2025年9月29日月曜日

「大江戸残照トリップ」

  『東京新聞』、毎週日曜日の最後の紙面には、必ず田中優子さんによる表題のコラムがある。これがなかなか読ませるのである。

 学生時代、もう50年ほど前になるが、わたしも東京に住んでいた。しかしあまり「観光」はしていないので、東京の名所旧跡はほとんど知らない。

 9月28日付の紙面は、「湯島」である。確か御茶ノ水駅から湯島聖堂の脇を通った記憶があるが、何のためにそこを通ったのかは覚えがない。神田明神には行ったことはあるが、湯島天神には行ったことはない。

 田中さんは、湯島聖堂と湯島天神を訪問している。

 「江戸時代は300年近くにわたって戦争がなかった。その大きな要因は「武士が学問をしたからだ」「戦争より学問の方がずっと面白いことがわかったのです。」

 徳川幕府は、内外の戦争をとめた。国内は言うまでもなく、アジア周辺で海賊行為を行っていたオランダを平和的な外交の枠組みに押し込めた。徳川幕府は、戦争のない時代をつくった。その平和の中で、浮世絵などの美術、文学、学問、芸術など文化的なものが発達した。

 田中さんは、「知識があっても感性や思考がなければ何にもならない。どんなに多感でも知識がなければ危ない。」と書く。 

 今や、豊かな感性や思考の源である「知」がひどく軽視されている。それが、今の時代を悪くしている。とりわけ政治家には、「知」のない者が多い。悲しい現実がある。 

2025年9月27日土曜日

【演劇】文学座「昭和虞美人草」

  さすが文学座!という舞台であった。舞台装置も文学座らしく、抽象的ではない、まさに舞台。

 内容は、まさにわたしの学生時代と同時代。1973年は東京で学生生活を送っていた。バック音楽は、ザローリングストーンズなど。まさにわたしの青春期の物語である。おまけに台詞の中に、「早稲田大学新聞会は革マル!」というのがあった。その通りである。「早稲田大学新聞」、今あるかどうかは知らないが、当時は、革マル派の機関紙のごときものだった。早稲田大学を暴力支配し、鉄パイプを隠し持ち、革マル派が主観的に「敵」とみなした学生に襲いかかっていた。その姿は、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)に記されている。

 さらに驚くべきは、演劇会場の入り口で、高齢者の革マル派メンバーが、10月11日、浜松市で行われる「平和のつどい」(豊田直巳さん、前川喜平さん等が来る)のチラシを撒いていたことである。この「つどい」は、新日本婦人の会浜松など共産党系の団体が実行委員会を構成しているようだ。浜松市の共産党系団体に、革マル派が入り込んでいるのかもしれない。

 文学座のHPの「昭和虞美人草」の内容紹介には以下のように記されている。

 時は1973年。
The Beatles、The Rolling Stones、Led Zeppelinといった70年代ロックにどっぷりと浸かり、大人への階段を上っている途中の若者たちが織り成す悲喜こもごも。代議士の息子である甲野欽吾は売れないマニアックなロック雑誌「エピタフ」を刊行している。盟友である宗近、小野、浅井らが編集に携わるという、いわゆる同人誌的な雑誌であった。
ある日小野と浅井が「エピタフ」を辞めると言い出す。それと同時に甲野の腹違いの妹である藤尾は司法試験のために勉強中である小野に急接近。しかし小野には郷里に小夜子という許嫁に近い女性がいるのだった。煮え切らない態度の小野に宗近が諭す。
「そいつはロックじゃないぜ…」
昭和の敗戦から、やがて高度経済成長の絶頂と終焉に向かう時代のうねりの中で錯綜する若者たち。夏目漱石の「虞美人草」をマキノノゾミが翻案し、熱く描いた青春群像劇! 

