになってこられた歴史学者がまたひとり亡くなられ、さびしい限りである。 

2026年3月3日火曜日

軍事化したニューリベラリズム  Military neoliberalism

  アメリカとイスラエルによるイラン攻撃、もちろんこれは国際法を無視した蛮行である。先にアメリカがベネズエラに対して侵攻した事件も、国際法を無視した蛮行である。まさに無法状況が起きている。

 それはロシアによるウクライナ攻撃も、国際法無視の暴挙である。ロシアによるウクライナ攻撃は、アメリカを中心とする国々(NATO)が、ウクライナを勢力下に置きたいがためにウクライナを反ロシアの国家とするための策動が原因であるとは言え、国際法的には許されない行為である。

 このように、ロシア、アメリカという大国が、大がかりな軍事行動を開始している。

 このアメリカとイスラエルによるイラン攻撃を、今日の新聞で、イギリス、フランス、ドイツがアメリカに協力すると共同声明を出したという。イランによる周辺諸地域への攻撃を非難するなかでの声明であるが、しかしまず批判されなければならないのは、アメリカとイスラエルのイラン攻撃であろう。これが発端で、イランは周辺への攻撃を始めたからだ。

 現在の国際情勢、大国は、国際法を無視し、正当性もない軍事行動を始め、一般庶民を苦しい状況のなかに追い込んでいる。米軍は、イランの女子小学校に爆撃を行い、多数の死者を出したという。

 わたしは、この背後に、飽くなき利益追求を是とするニューリベラリズムの動きがあると考えている。ニューリベラリズムの動きは、1980年代から蠢き始めた。アメリカのレーガン大統領は、アメリカの飽くなき利益を追求する富裕層の大きな期待をあつめて当選した。富裕層は、レーガンを大統領にするために多額の支援を行った。そして当選させた。レーガンはもちろん共和党である。共和党は大企業や富裕層への減税で支持を集める政党である。そうした政策を正当化する言説がニューリベラリズムである。イギリスのサッチャー政権も、そうした政策を行った。以後、世界の富裕層は、ニューリベラリズムの「改革」を求めた。

 その「改革」の最大の目的は、富裕層がより豊かになること、政府や自治体から公共性を奪い、それをカネ儲けの手段とすること(「民営化」)、あるいは公共の場である公園や公共施設なども、カネ儲けの手段へと変えることであった。

 このニューリベラリズムは、ほぼ行きわたった。しかし富裕層の欲望は際限がなく、今度は国家的庇護のもとにある軍需産業に触手を伸ばし、戦争を行わせることでカネ儲けをさらに求めようとし始めた。アメリカはもともと「軍産複合体」が政治に大きな影響をもち、軍需産業はアメリカ政府に戦争をやるように働きかけて戦争をさせ、多大な利益をあげてきた。その姿を、イスラエルもみならい、今や日本も軍需産業を盛んにしてカネ儲けをしようとしている。

 まさに現在は、大国やイスラエル、日本、そして英仏独なども、そうした動きを強めている。

 昨日記したように、しかし大国同士は戦争をしない。大国は弱小国になんらかの理由をつけて戦争を始め、軍需産業をより盛んにしようとしている。そして大国は、ほかの大国と何らかの対立が起きたときには、大国の目下の国家を戦わせようとしている。まさにウクライナは、その明確な事例である。ウクライナにロシアと戦わせ、そこで使用される武器弾薬はアメリカなどが売る。

 ドル基軸体制を維持しなければいけないアメリカは、中国の経済圏が拡大することを阻止しようとしている。その中国を軍事的に牽制するべく、日本の軍拡をすすめ、そして中国に近いところに軍事基地をつくらせている。もし戦闘が起きれば、そこで使用されるのは米国の武器である。ウクライナと同じ構図である。

 ニューリベラリズムは、最後の「発展形態」として、軍事的ニューリベラリズムへと「発展」した。

 世界のふつうの人びとは、そうした動きに対して、どう対抗すべきか、真剣に考えなければいけない時代へと突入している。そうでなければ、待っているのは悲惨な死であり、また虐げられた貧しい生活だけだ。 

 The attack on Iran by the United States and Israel is, of course, a barbaric act that disregards international law. The earlier incident where the United States invaded Venezuela was also a barbaric act that disregarded international law. A state of lawlessness is indeed unfolding.

