戦前の日本は、国家無答責という概念があった。国家がやることには間違いがないから、いろいろな問題がおきても、国家は責任をとらないというものであった。
日本国憲法がつくられ、国家賠償法が制定され、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」(第一条)ということになっている。
しかし損害を受けた者が訴訟を提起することはなかなかたいへんなことである。だから、こういう法があっても、国家は、そういうことがない限り、責任をとろうとはしない。
さて、国民が医療を受けようとするとき、健康保険証を持っていけば、保険による診療が安価な価格で受けられる。
河野太郎という、あの裏金問題の自由民主党所属の政治家が、突如、マイナンバーカードと健康保険証を合体させ、紙の健康保険証を廃止すると宣言した。愚かな所業だと多くの人は思った。しかし、権力を持った者は、強引にそれを推進した。
この問題以降、わたしは河野太郎の顔は見たくもない。愚策を、権力を使って国民に押しつけたのだ。
河野は、しかし、愚策であっても押しつけた。2万ポイントあげるから、マイナンバーカードと保険証をつくって、と、カネをばらまくことによって愚策を国民に押しつけようとしたのである。
その2万ポイントにつられて、多くの国民が、マイナ保険証をつくるべく、役所に殺到した。そうか、日本国民は、カネをぶら下げられると、愚策でも受け入れるのかと思い、日本国民の姿に、わたしは失望した。
しかし、そのマイナ保険証が大問題になっていて、期限が切れた保険証でも使えます、という愚策を厚労省は発表したそうだ。
こんなことなら、今までずっとうまくいっていた紙の保険証を復活させればいいじゃないか。
わたしは、マイナンバーカードも、マイナ保険証もつくらなかった。愚策にはのらない、たとえカネをあげるから、といわれても。
いま、そしてこれから、マイナ保険証がどのような問題を持ち続けていくか、荻原博子さんが解説している。
愚策は、葬り去らなければならない。河野太郎や官僚たちが素直に愚策であったことを認めて謝罪すればいいのだ。しかし、きっと頭を下げることはしないだろう。彼らには、「国家無答責」の、すでにない考え方がすりこまれているから。
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