 このうち、小野は京都出身、小夜子の父の経済援助で大学(東京大学)まで行くことが出来た。小野にとっては、大恩人である。そしてその娘・小夜子と小野は、京都で交際していた。甲野家に出入りするうちに、その小野と代議士の娘である藤尾が付き合い始め、婚約寸前となる。しかし宗近が、小野と小夜子とその父との関係を知り、小野に「真面目になれ!」という。小野は、重大な選択を迫られる。

 みていて、わたしならまったく迷うことはしない。おそらく自民党の代議士である甲野家の生活の質、レベルは、ふつうの家庭とは異なる。絶対に甲野家の娘なんぞとはつきあわないし、当然結婚はしない(そういえば、Nさんという大金持ちの女子大生が文学部にいた。学生時代は1ドル360円の時代であったが、2年生の時、彼女はヨーロッパ周遊旅行に行き、絵はがきをおくってくれたりした。また彼女に誘われ、日動画廊や美術館にしばしば足を運んだ。彼女は児童文学が好きで、その関係でわたしもたくさん読んだ。よい影響を与えてくれたと思っている)。笑う者がいるかもしれないが、わたしには、プロレタリアートの魂があるからだ。 

 また「襟を正す」ことに関する対話もあった。1945年の破滅を体験した戦前戦中世代は、1945年に「襟を正す」ことをしただろうと、甲野欽吾と宗近が話す。それをききながら、「襟を正す」者はいたことはいたが、それは少数派であったことを指摘しておきたい。支配階層は、「襟を正す」どころか、新たな支配者であるアメリカに取り入ろうと必死の努力を行っていたのである。あの海軍や財界がその筆頭である。

 台詞の中に、いろいろ考えさせられるものがあった。とても良い演劇であった。

 Apple Musicと契約しているわたしは、iPhoneでザローリングストーンズの音楽を聴きながら帰った。 

2025年9月26日金曜日

自由民主党という政党

  自由民主党という利権政党の総裁選挙が行われているが、まったく関心がない。誰が総裁になろうとも、基本的な政策は変わらない。彼らは、米軍(米国)と経団連のための政策を、官僚たちとタッグを組んでただ進めていくだけだ。そうすることによって、利権を保持できるからだ。

 自由民主党という政党が権力を掌握したままだと、日本はもうどうしようもない状況へと突き進む。

 当地では、稲刈りが終わったと思ったら、その田んぼが、大量の土砂で埋め立てられる、そんなところがあちこちにみられる。日本の米作は、もう断末魔である。今までの2倍以上、米価が高騰して、国産米が売れない、そのなかで外国産米などが売られている。

 政治家は、しかし、危機感はない。彼らは米価がいくらになっても、買うことは出来る。庶民の生活状況などまったくかまわない。自由民主党の勢力が減少して野党の勢力が伸びたからといって、何か変わったか。何も変わらない。たしかに、自民党、公明党、国民民主党、立憲民主党、維新、参政党、これらは自由民主党と大同小異の政党であるから、変わるわけがない。

 地方では車がないと生活できない、しかし高騰しているガソリン代は安くならない。暫定税率は廃止されなければならない価格になっているにもかかわらず、廃止されない。高ければ高いほど、悪税たる消費税は増え、政府は「税収は最高だ!」とほくそ笑んでいる。

 10月から、食料品など3000品目の価格が上昇すると報じられているが、そうなるとさらに消費税収は増える。支配層はうれしくて仕方がないだろう。大衆課税たる消費税は、大衆から絞りとる税金だから、大企業などはうれしいだけである。輸出すれば、消費税が戻ってくるのだから、彼らはウハウハであろう。

 そういう政治を進めてきた自由民主党の総裁選。彼らが言うことはデタラメである。高市という極右政治家は、奈良の鹿が・・・などと虚言を吐き、小泉は何も分かっていないのに、農業はこうしたらどうかとばかな提案をする。何も分かっていない自由民主党の議員、彼らが欲しいのはカネと名誉である。とりわけ右派的言辞を吐く旧安倍派の面々こそ、頑迷な保守層に媚びを売りながら裏金を得てほくそ笑んでいる。国税庁もそれに対して課税したという話を聞かない。

 自由民主党、官僚、財界、そして政治家、いずれも利権に与り、私腹ばかりを肥やす。政治に期待しない庶民の気持ちも理解できるというものだ。

 国家というものの存在理由は、なくなりつつある。

 

