昨日届いた『週刊金曜日』。白井聡の文が興味深かった。
白井は、「日本の多くの投票者にとって「選挙に行く」とは、「自民党に信任票を入れる」ことにほかならない。有権者は、自民党の統治に不満を感じて他党派に票を投ずる場合もないわけではないが、2~3年後には「やはり自民党」という投票行動を現にとってきた。」という。
そうだね、日本の選挙ってそういうもんだね、と同感する。だってまわりには、保守的な思考を持った人ばかりだから。そしてまた、反体制的なことをいっていた人の中にも、一定の年齢になると、「出世」したいのか、そういうことを言わなくなり、いつのまにか「出世」の階段を登っている。ほとんど悩みもせずに、である。
だから、いつも、おかしいことをおかしいと言い、怒るべきことを怒る人は、マイノリティでありつづける。
さて、また白井は、「自民党の驚異的な柔軟性」を指摘する。「自民党をまとめあげる唯一の共通アイデンティティは「反共主義」のみであった 」、自民党の柔軟性(変転)は、「無思想と無節操」による、という。いや自民党には「思想」はあると思う。それは「拝金主義」であり、「名誉欲」である。自民党を支持する有権者も自民党と同じ思想の持ち主で、「無節操」も共通している。
白井は、「体制の崩壊過程がカンマンである限り、標準日本人は自民党を支持し続けるし、民主主義が肯定的な意味で機能する可能性もない。ゆえに、民主主義擁護の言辞は完全に無意味である。そうしたなかで、残る価値は自由である。」「自由擁護のためには自由を尊重するあらゆる社会的勢力が連帯しなければならない」で結んでいるが、しかし「標準日本人」は、自由を価値として認識することはないと思う。自由を使いこなせないから、日本はこんな社会になったのだ。「標準日本人」は、自由から逃走し、権威にすがりつく。そういう姿が、あちらこちらで見られるではないか。
特集は、「「高市一強」を問う」であるが、白井の文以外たいしたことは書かれていない。
「標準日本人」には、政治的リテラシーはない。そういう人びとが日本をつくっているのである。だから自民党が権力を持ち続ける。
0 件のコメント:
コメントを投稿