昨日、東京地方裁判所に行った。裁判傍聴である。6年前、2020年10月、内閣総理大臣菅義偉は、日本学術会議が会員候補者として推薦した学者105名のうち6名の任命を拒否した。今までは、学術会議側が推薦すれば、自動的に任命されていた。前代未聞のことであった。任命されなかった6人は「なぜ?」と問う。
「拒否」はあってはならないことである。「拒否」は不当な権力行為であった。
任命されなかった6人は、どうして「拒否」されたのか、その理由を知りたいと思う。当たり前のことだ。だからそれに関する情報公開を求めて訴訟を起こした。
しかし、政府は、それに関する文書はない!と言い続ける。恥ずかしい国だ。
民主的な国家というのは、あらゆる行政行為がどのようになされたのか、国民が検証できるように資料を作成し、保存し、公開しなければならない。だが日本国家は、できるだけ隠そうとする。見せたくない。見せたくないから、ないという。それが主張できなくなると、小出しにしたり、改竄したりする。
日本は民主的な国家ではない。
Tansaという報道機関が、アベもと首相の葬儀が「国葬」(政府は税金をつかって個人の葬儀を執行した)として執行されたが、これも従来からの慣例からは導き出されないことから、何故に「国葬」とされたのか、それに関する文書を公開せよと訴訟を起こしている。
ない、捨てた・・・などと、政府は強弁する。
日本国家は、民主主義とはとうに縁を切っている国家である。
そうした状況をそのままにしておいてよいのか。日本の民主主義が試されている。
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