ネットニュースなどをみていると、女性が殺される事件が目につく。さいたま市で女子高校生が殺害された事件、被疑者は人を殺そうとして徘徊し、目にはいった高校生を殺害した事件ではないかと思われる。なぜ女性か、男性ならば激しく抵抗されて目的を達成できそうもないから女性を狙った?
殺された女子高校生はほんとうに気の毒で、おそらく楽しい人生を送ることができただろうに、ひとりの迷える男のために人生を絶たれてしまった。ご家族の悲しみはいかばかりか。
『週刊金曜日』4月18日号に、『韓国、男子 その困難さの感情史』が紹介されていた。発刊時に読まなければならない本として記憶していたものだ。
「男性支配とは、権力を持った少数の男性のために、さして見どころのないその他大勢の男性が、情熱と誠意を尽くして使える不公正なゲーム」だと、著者は書いているそうだ。みずからが男性であるという意識から、男性支配構造を支える。その男性は、傲慢さともろさをもち、「不安定な社会で」「男たちの不安が女性たちをひどく抑圧」する。
紹介文を読むだけで、これは読まなければと思う。評者も「紛れもなくここには僕らのことが書かれている」と書く。韓国だけの問題ではないのだ。
『週刊金曜日』同号には、田中優子さんの選択的夫婦別姓問題にも、これは続いている。
夫婦別姓の「反対論者はなぜか、約2000年の日本の歴史のうち、明治の男子承継天皇制国家に、1898年の同姓家族制度が加わった、敗戦までのたった47年間だけを伝統としている」。日本の「伝統」を守ろうとして、民主主義的な制度、思想を攻撃する者たちが「伝統」とするのは、明治に打ち立てられた支配構造のなかで生みだされた「伝統」だけを「伝統」とし、それを押しつけようとする。夫婦別姓こそ日本の伝統であり、「東アジアの中で、西欧にならって夫婦同姓を法制化したのは日本だけ」なのだ。何という西欧崇拝!
そして夫婦別姓を主張する自民党系の人たちは、女性皇族が宮家を創設するという案に、女性皇族の結婚相手は民間男性であるが、その民間男性は「それまで通りの姓を持ち、仕事をし、選挙権があり、憲法で人権を保障される」、つまり「皇族」には含めない、という。
記者会見で、「身分も姓も生活も異なるわけですが、家族生活を営めるのでしょうか」という問いに、「家族の営みに姓は関係ありません」と答えたそうだ。論理をもたない自民党系の議員たち。
生活不安が渦巻く現在、なくならない差別構造が時に飛びだし、女性がその構造に留まることを要請される。
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