2025年9月20日土曜日

国家主権もない日本

  世界から、アメリカの「属国」だといわれている日本。日本の国家政策は、すべてはアメリカの命令のまま。

 戦中の支配者が、一部を切り捨てたあとに、ひたすらアメリカに従うことが国家的利益(日本国家の支配者にとっての利益)だと決めて、ひたすらアメリカに忠勤を励んできた。

 今、利権まみれの自由民主党という政党のトップを決める選挙が行われようとしているが、誰がなっても基本は変わらない。

 まずアメリカのいうことを聞くこと、そして経団連などの財界の利益を最大限に追求すること、そうすれば自民党の議員諸氏は何もせずとも、カネが供給される。もし、それが法に触れたとしても、検察や官僚が守ってくれる。

 最近の日本の軍事拡大はすさまじいが、これとてアメリカと財界の要求である。対中危機だといいながら、日米の軍事産業にカネを注ぎ込む。

 こうした構造を批判しない政治勢力が、いくら「日本人ファースト」を叫んでも、「日本人ファースト」にはならない。日本人は、アメリカとそれと連携する財界の下僕となっている。日本人は下僕であるから、国民生活がより困難になっても、政治が何とかしようと思うわけがない。

 批判勢力が大きな渦となれば、米日支配層も少しは譲歩するだろうが、現在、批判勢力が極小になってきている以上、かれらは下僕たちの生活なんか歯牙にもかけないのである。やりたいことをどんどん進める、それが今の自民党の政治である。

 日本は安保条約やそれにつらなる密約で、国家主権をアメリカに譲り渡している「属国」なのだから、ひたすらご主人であるアメリカのご機嫌を伺うのである。

 戦争が起きれば、日本(人)は、アメリカを守るために戦うことになるはずだ。その準備が、今、南西諸島を中心に行われている。

 安保条約にもとづく政治経済構造を何とかしない限り、日本に未来はない。 

2025年9月18日木曜日

米が高い

  米が高い。その原因は、JAが概算金を上げたからだ、そうしないとJA以外の米穀業者により買われてしまう、やむなく上げたのだ、したがって消費者にはそれ以上の金額で販売されるようになると説明される。

 メディアはほとんどがそう説明する。しかし、米価について常に心がけるべきなのは、こうした米価高騰がなぜ起きたのか、ということを常に報じることだ。3年前からの猛暑が米作に大きな打撃を与え、農水省が発表する作柄指数が虚偽だったこと、本来3年前から対策をとるべきだったのに、何もしなかったこと。これが原因である。

 そして米価の高騰。こうなると、抜本的な対策は、食糧管理制度を復活させて、政府が農家の生産を支え、他方で米を消費者に安く提供する制度を構築することしかない。要するに、政府が国民の主食である米に責任をもつことである。

 しかし、政府、農水省は、小手先だけのことしかしない。これでは、米価は上がり続けるしかない。

  大企業やアメリカへカネをまわすことをやめ、国民にまわせよ!!国民から集めた消費税という大衆課税で集めたカネを、国民に返すのである。

 利権政党や利権政治家を追放しなければならない。彼らは、国民のためには何もしないのだから。 

  

巨大企業と企む自然破壊

  ハフィントンポストに「暑くなる東京、世界の都市が樹木を増やす中で伐採。ヒートアイランド対策に「逆行」するまちづくり」という記事が載っている。

 東京に行くと、その変化に驚く。超高層ビルが建ち並び、さらに建築中のビルもたくさんある。6月末に武蔵野大学有明校舎に行ったが、そこへ行くまでの景観をみると、超高層ビルがたくさんあった。東京湾からの海風を防ぐ役割を果たすと言われている。

 東京都は、三井不動産などとともに、自然破壊に勤しんでいる。神宮外苑再開発、日比谷公園・・・・・。都内各地の樹木を伐採し、そこに新たな開発計画により、巨大企業にばく大な利益をもたらそうとしている。

 世界各地の巨大都市は、緑を増やそうと躍起になっているのに、日本だけはそれに逆行する。

 別にわたしは東京に住む気持ちなんかさらさらないから、どうでもいいのだが、地球全体を熱くする施策に、政府や自治体が邁進している姿には唖然とする。

 日本という国には、「公共」という観念が育っておらず、とりわけ、企業は言うまでもなく、政府や自治体にもそれがない。大企業など企業のカネ儲けを助けることしかしない。カネ、カネ、カネ・・・・・・・「今だけ、カネだけ、自分だけ」。 