 Russia's attack on Ukraine is likewise an outrageous act disregarding international law. While it could be argued that Russia's attack on Ukraine stems from the scheming of countries led by the United States (NATO) to turn Ukraine into an anti-Russian state in order to bring it under their sphere of influence, it remains an act impermissible under international law.

In this way, major powers like Russia and the United States have launched large-scale military operations.

 Today's newspapers report that Britain, France, and Germany issued a joint statement declaring their cooperation with the United States regarding this US and Israeli attack on Iran. While the statement condemns Iran's attacks on neighboring regions, the primary criticism must be directed at the US and Israeli attack on Iran. This was the trigger that led Iran to begin its attacks on neighboring areas.

 In the current international situation, major powers are ignoring international law and launching military actions lacking legitimacy, plunging ordinary citizens into dire circumstances. U.S. forces reportedly bombed an Iranian girls' elementary school, causing numerous casualties.

 I believe behind this lies the movement of neoliberalism, which justifies the relentless pursuit of profit. This neoliberal movement began stirring in the 1980s. U.S. President Reagan was elected by garnering the high hopes of America's wealthy elite, who sought the relentless pursuit of profit. The wealthy elite provided substantial financial backing to make Reagan president. And they succeeded. Reagan, of course, was a Republican. The Republican Party is a party that gains support through tax cuts for large corporations and the wealthy. The discourse justifying such policies is neoliberalism. The Thatcher government in Britain also implemented such policies. Since then, the world's wealthy have demanded neoliberal “reforms.”

 The primary goal of these “reforms” was to enrich the wealthy further, strip public services from governments and municipalities to turn them into profit-making ventures (“privatization”), or transform public spaces like parks and facilities into money-making opportunities.

 This neoliberalism spread almost universally. However, the desires of the wealthy are limitless. They then began reaching out to the military-industrial complex, protected by the state, seeking even greater profits by instigating wars. America has long been shaped by the “military-industrial complex,” where the defense industry wields significant political influence, lobbying the US government to wage wars and reaping enormous profits. Israel has followed this model, and now Japan too is actively promoting its defense industry to make money.

Indeed, major powers like Israel, Japan, and even Britain, France, and Germany are intensifying these movements.

 As noted yesterday, however, major powers do not wage war against each other. They find some pretext to start wars against smaller nations, aiming to further boost their military-industrial complexes. When conflicts arise between major powers themselves, they seek to pit other major powers' vassal states against each other in battle. Ukraine is a clear example of this. They are making Ukraine fight Russia, and the weapons and ammunition used there are sold by the US and others.

 The United States, needing to maintain the dollar-based system, seeks to block the expansion of China's economic sphere. To militarily contain China, it is pushing Japan's military expansion and establishing military bases near China. Should combat occur, the weapons used there would be American. It's the same pattern as Ukraine.

Neoliberalism has “evolved” into military neoliberalism as its final “form of development.”

 Ordinary people around the world have entered an era where they must seriously consider how to counter such movements. Otherwise, what awaits them is nothing but a miserable death and a life of oppression and poverty. 

