浜松市の片田舎に住んでいると、自分自身を刺激する情報は基本的に本(雑誌も含む)しかないという状況に陥る。すでに退職し、農作業と読書に時間を費やしているわたしには、他者からの刺激はほとんどなくなっている。それにテレビも見ないし、Xもやっていないので、情報源は本、新聞となる。
『地平』6月号に「統一教会の行方」(藤田庄市)という文があった。統一教会は、宗教団体というより、カネ集め集団であるという認識が、わたしにはある。わたしの大学時代においても、東京の駅頭では彼らが様々な理由をつけて(たとえば洪水に見舞われたバングラデシュの民衆を救済しよう、とか)カンパ活動を行っていた。かれらの人を騙してカネを奪うという手法は、一貫している。大学を卒業して浜松に帰っても、彼らは自宅を訪問して、北海道の珍味を売りに来たり、署名カンパ活動をしていた。署名用紙をみたら近所の人びとが一律1000円のカンパをさせられていた。集められた多額のカネは、韓国にわたり教祖とそのまわりの人たちに豊かな生活を生みだし、自由民主党という利権政党にわたり、おそらく日本国内の幹部たちの豊かな生活を支えているのだろう。
わたしは統一教会に関していろいろな本を読んできたが、キリスト教を名乗りながら因縁とかわけのわからないことばを弄して人を騙し続けていることに怒りを感じていた。「先祖解怨」とかも、カネを集める手段となっている。
統一教会が宗教法人として存続することはできないだろう。当然のことだ。人からだまし取ったカネを私的に費消し、自由民主党に流し、しかも税金が課せられていないというのはまったく不当である。
統一教会への批判の高まりの中で、彼らは活発に宣伝活動を行っているという。「デモや街頭宣伝、集会の頻繁な開催、ユーチューブ、SNSをはじめとするネット上での大宣伝と、教団批判の元二世への攻撃は凄まじい」らしい。その原動力は、おそらく宗教的なものではなく、カネへの執着だろう。かれらは人を騙すことが人倫に反するとはまったく思っていないだろう。
だが、である。統一教会と同じようなことが、日本の仏教界でも行われている。近くの日蓮宗の寺院では、塀を新調するためといって檀家に最低30万円を求め、また庫裏(住職の家族らが住むところ) を増築したいからカネを求めるなど、カネ集めに余念がない。「坊主丸儲け」ということばがあるが、まさにその通りである。
だからわたしは、墓じまいをした。子どもや孫に不要な負担をさせたくないからだ。
仏教界、寺院がおこなっているそのような下地があって、統一教会のカネ集めがあるのではないかと思う。
統一教会は、集めたカネを韓国に送っている、日本の寺院はみずからの安楽のためにカネを集めている。わたしが墓じまいをした寺院に来ていた兼務住職(すでに亡くなっている)は、夕方になるとバス停に立つ。白っぽいスーツを着てお出かけである。外見は、〇〇〇風であった。おそらく夜の街にくりだすのだ。
統一教会も、ほとんどの仏教の寺院も、カネ、カネ、・・・・では共通している。
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