 日本はそんなことばかりしているから、 国民が貧しい国、他国民から「安い日本」といわれるようになったのだ。

 しかしそれも、日本国民自体が選んだ道でもある。国民も、公共性なんか振り向きもせずに、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の金銭哲学で行動し、自由民主党という利権政党を支持してきた結果が現在に至ったのである。東京都民も、小池百合子という利権政治家を都知事に当選させているのだから、東京都の緑がなくなるのも仕方がないか。

 東京都民は、緑を破壊し、コンクリートジャングルの中で猛暑に耐えて生きていくことを選んでいるようだ。

 

  

2025年9月16日火曜日

神に選ばれた民

  ユダヤ人は、みずからを神に選ばれた民だという。その民が、ジェノサイドを働いている。現在のイスラエルの方針は、ガザからパレスチナ人を根絶やしにし、神に選ばれた民をそこに住むようにするということのようだ。破壊し、パレスチナ人を殺戮し・・・ユダヤ教の神は恐ろしいことをさせる。

 このガザのパレスチナ人殲滅作戦で、イスラエルという国家は、世界の歴史にその罪業が刻まれていくことになるだろう。また、ナチスドイツによるジェノサイドの被害民族としての地位は、今後は失われていくことだろう。

 イスラエルから国外にでていく人びとも増えているそうだ。そうだろうと思う。みずからが属する国家が、かくもひどい蛮行を繰り返すのだから、イスラエル国民というアイデンティティーを捨てたくなるのも理解できる。

 イスラエルの地上軍が、ほとんど破壊し尽くしたガザに侵攻するそうだ。今度は街を完全な瓦礫とし、そこに住んでいる人びとを殺しまくるのだろう。

 ユダヤ教の神は、恐ろしいことをさせる。 

2025年9月14日日曜日

働くということ

  働くということは、生きていく上でとても大切なことだ。

 わたしは時間に拘束されるのがいやで、50代でリタイアした。その準備のために、貯金することに意を注いだ。そんなに貯められなかったけれども、3人の子どもも独立していたし、家のローンも終わっていたから、何とか貯金できた。

 退職後は、野菜作りをしはじめた。子どもに送ったり、近所の人にあげたりするだけの農業である。農業も働くという範疇になる。自然相手であるから、思い通りにならないことが多い。雨が降らない、猛暑が続く、昨年通りに栽培しても出来が悪い・・・・いろいろなことが起きる。その度にどうしたらよいかを考える。働くということは、自分自身を成長させる。

 もうひとつ、ボランティアに近く、いつも赤字であるが、歴史講座を引き受けている。今まで購入してきた大量の本を読むために、テーマを決め勉強する。本を読めば新たな知識を得ると共に、さらに問題意識がわき、学習意欲が増す。

 どんな年齢になっても、働くということは必要だ。それは自分自身を成長させる。在職中でも、いろいろなことを試み、自分自身を成長させてきたと思う。

 それも、基本的な所得があったからである。

 『世界』10月号が、「働き続ける私たち」という特集を組んでいる。日本が「売られている」状況、日本を訪れる外国人が「安い!」といわれる状況、これは自由民主党が官僚、そして経団連などの経済界とタッグを組んで、日本の労働者を低賃金で酷使しようという意図のもとに、制度改悪をおこなってきた結果である。輸出企業が、グローバリズムのなかで、日本の労働者を大切にすることを放棄してきたからでもある。

 その結果、労働力が大幅に不足する事態となった。しかし、自由民主党と官僚、財界は、その不足をより低賃金で働く外国人を入れることにした。外国人実習制度である。しかし、その外国人からも、低賃金が続くことから、日本が見捨てられつつある。

 自由民主党、官僚、財界の罪はきわめて重い。

 しかし、そのなかで、労働者の働き方を大きく変えた企業が、紹介されている。家具販売のイケア、広島電鉄。この二つの企業には非正規労働者はいない。皆正社員である。違いは、短時間で働く人、通常通りに働く人、つまり労働時間に差があるだけで、基本的な給与は変わらない。

