今はなき戦後歴史学の担い手であったひろたまさきさん。ひろたさんが亡くなられてから、わたしの研究意欲も大いに減退した。わたしが書いたものを確実に読んでくれて、批評をしていただいていたからである。書いても、ひろたさんがいないと思うと、ほんとうに寂しい。
ひろたさんからいただいた手紙の中に、『三十七人の著者 自著を語る』(知泉書館、2018年)のコピーがあった。いただいたときに読んでいたとは思うし、必ず読んだ後の感想を送っているはずだ。手紙には、「面白いかどうかだけでもお知らせ下さい」と書かれていたから。
ひろたさんは、福沢諭吉の研究から研究を始めた研究者である。この本に寄せた文は、ひろたさんの福沢研究を振り返ったものだ。
啓蒙思想家から「帝国主義イデオローグ」として福沢を規定するも、ひろたさんは、その福沢には「罪障感」があったという。
『百余話』の「立国」から以下の文章を引いている。
辛子粒に等しき此地球の表面に、区々たる人類が各所に群れを成して、国を分かち政府を立て、相互に利害を異にして相互に些末を争ひ、之が為には往々詐欺脅迫の事を行ふて外交政略と称し、乱暴殺人の方を工夫して武備国防と名づけ、心を労し財を費して実際に人間の安寧幸福を害し事物の進歩改良を妨げながら、却って自ら誇て忠君愛国など称するこそ可笑しけれ。(中略)開闢以来今日に至るまで、世界中の人民は唯相互の衝突に煩悶して死生又死生するのみ。誠に憐む可き次第。
「帝国主義イデオローグ」として、日清戦争勝利を祝福し、軍備増強を、福沢は説いていた。しかし、確かにこの文を読むと、「大日本帝国」の随伴者として、福沢は両手をあげて賛成しそこにのめり込むのではなく、ある種醒めた眼で「大日本帝国」をみていたということがわかる。「大日本帝国」の行状を「悪いこと」であると認識しながら、「イデオローグ」として叫んでいたといえるだろう。
果たして二一世紀の女性宰相は、そうした「罪障感」を持っているのだろうかと、ふと思う。おそらく彼女は、持ち合わせていない。
だから怖い。
ひろたさんは、日本国憲法九条を念頭に、もし福沢が生きていたら、「世界平和」の道を選ぶという可能性を示唆している。そうなら、福沢は「罪障感」を持つ必要はなくなる。その道を選んだのではないかと。
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