  

2026年3月2日月曜日

変動期~無法の時代へ To an Age of Lawlessness 

  アメリカとイスラエルがイランを攻撃した。積みあげてきた国際秩序をまったく無視しての暴挙である。

 おそらく今度のイラン攻撃は、イスラエルの要求に沿ったものだろう。近年のイスラエルは暴挙を繰り返している。

 ガザに対するジェノサイドだけではなく、イランの影響があるところへの軍事攻撃を公然と行っていた。

 こうした暴挙を平然と行うイスラエルという国家の歴史を振り返ると、欧米のキリスト世界、とりわけ東欧、ロシアその他の地域におけるユダヤ人差別・迫害のある意味での結果をイスラム世界へ押しつけたこと、そして欧米による人種差別・植民地支配の結果としての西アジア監視の役割をイスラエルに果たさせていること。すなわち、欧米の長い長いアジア、アフリカ、ラテンアメリカ、太平洋諸島などへの侵略の歴史の象徴として、イスラエルの存在があり、同時にイスラエルの暴挙は、欧米の長い長い侵略の歴史をこれまた象徴している。

 今、世界史は新たな段階に来ている。国際秩序は崩壊へと向かい、軍事力をもつ国家が他国に侵攻し、国境を超えたグローバル資本のあくなき利益追求の場を、混乱のなかで広げている。 アメリカやイスラエル、そして日本も、国家の力をグローバル資本にとって都合の良いような世界へと改変しようとしている。

 その先頭には、アメリカやイスラエルの軍事産業がいる。彼らは戦争を繰り広げるそのなかで、武器の見本市としてそれを利用し、利益追求を図る。世界の巨大企業は、すでに何らかのかたちでアメリカやイスラエルその他の国家の軍事産業とつながり、戦争でもうけるというシステムができている。

 軍需産業は、国家的庇護の下にあるが故に、利潤率は高い。あくなき利益を求めるグローバル資本は、戦争を最大のカネ儲けの場として位置づけようとしている。

 グローバル資本のボスとして、アメリカは今後もカネ儲けの手段としての戦争を各所で繰り広げていくだろう。そしてこれからの戦争は、大国間ではなく、アメリカなどの大国が、軍事力の弱い、必ず勝利を得ることができる弱小国に対する戦争を引き起こしていくことだろう。

 欧米がかつて非西洋地域に侵略していった時代のように、同じような光景が繰り返されるのだ。大国に狙われた国家、人民は、彼らの餌食にされていくのである。

 問題は、こうした世界の変動にどう対抗していくかである。 

 The United States and Israel attacked Iran. This is an outrageous act that completely disregards the international order we have built up.

This attack on Iran was likely carried out at Israel's request. In recent years, Israel has repeatedly committed such atrocities.

Not only has it perpetrated genocide against Gaza, but it has also openly launched military attacks against areas under Iranian influence.

 Reflecting on the history of Israel, a nation that commits such atrocities with impunity, reveals how it has been used to project the consequences of anti-Semitism and persecution within the Christian world of Europe and America—particularly in Eastern Europe, Russia, and other regions—onto the Islamic world. Furthermore, Israel has been made to fulfill the role of policing West Asia, a legacy of Western racial discrimination and colonial domination. In other words, Israel's existence symbolizes the long, long history of Western aggression against Asia, Africa, Latin America, the Pacific Islands, and beyond. Simultaneously, Israel's atrocities themselves symbolize this same long history of Western aggression.

 Now, world history has entered a new phase. The international order is heading toward collapse, with militarily powerful nations invading others and expanding the arena for global capital's insatiable pursuit of profit across borders amid chaos. The United States, Israel, and Japan are also attempting to reshape the power of the nation-state into a world convenient for global capital.

At the forefront are the military industries of the United States and Israel. They exploit the wars they wage as weapons trade shows to pursue profits. A system has already been established where the world's giant corporations are connected in some form to the military industries of the United States, Israel, and other nations, profiting from war.

The military-industrial complex enjoys high profit margins precisely because it operates under state protection. Global capital, insatiable in its pursuit of profit, seeks to position war as the ultimate money-making opportunity.

As the boss of global capital, the United States will likely continue waging wars as a means to make money in various places. And the wars of the future will not be between major powers, but rather wars instigated by major powers like the United States against weaker nations with inferior military strength, nations they are certain to defeat.

 Just as the West once invaded non-Western regions, similar scenes will repeat themselves. Nations and peoples targeted by major powers will become their prey.

The question is how to counter these global shifts. 

Translated with DeepL.com (free version)