 その結果、これらの企業では、離職者は減り、人手不足は解消し、他方労働者には働きがいが生まれている。労働生産性もあがっているはずだ。

 日本の労働生産性が低いのは、雇用する側が、労働者を低賃金で酷使してきたからだ。

 雇用する側は、イケアや広島電鉄の経験を共有すべきである。労働組合も、学ぶべきである。

 若者たちにとって、日本で生き、働くことが、苦痛ではなく、喜びとなるような社会をつくり出さなければならない。雇用する側にとっても、それはプラスに働くはずだ。

 日本は、改革されなければならない。そのためには、自由民主党という利権政党を、政権から永遠に追放しなければならない。かれらは、裏金に見られるように、自分たちの利権のことしか眼中にない連中である。

 

2025年9月13日土曜日

ささやかな抵抗

  サントリーの会長だった新浪某に関する情報がネットで騒がれている。家人が、彼のことを「気持ち悪い」、「いやな顔だ」などと言い、サントリーは買わないと言っている。

 わたしはかなり前から、サントリーは買わないようにしている。安倍という政治家がいたとき、どこかの大きなホテルで「さくらをみる会」を安倍が主催していた。その会に、サントリーが無料で酒を提供したというニュースを見たとき、サントリーは買わないと決めた。

 わたしが買わないもうひとつは、森永。ヒ素ミルク事件を起こしたが、きちんと後始末をしなかった記憶がある。さらにもうひとつ、雪印。田中正造につながる会社であるにもかかわらず、不正を働いたときにはすぐに謝罪をしたが、裁判が始まってからは居直った。

 さらにSUZUKI。これも買わない。故鈴木修が、浜松市政をみずからの思い通りにしようと、市長を鈴木康友にし、市政に介入した。企業経営と自治体運営とは、全く異なるにもかかわらず、である。浜松市では、鈴木修に気に入られた人が昇進したという話も聞いている。 

 そういう会社のものは買わない、というのが、わたしのささやかな抵抗である。 

東京一極集中

  『週刊金曜日』の「凱風快晴」というコラムで、内田樹が「都市への人口一極集中を止めなければならない」と主張している。「資本主義は必ず公共財の私有化と資源の一極集中をめざす」とも。

 東京都では、「公共財の私有化」を小池都政と三井不動産などが、それを推進している。ひどいことばかりしているのに、東京都民は小池都政を支持しているようだ。

 東京に行くたびに、超高層ビルが増えている。それらは超富裕層しか関係しない建物だろうが、しかし人びとは東京へ、東京へと移動している。

 最近、静岡県の牧之原市などで竜巻が起き、大きな被害が出た。竜巻による被害は、日本ではほとんどなかったことだ。しかし近年は、度々起きている。

 またここ3年間、酷暑と渇水、そして局所的な豪雨が続いている。当然農作物の成育にも大きな影響を及ぼしている。気候変動は、人間生活を脅かしはじめている。本腰を入れて、気候変動対策をしなければならないと思う。

 しかし、東京に住んでいる者たちは、あまりそれを意識していないだろう。とりわけ政治家、自由民主党という党所属の議員たちは、利権のために政治家になったものだから、そんなことを意に介さず、政争に明け暮れている。裏金をつくって自分の懐に入れても、国税庁や警察・検察は動かない。国税庁や警察、検察、そして官僚たちも、自由民主党と固い絆で結びつき、利権獲得に余念がない。まさに同じ穴のむじな、というものだ。

 東京都はカネがあるので、インフラなどへの財政支出ができるので、地方よりも快適な生活ができる。公共交通機関もしっかりしている。地方では、何をするにも車を使わなければならないから、ガソリン代の高騰は地方の庶民の生活を悪化させている。しかし、自由民主党、公明党は言うまでもなく、立憲や国民、維新も、地方の庶民が苦しんでいることなんか意に介さない。

 一昨日、東京都の一部を、豪雨が襲い、中小河川が溢水し、一定の被害が出た。

 わたしは、富裕者が集住している東京都で、いろいろな災害が起きれば良いと思っている。それでないと、能登半島など、度々災害に襲われている地方で生きる人びとの気持ちなど理解できないだろうと思うからだ。またそれにより、東京から地方へと移住する人も増えてくるのではないか。

