隠遁生活を送るということは、有益な情報は主に活字から拾うことになる。市井の人々と話すということは、まさに日常そのものの会話のなかに浸るということだ。
新聞を読まない人々が増えてきた。新聞配達を業としている人々は、たいへんな時代を迎えている。わが家に配達している人も、新聞を購読している家庭が少なくなって、はたしてこのまま続けられるかどうかを心配していた。
最近はテレビを見ない人も増えているそうだ。わが家も見ない。新聞にはテレビ番組欄があるが、チラッと目を通してみると、大宅壮一ではないが、「白痴化」を狙っているのではないかと思うほど、ヒドイ。現代社会に生きていて、考えなければならないこと、知らなければならないことは、まったく登場しない。表面的な笑いを得るためだけの番組が並ぶ。昔は「タメになる」ことが、テレビでも追求されていたが、今は「タメにならない」ことだけを報じるようになっている。要するに、見る価値はない、ということを認識する人々が増えているのだ。
新聞もその傾向がある。以前は東海本社発行の『中日新聞』 を購読していたが、読まなくてもよい記事のオンパレードであったのでやめた。その後、東京本社が発行している『東京新聞』が購読できることを知って、『東京新聞』にかえた。
すると、新聞を読む時間が、かなり増えた。『東京新聞』の「こちら特報部」でもその問題点を指摘していた「サイバー防御法」が成立したという記事が、今日の一面トップである。反対したのは、共産党とれいわだけであった。しっかりと覚えておこうと思う。野党といわれる政党で、維新、国民民主党はいうまでもなく与党に近い「ゆ党」であるが、立憲民主党の基本的な立ち位置は自由民主党と同じだとわたしは見ている。自民党・公明党政権が支える体制に異和感を持っていない政党であると、わたしは見ている。
さて今日の「こちら特報部」は、「国立劇場閉場1年半 建て替え進まず」「伝統芸能「聖地」立ち往生」である。日本の保守派は、日本の伝統などはどうでもよいのである。彼等が大切だと考えるのは、近代日本の、大日本帝国憲法下の国家体制、これだけである。この時代の制度だけは墨守ないし復活させようとする。他方、能狂言、歌舞伎、その他のほんとうの伝統的なものについては、カネをださない。軍事費は、躊躇なく増額させるのに、である。
国立劇場は当初建て替えではなく、改修の予定だった。しかし文化庁などが介入するなかで、建て替えとなった。建て替えの場合は、ホテルを併設するなど、民間企業がカネを儲けられるようなものにしようということになった。新自由主義が席捲する日本、文化よりカネ、それも大企業がカネ儲けできるようなものへと改造するのだ。都市開発は、すべてその構造をもつ。そこに住む人々、それを利用する人々なんかどうでもよく、とにかく大企業がカネ儲けが出来ればよいのだ。
そういう「今だけ、カネだけ、自分だけ」という下劣な考えに染まっている官僚や大企業たちは、ブルドーザーのように、人々の生活や「伝統芸能」を押し潰していく。
国立劇場や東京国立近代美術館など、「国立」がついてはいるが、大学と同様に「独立行政法人」が運営する。「国立行政法人」にしてからは、運営費は年々削られていく。
まさに自民党や公明党、その手先となった官僚たちは、人々の生活や文化などはどうでもよいのである。
新聞から情報を得るということは、怒りを覚えることにならなければならない。テレビと同様に、下品な笑いで終始する内容のものばかり流せば、「タメにならない」といって人々は離れていくのだ。
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