この紹介文は、2006年に書いたものだ。
大学生であった金さんが、ふとしたことから詩人桜井哲夫とであい、桜井さんと共に韓国や桜井さんの故郷青森に行ったことなどを、背伸びしないでのびのびと描いた本が、これである。さわやかな、それでいて桜井さんが抱える問題群をきちんと呈示している、読み甲斐のある本である。私は、一気に読んでしまった。読み終わらずに寝ることができなかった。
その理由は、詩人桜井さんの人間の大きさである。正直写真の顔は衝撃的だ。ライに冒され、金さんも最初は正視できなかったと書いている。しかし、桜井さんの精神の気高さは尋常ではない。
彼の詩をひとつだけここに掲げさせてもらう。
おじぎ草
夏空を震わせて
白樺に鳴く蝉に
おじぎ草がおじぎする
包帯を巻いた指で
おじぎ草に触れると
おじぎ草がおじぎする
指を奪った「らい」に
指のない手を合わせ
おじぎ草のように
おじぎした
この詩を書いた理由が記されている。
「あのね、部屋でぼんやり座っていたら、普段気にならない蝉の声がふと耳についたの。あんまり元気にミーンミーンと大声を張り上げているから、今日は晴天だなと思った。というのも、蝉って曇りの日には大して鳴かないからね。ああ、青空がいっぱいに広がっているんだなって。目の見えない俺に、そのことを蝉が知らせてくれたわけ。そうしたら急にうれしくなってね。久々に散歩に出かけたの。みんな空っていうと、上を見上げるんだけど、俺は空ってどこから始まっているのかよくわからないのね。いま座っているこの胸のあたりから、もう空なんじゃないのかな。そうしたら、胸の中、心の中いっぱいに青空が広がるんだよね。何ともない平凡な一日が、あっという間に素敵になったの。それで思わず、蝉にありがとうっておじぎしたの。そうしたら道端にそっと咲く小さな花にも、いつもおじぎしているおじぎ草にも、今日という日をこんなに素敵にしてくれてありがとうって言いたくなって。ここでこんな出会いがあるのなら、らいになってよかったって思ったんだよね」(14~15頁)
私は、この詩とこのことばを読んで、もうことばがでない。桜井さんという人間そのものが、確かに私をギュッとつかんだのだ。
この本には、桜井さんの発言がところどころにある。それが心に迫ってくる。
「俺はね、自分の顔に誇りを持っているの。この顔には、苦しみや悲しみがいっぱい刻まれているのね。またそれを乗り越えてきたという自信も刻まれているの。だからね、崩れちゃって入るんだけど、いい顔なんじゃないかな。だってこの味わいは、俺にしか出せないものでしょ。エステに行って磨いても、そう簡単には出せないよな。でもね、この顔で人を怨んだり、泣いたりしていると、もう目も当てられない。自分だって見ているのが苦痛なくらいひどい顔になっちゃうと思うよ。だからね、いつだって笑顔でいるの」(21頁)
「たとえば、詩の構成を考えているとき、どうにもスッキリまとまらないことがあるでしょう。それで頭がキリキリしてきても、ああ、めんどうくさいから今日はここまでにして明日またやろう、なんてことは絶対にしないの。そんなことをしてては、いつまでたってもいい作品は書けない。もう明日はないんだと思って、この今日という日に自分の全力を尽くす。そういう気持ちで今日まで生きてきたし、書いてきたんだから」(74頁)
「世の中に詩を書いている人はたくさんいて、何も50を過ぎて、今さら俺なんかが史をはじめなくたっていいんだけど。俺が書いているんじゃないんだよね。何かに書かされているというか、書かせてくれるというか。俺は文字で詩を書かない。文字で詩を書いている人はたくさんいるから。俺はね、言葉で詩を書きたい。俺の詩は、たくさんの人が俺にくれた優しい、暖かい、愛がいっぱいの言葉から生まれてくるわけだから」(120頁)
桜井さんは韓国に行ったり、17歳の時に離れた故郷を訪ねる。韓国旅行、青森訪問について書かれた内容が、また心を打つ。桜井さんは韓国へ行きたいという理由をこう語る。
「戦争に行かなかったからこそ、よく見えたの。この療養所の中にも、韓国・朝鮮人患者がたくさんいたでしょう。彼らがここにいることだって、日本の植民地政策によるもの。どんな人にも、人の生きる場や自由を奪う権利はないの。それを日本人は、自分たちの理想を押しつけて、朝鮮の人たちの人間としての尊厳を奪ってきた。俺も、俺の人生の時間を長い間奪われてきた。だからこそ、二度と同じことが繰り返されないようにきちんと謝罪したい」(140頁)
そして韓国で、多くの人々と交流し、そこに暖かい人間の関係が生み出される。
まさに、いま桜井さんが生きているそのこと自体が、詩であり、感動なのである。しかしそこまでに到る桜井さんの人生の厳しさを想像しないわけにはいかない。そのことも記されているが、想像を絶する苦労があったはずだ。
ところで、桜井さんの本名は、長峰利造という。現在81歳だろうか。著者の金正美さんも、岩村正美という通名をもつ。日本の近代が、桜井さんにも、金さんにも別の名を持たせた、その問題群に思いをはせる。
「しがまっこ」は津軽弁で「氷」のことだという。日本の国内で、本当に「氷」は溶けたのだろうかと、ふと思うのである。
※のちにわたしは、『桜井哲夫詩集』を購入した。