 資本主義は、利潤拡大を求めて、今や公共財をも食い始めた。日比谷公園、明治神宮外苑・・・・・・・・大阪では、私学に大金を渡すことによって、公立高校を潰し、その土地に高層マンションを建てるなど、資本主義は「公」を大胆に食いつぶす、それを自治体や政府が後押しする。

 資本主義は、すでに末期に来ている。新自由主義は、その現れだと思う。新自由主義が極大利潤を求めながら、地球環境を破壊している。地球に生きる人びとは、果たして破壊を止めることができるだろうか。

 

 

2025年9月12日金曜日

行政は過ちを認めない

  戦前の日本は、国家無答責という概念があった。国家がやることには間違いがないから、いろいろな問題がおきても、国家は責任をとらないというものであった。

 日本国憲法がつくられ、国家賠償法が制定され、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」(第一条)ということになっている。

 しかし損害を受けた者が訴訟を提起することはなかなかたいへんなことである。だから、こういう法があっても、国家は、そういうことがない限り、責任をとろうとはしない。

 さて、国民が医療を受けようとするとき、健康保険証を持っていけば、保険による診療が安価な価格で受けられる。

 河野太郎という、あの裏金問題の自由民主党所属の政治家が、突如、マイナンバーカードと健康保険証を合体させ、紙の健康保険証を廃止すると宣言した。愚かな所業だと多くの人は思った。しかし、権力を持った者は、強引にそれを推進した。

 この問題以降、わたしは河野太郎の顔は見たくもない。愚策を、権力を使って国民に押しつけたのだ。

 河野は、しかし、愚策であっても押しつけた。2万ポイントあげるから、マイナンバーカードと保険証をつくって、と、カネをばらまくことによって愚策を国民に押しつけようとしたのである。

 その2万ポイントにつられて、多くの国民が、マイナ保険証をつくるべく、役所に殺到した。そうか、日本国民は、カネをぶら下げられると、愚策でも受け入れるのかと思い、日本国民の姿に、わたしは失望した。

 しかし、そのマイナ保険証が大問題になっていて、期限が切れた保険証でも使えます、という愚策を厚労省は発表したそうだ。

 こんなことなら、今までずっとうまくいっていた紙の保険証を復活させればいいじゃないか。

 わたしは、マイナンバーカードも、マイナ保険証もつくらなかった。愚策にはのらない、たとえカネをあげるから、といわれても。

 いま、そしてこれから、マイナ保険証がどのような問題を持ち続けていくか、荻原博子さんが解説している

 愚策は、葬り去らなければならない。河野太郎や官僚たちが素直に愚策であったことを認めて謝罪すればいいのだ。しかし、きっと頭を下げることはしないだろう。彼らには、「国家無答責」の、すでにない考え方がすりこまれているから。 

2025年9月11日木曜日

久しぶりに

  大きな二つの仕事の締め切りが迫っていたために、ブログを書く余裕を持てなかった。その間、石破首相が辞任するというニュースが流れてきた。

 自由民主党と公明党は、長い間政権を担ってきて、骨の髄まで利権で塗り固められた政党であると思う。その利権は、経団連などに集まる大企業、経済界との深いつながりの中でつくられてきたものだ。庶民から集めた消費税を中心とする税を、大企業など、自民党、公明党とつながりのある面々に横流しするのが、自民党・公明党政権の役割である。

 この二つの政党が政権を握っている限り、利権政治はなくならない。

 石破を引きずり下ろしたのは、政権を掌握したまま利権政治を続けたいという面々が、脅迫したためだろう。

 今日配達された『週刊金曜日』の「編集長後記」に「石破首相は国民ではなく党を守ることを選んだ」とあるが、その通りだと思う。「党を守る」ということは、利権政治を守るということでもある。

 自民党・公明党政権が続く限り、誰が首相になろうともあまり変わらないということだ。経済界、官界が、自民党・公明党政権を支えている。彼らは利益共同体である。

 自民党、公明党の支持率が下がっているそうだが、当たり前である。旧安倍派の、大日本帝国の戦時期の体制に郷愁を抱いている者たち、彼らはその郷愁を一方で語りながら、他方では裏金でせっせとカネを貯めていた。その裏金に対して、日本国家(警察、税務署など)の官庁は、彼らの罪を問うことをしなかった。なぜか。官界と自民党・公明党政権とがぐるだからだ。

