2025年5月3日土曜日

「人がたたかうのは、愛と怒りからです」

  このことばは、『地平』6月号の酒井隆史さんの「後ずさりして前をみる」のなかの一文である。

 愛と怒りがあるから「人はたたかう」。これと同じようなことばが韓国でも語られた。それについては、gooブログに書いた。そのまま転載する。

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「私たちは、愛だから!」

2025-04-08 09:45:29 | 社会

 『世界』5月号、たくさんの文が並んでいる。なかにはツマラナイもの、自分たちの「世界」だけに通用するような内向きの、一般読者に何を伝えようとしているのかわからないものもある。だが、なかにすごい!と思ったものがあった。

 チョン・スユンさんの「私たちは、愛だから」がそれだ。韓国の若い女性たちの動きを印象的に綴ったものである。韓国は、ここまで進んできているのかと、驚いた。

 昨年の12月21日、韓国は日本よりずっと寒かっただろう。その日、多くの人々がソウルの光化門に集まっていた。いつもは夜10頃にそれは解散するものであった。

 ところがこの日、農民たちがトラクターを連ねてソウルに向かっていた。米の価格保障を求める農民たちのデモンストレーションであった。ところが農民たちは、ソウルの南・南泰嶺(ナムテリョン)で、警察に足止めを食らって動けないでいた。農民たちは高齢であった。

 この状態が、Xで伝えられたところ、ソウルに集まっていた若い女性たちその他が、ナムテリョンに向かったのだ。

 「今、農民のみなさんがたいへんなことになっている。」「困っているおじいさん、おばあさんがいる」「みんな助けに行こう」

 応援棒や携帯などを振りながら、農民たちのトラクターに駆け寄ってきた。若い市民たち、80%が女性であったそうだ。

 「警察は車をどけろ、農民を通せ!」「警察のみなさん、あなたたちもこの農民が作った米を食べているじゃありませんか」

 次々とリヤカーのようなものに乗って、若者が発言を始めた。ソウルで行われていたようなことが、ナムテリョンで起こった。

 「夜中の現場には、観光バスが何台も入ってきました。寒い人は誰でも入って体を温めてください、と。全国や海外から、この若者たちを心配する大人たちが送った暖房バスでした。続いてキムパップ(海苔巻き)、サンドイッチ、餃子、鶏のスープなど食べ物や温かい飲み物、防寒用具が配達されました。もちろん若者たちの予約ではなく、この子たちを応援する大人たちが電話で注文したものでした。真冬の深夜にバイク便やバスの運転手さんが見つかったのも信じられないことです。しかし、警察は、学生たちが集まったことに戸惑ってはいたものの、農民のトラクターをソウル市内にとうらせませんでした。」

 翌朝になっても、警察との対峙状態は続いていた。10時頃にはもっと人も増え、中年の男女も加わった。

 「警察は車をどけろ!農民を通せ!」の叫び声が続いた。

「結局、午後4時頃、警察のバスが動きました。冬至が過ぎて、昼間がだんだん長くなるその日に、壁がなくなったのです。10台あまりの農民のトラクターは、漢江の橋を越え、大統領の公邸付近まで進撃しました。農民のみなさんは、涙を流しながら娘たちにいました。「みんな、ありがとう。本当に、ありがとう。」一晩一緒に見守っていた若い女性たちは歓声を上げました。「私たちが勝った!」「私たちは勝てる!」」

 女性たちは言った。「だって私たちは、愛のために闘っているから!

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筆者のチョン・スユンさんは、こうした若者の動きの背景を書く。

 2014年4月16日のセウオル号沈没事故を挙げる。そのとき、ライフジャケットを着た学生たちが並んでいる。学生たちは「みんな、生きてまた会うんだよ」「うん、生きろ、生きろ」と会話していた。そのバックに、「皆さん、そのままにしていてください。今の場所で待機してください」というアナウンスが流れていた。その間に船長らは、脱出していた。そして学生たちは船と共に沈んでいった。

 「何もしないで、そのままに」という言葉にものすごい抵抗心があるわけです。何か不当なこと、不正義なこと、理不尽なことがある時、そのまま大人しくしていれば、死ぬ、死なれる、死んでしまう、という危機感とトラウマがあるから、とにかく行動に移す。これは今の若い世代の特徴だと言えます。

 そして。どこかに自分たちの助けを求める人がいれば、自分たちが助けられる立場にいれば、それがどれだけ辛くても駆けよって一緒に連帯し、力になろうとする。」

 その原動力は、愛、だという。「私たちは、愛だから」。

 そのような愛情は、日本にもある。石牟礼道子の詩に、「悶(もだ)え神」を記したものがあると、チョンさんは紹介する。「悶え神」とは、「自分は被害に遭っていなくても、被害者の悲しみを自分のことのように感じ苦しむ人のこと」をいうそうで、熊本県の水俣の言葉だそうだ。

 チョンさんは、石牟礼の詩を最後に紹介する。

花が/この世でもっとも悲しい人々の為に/ひらくように/平和は/泥にまみれ けりやられ つばをかけられ/してきた人々のためにある//今のあなたの暮らしが平和だから/平和を守れ というな/今のあなたの暮らしが/人々の貧困とうらみを土台にして/居る限り

 この連載の表題は、「言葉と言葉のかくれんぼ」である。ことばというのは、まだまだ美しく、輝くことができる。

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 酒井さんのことばは、2022年に亡くなった マイク・デイヴィスのものである。

 『地平』6月号の酒井さんの文の内容は、マイク・デイヴィスが著した本の内容を簡単に紹介するもので、5月号は「マリブは燃えるにまかせるべし」であった。マリブは高級住宅地、ロサンゼルス郡の美しい海岸部に造成され、住宅販売価格の中央値は400万ドル、約6億800万円だそうだ。そこは「悪魔の風」によって2年半ごとに大規模火災に見舞われる。しかし富豪たちはひるまない。保険をかけているし、そうした高級住宅地には当局が「厖大な予算を投入してくれる」からだ。

 同じように、ロサンゼルスのスパニッシュ・ハーレムであるウエストレイクも大規模火災に見舞われる。当局は、しかし「無視と無策」を提供(?)する。富豪には手厚い保護を、貧民には「無視と無策」を、これが現在の政府・自治体など「公共」がやっていることである。

 絶望?デイヴィスは、こう語るのだ。

 だれもがいつも知りたがっています。希望はないのか?希望を信じないのか?でも、人は希望があるからたたかったり、道をふみとどまったりするのではないとおもう。人がたたかうのは、愛と怒りからです。・・・絶望的にみえるたたかいであってもたたかってほしいと願いながら書いているんです。

 闘いの原動力としての、「愛と怒り」。アメリカと韓国から、同じようなことばがだされた。だが、日本からは?

 

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