毎年、日本評論社が発行している『法律時報』の5月号は、何らかのかたちで日本国憲法の特集をしていた。しかし、最近そういうことはなくなった。法律学のレベルでも、憲法は脇におかれている状態である。
安倍政権以降、公然と憲法を無視する傾向が強まり、対米隷属のままの軍事拡大、「敵」との戦闘を前提とした軍事作戦が計画されている。沖縄県の諸島では、自衛隊が軍事基地を構築し、アメリカに言われるままに対中国との戦争を準備している。
そのようなことがあっても、沖縄県の首長選挙では、悪名高き自民党・公明党推薦の候補が当選している。もうどうでもよい、と思うようになったのか、それとも「保守化」したのか、わたしにはわからないが、少なくとも、アメリカに隷属する自民党・公明党政権に対する、平和・軍事レベルでの抵抗感は少なくなっているように思われる。
兵庫県でも、知事によって法を無視する行動が眼に見える形で行われている。あらゆる部門で、法を無視する動きが強まっている。
それはアメリカでも、である。トランプ政権は、堂々と法を蹂躙する動きを強めている。まさに安倍晋三が、みずからの恣意的な政治を行うために、内閣法制局長官を意のままに動かすことができる人物を任命したように、法や慣例を歯牙にもかけない動きが、世界的に強くなっているように思う。
昨日、ユーチューブでデモクラシータイムスの「三ジジ放談」をみていたら、平野貞夫が、番組の最後のあたりで、衆議院憲法調査会のトップにいる立憲民主党の枝野幸男が積極的な改憲論者であり、スガもと官房長官を大いに評価していたことを指摘していた。スガについては、雑誌『プレジデント』での対談記事に、そう書かれていたようだ。
わたしはもともと枝野というのは胡散臭い人物だと思っていたが、やはりそうだったのかと思った。ひょっとしたら、立憲民主党をたちあげたのは、改憲を進めるための手段ではなかったのでは。
いずれにしても、歴史は「法の支配」が確立していない時代に戻りつつある。
なお『週刊金曜日』の特集は、「象徴天皇制」である。天皇制の骨格も、近代日本国家の創造物である。わたしは天皇制が日本の民主主義や人権を麻痺させていると思っている。毎年春秋に叙勲が行われているが、日頃批判的な言辞を展開している人士のなかに、堂々と叙勲を受けている人がいる。叙勲を受けるということは、天皇制に包摂されることだと思っている。
若い頃、購読していた『歴史学研究』の月報に、歴史学者の江口朴郎が叙勲を受けないことについて書いていた。その通りだと思った。わたしが尊敬する歴史学者は、誰ひとり叙勲を受けていない。
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