今日、わたしは浄土真宗門徒(西本願寺)となった。東京の築地本願寺に行き、護持講の一員になった。
以前にも書いてきたが、わが家の先祖(父)が祀られている寺院は、曹洞宗であった。子どもの頃、住職がいなくなり、近隣の寺の住職が兼務住職として、わが家の菩提寺にくるようになった。しかしその住職は、カネ、カネ、・・・子ども心に、坊さんがこれでよいのかと思い続けてきた。
母が亡くなり、葬儀を浜松ではなく埼玉県の某市でおこなった。母は晩年の10数年、娘(わたしの姉)の住むところで生活し、住民票も移していたからであった。
しかし葬儀を菩提寺でおこなわなかったことから、遺骨を菩提寺の墓に入れることはできないといわれ、良い機会だと思い、墓じまいをした。そうなると、遺骨をどうするかという問題が生じる。
わたしは死後にも位階をつけ差別する曹洞宗などの宗派には疑問を抱いていた。その位階に応じて寺に収奪されるカネも変化する。しかし浄土真宗は、「居士」、「信士」とかの位階はなく、すべて「釈」で平等である。こうであるべきだ、ということで、父と母を浄土真宗のお墓(大谷本廟)に納骨することにした。
ところが、そのためには、浄土真宗西本願寺派の寺院の承認が必要だという。わたしとしては、特定の寺院と関係を持ちたくはない。もう曹洞宗寺院で懲(こ)りているからだ。
築地本願寺に行ったのは、特定の寺院とつながることなく、築地本願寺の護持講に入ることにより、父と母の遺骨を大谷本廟に納骨することができることがわかったからだ。
ということは、わたしは今日から浄土真宗、すなわち一向宗門徒となったわけである。
一向宗門徒は、戦国時代、織田、松平(徳川)などの戦国大名に徹底的に弾圧・迫害された。三河や北陸ではとりわけひどかった。大坂城は、石山(大坂)本願寺の跡地に建てられたものだし、金沢城も一向宗の寺院である尾山御坊を織田が攻め落とした後につくられたものである。
一向宗こそ、戦国期の軍事勢力に対して果敢に闘った宗教といえよう。
わたしも一向宗門徒としてこの世を去り、遺骨は大谷本廟にいくことになるであろう。
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