 これほどまでに自民党・公明党政権が「悪」を働いているのに、まだ彼らに投票する選挙民がいる。

 少しおかしい、と思った選挙民の中には、参政党や国民民主党、維新などに投票した者がいるが、それらの政党と自民党とは相互に入れ替え可能な面々が揃っている。維新の元議員が参政党に行き、自民党の元議員も参政党に行く。要するに、同じような考えを持った政党であることだ。だから、それらの政党所属の議員が増えても、何も変わらない。悪くなるばかりだ。 そもそも彼らは、議員になることが、目的であって、国民のために何か良いことをしようとはまったく思っていないからだ。

 政治に冷めてしまったわたしは、晴耕雨読の日々を送りながら、横目で醜い政治家の動きを睨むだけである。あんな醜い生き方だけはしないようにしよう、という反面教師が、政治家の中にどんどん増えている。日本の劣化はとどまるところを知らない。

 

2025年9月6日土曜日

コロナワクチンの後遺症

  コロナワクチンが多くの後遺症患者を生みだしたことは、あまり報じられない。CBCテレビの大石解説、そしてNextTVだけが報じているが、コロナワクチンの危険性は、大手メディアからは報じられていない。こういうところに、大手メディアの信頼性を失わせているのだ。

 自民党・公明党政権がなぜコロナワクチン接種を積極的に推進したのかをかんがえるとき、やはりこれも利権であったと断じるしかない。

 物価高騰などにより庶民の生活が苦しくなっても、自民党・公明党政権はなんとかしようとしない。放りっぱなしである。彼ら政治家は、みずからとつながる利権にカネを送り込むだけだ。そして送り込んだ先から、政治献金などの「お返し」をもらう。

 コロナワクチンも、そうした類だろう。要するに、アメリカへの献金。もちろん庶民から集めた税金である。

 そしてコロナワクチンを接種したことにより、多くの人が苦しんでいる。その苦しみを、自民党・公明党政権はかえりみることすらしない。

 もし本当に、コロナを防ぎたい、コロナによる重症化を防ぎたいと、真に庶民のことを考えていたのなら、接種により後遺症を発症した人らに、丁寧な救済措置をとるだろう。しかし、自民党・公明党政権、厚生官僚はそんなことはしない。

 もうアメリカへの献金が終わったから、あとは知らないよ、ということなのだろう。

 そういう政権を、日本の選挙民は支えているのだ。

 

  

2025年9月2日火曜日

エンゲル係数

  エンゲル係数が歴史的な高水準になっているという記事をみた。確かに相だろうと思う。食品の価格上昇はとどまるところを知らない、という状況だ。年金生活の日々を送っているわたしには、できるだけ消費を減らすことが、現在の生きる知恵となっている。

 日本政府は、基本的に人権を守らない。もっとも重要な生存権ですら顧慮しない。選挙目当てのバラマキはするけれども、庶民の基本的な生活を維持することにはまったく無頓着である。

 長年続いた自由民主党と公明党の政治は、まさに利権政治そのものである。今も、軍事費に多額のカネを振り向け、日本の軍需産業をもうけさせ、アメリカの軍需産業にも多額のカネを支出している。

 日本国民が賢明な投票活動をせずに、長年自由民主党と公明党の政権を維持させてきたツケがきているのである。

 軍事費に多額のカネを投ずるということは、つまり戦争を誘発するということでもある。1930年代、日本の陸軍や海軍は、予算獲得のために戦争を拡大した。拡大することによって、みずからへの予算を増やしてきた。

 日本の、現在の軍事費の上昇をみていると、1930年代の、日中戦争からアジア太平洋戦争へと進んで行った日本の愚策を想起する。

 戦争が庶民の生活を破壊することは当然のことで、政府は三菱重工などの軍需産業への税金投入を増やしている。自由民主党などには、彼らから多額の政治献金がわたっているから、軍事費拡大は利権そのものである。

 こんなにも庶民の生活が破壊されているのに、政治は変わらないのか。

 日々暑さに耐えながら、読書その他に励んでいるが、この温暖化は何とかならないかと思う。新たに何かをしようという意欲を失わせる暑さである。