2025年5月17日土曜日

「独裁」への歩み

  最新号の『週刊金曜日』の「風速計」は、想田和弘さん。トランプ政治について、「独裁を目指しているトランプは、違法だろうがお構いなしで、とにかく出したい命令を出す。」と書いている。

 この傾向は、新自由主義ということばが徘徊する頃からでてきたと思う。民間企業のトップに権限や利益が集中する、それをまねて学校や自治体も右へ倣えで、トップに権限が集まる。浜松市などは、市職員の給与はあまりたかくないが、市長の報酬はトップクラスであった。このようにトップに権限やカネがあつまるようになった。

 そしてトップの連中は、自由に振る舞うことができるように、邪魔者を消し始めた。アベ元首相が、内閣法制局長官を自分の言うことに従う人物にかえ、法解釈を自由に変えられるようにしたのも、その一つである。

 日本政治のトップに居る者たちは、日本製の軍需品を開発し、輸出できるようにしたくてしかたがない。しかし、日本には「日本学術会議」というものがあり、学者研究者は軍事研究はしないという方針をもつ。その方針は、1945年の敗戦につながる「悪夢のような」大日本帝国の時代を繰り返させないという学者たちの決意からのものであった。

 支配層は、日本学術会議を換骨奪胎し、支配層の言うことをきかせる期間へと改造しようとしている。そのために解釈を変えたりしたのだが、その解釈変更を議論した文書を、政府は開示しない。そこで開示させようと裁判を起こしたところ、開示せよという判決が下された。 

 司法も支配権力により牛耳られているが、一部ではまっとうな判決を下す裁判官がいる。

 世界各国、どこの国でも、独裁へと向かっているように思う。独裁をしくためには、批判勢力を抑えなければならない。日本やアメリカだけではなく、どこでも、そういう傾向にある。

 トランプは、アメリカの大学を激しく攻撃しているが、それもその一つである。『週刊金曜日』には、ハーバード大学の抵抗が載せられているが、大学が権力のいいなりになってしまうと、「自由か、統制か」という選択はなくなる。「統制」へと一挙に向かうだろう。

 政治権力や支配層に対する批判と抵抗がなくなると、独裁は完成する。『週刊金曜日』や『世界』、『地平』などの雑誌や『東京新聞』などの新聞が、しっかりした批判記事を載せていくことが重要だと思う。

 人びとには、政治権力などへの批判意識があまりない。

 批判するためには、問題に対する知識が必要だが、それらの知識は、日常的な世界では交わされることはない。

 

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