さすが文学座!という舞台であった。舞台装置も文学座らしく、抽象的ではない、まさに舞台。
内容は、まさにわたしの学生時代と同時代。1973年は東京で学生生活を送っていた。バック音楽は、ザローリングストーンズなど。まさにわたしの青春期の物語である。おまけに台詞の中に、「早稲田大学新聞会は革マル!」というのがあった。その通りである。「早稲田大学新聞」、今あるかどうかは知らないが、当時は、革マル派の機関紙のごときものだった。早稲田大学を暴力支配し、鉄パイプを隠し持ち、革マル派が主観的に「敵」とみなした学生に襲いかかっていた。その姿は、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)に記されている。
さらに驚くべきは、演劇会場の入り口で、高齢者の革マル派メンバーが、10月11日、浜松市で行われる「平和のつどい」(豊田直巳さん、前川喜平さん等が来る)のチラシを撒いていたことである。この「つどい」は、新日本婦人の会浜松など共産党系の団体が実行委員会を構成しているようだ。浜松市の共産党系団体に、革マル派が入り込んでいるのかもしれない。
文学座のHPの「昭和虞美人草」の内容紹介には以下のように記されている。
時は1973年。
The Beatles、The Rolling Stones、Led
Zeppelinといった70年代ロックにどっぷりと浸かり、大人への階段を上っている途中の若者たちが織り成す悲喜こもごも。代議士の息子である甲野欽吾は売れないマニアックなロック雑誌「エピタフ」を刊行している。盟友である宗近、小野、浅井らが編集に携わるという、いわゆる同人誌的な雑誌であった。
ある日小野と浅井が「エピタフ」を辞めると言い出す。それと同時に甲野の腹違いの妹である藤尾は司法試験のために勉強中である小野に急接近。しかし小野には郷里に小夜子という許嫁に近い女性がいるのだった。煮え切らない態度の小野に宗近が諭す。
「そいつはロックじゃないぜ…」
昭和の敗戦から、やがて高度経済成長の絶頂と終焉に向かう時代のうねりの中で錯綜する若者たち。夏目漱石の「虞美人草」をマキノノゾミが翻案し、熱く描いた青春群像劇!
このうち、小野は京都出身、小夜子の父の経済援助で大学(東京大学)まで行くことが出来た。小野にとっては、大恩人である。そしてその娘・小夜子と小野は、京都で交際していた。甲野家に出入りするうちに、その小野と代議士の娘である藤尾が付き合い始め、婚約寸前となる。しかし宗近が、小野と小夜子とその父との関係を知り、小野に「真面目になれ!」という。小野は、重大な選択を迫られる。
みていて、わたしならまったく迷うことはしない。おそらく自民党の代議士である甲野家の生活の質、レベルは、ふつうの家庭とは異なる。絶対に甲野家の娘なんぞとはつきあわないし、当然結婚はしない(そういえば、Nさんという大金持ちの女子大生が文学部にいた。学生時代は1ドル360円の時代であったが、2年生の時、彼女はヨーロッパ周遊旅行に行き、絵はがきをおくってくれたりした。また彼女に誘われ、日動画廊や美術館にしばしば足を運んだ。彼女は児童文学が好きで、その関係でわたしもたくさん読んだ。よい影響を与えてくれたと思っている)。笑う者がいるかもしれないが、わたしには、プロレタリアートの魂があるからだ。
また「襟を正す」ことに関する対話もあった。1945年の破滅を体験した戦前戦中世代は、1945年に「襟を正す」ことをしただろうと、甲野欽吾と宗近が話す。それをききながら、「襟を正す」者はいたことはいたが、それは少数派であったことを指摘しておきたい。支配階層は、「襟を正す」どころか、新たな支配者であるアメリカに取り入ろうと必死の努力を行っていたのである。あの海軍や財界がその筆頭である。
台詞の中に、いろいろ考えさせられるものがあった。とても良い演劇であった。
Apple Musicと契約しているわたしは、iPhoneでザローリングストーンズの音楽を聴きながら帰った。
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