2026年1月29日木曜日

社会学の隆盛

  長年近現代史の研究をしてきた。わたしは法学部の出身ではあるが、歴史の研究方法などは歴史学者として多くの研究ある人びとから手ほどきを受け、文学部史学科出身の研究者、歴史研究の方法を身につけた人びととも交流し、一定のレベルにまで達していると思っている。

 しかし今日、歴史研究の担い手として、文学部ではなく社会学の分野の人びとの名を多くみる。実際、大学の文学部史学科で学ぶ人びとの数は減らされてきている。大学のアメリカ化が進められる中で、当初日本の大学制度はヨーロッパ型で出発して、学部構成もヨーロッパ型であった。法学部、文学部、理学部・・・・というように。

 文部官僚がアメリカに多く留学する中で、大学制度の改変がある度にアメリカ型へとほぼ強制的に変えられていき、その結果、歴史研究は文学部史学科ではなく、社会学部で行われるようになってきた。

 その結果、方法的に史資料の扱い方が無原則になり(史資料の価値にはおのずから軽重があるが、社会学者はそれを軽視するなど)、また研究の視点というか立場も、流動的なものへと変わっていった。

 最近わたしは、1960年代末から70年代初めの高校紛争に関することを書いたが、その時代を取り扱った小熊英二(社会学者である)の『1968』に大いに異和感を持った。

 今読んでいる酒井隆史『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)には、小熊のその本に関して、「その事実確認のおびただしさ、当事者の認識とみずからの解釈との重大な齟齬を平然と無視する独善的記述」(167)と書いている。同感である。しかし、社会学者が歴史研究を行う際によくあることでもある。これはまた、民俗学者とも共通する。史資料に対する謙虚さと敬意がないから、みずからの立てる仮説に都合が良くなるように史資料を扱う。

 学問研究に厳密さがなくなってきている。

 それと歩調を合わせるかのように、学問研究のもつ意味が社会の中で軽んじられる傾向が強まっている。 

 今日、『現代思想』の臨時増刊号「ハンナ・アーレント 生誕120年」が届いたが、その巻末のコラムに、「現実のなかでいったい思想に何ができるのか」と問う文があった。思想を学問と読み替えてみてもいいだろうと思うが、思想や学問が現実と乖離してしまっている、本来ならば思想や学問が現実との距離をつめていかなければならないのだろうが、実際にはどんどん離れて行ってしまい、人びとにとって思想や学問がある意味で無用なものになってきているように思える。 

 酒井は、先の書籍で、「社会機構に刻まれた「忘却」によって、言葉が発せられるやいなや、まとわりつく社会的文脈、歴史的文脈が解体される。言葉に「いま」しかなければ、矛盾や一貫性を気にしたり、それに首尾一貫性を与える必要もない。同時に、両義性や意味の膨らみといった言葉の持つ効果も衰弱し、その領域は平板な平面と化してくる。というのも、両義性や多義性が生じるのは、一貫性や整合性が絶えず参照項として想定されているがゆえにだからである。」(34)と書いているが、公的な場で、明確なウソや思いつきを平気で語り、それがウソであること、間違いであることを指摘されても平然とかまえる人びと。とりわけそれは政治家に多く、安倍晋三や高市早苗にそれが甚だしいのだが、ことばは孤立した「いま」だけのもので、それが真実であるか、根拠があるかは、あるいは一貫性があるかなどというものは、人びとにとってはどうでもよいことになっている。

 まさに学問や思想といったものが、人びとのあいだには存在しない状況となっている。存在しないのだから、無用であろうと有用であろうとどうでもよいのである。

 学問や思想が軽視され、それが社会の中で疎外されている状態が、新自由主義の資本主義の特徴であるように思える。そんなことに関心をもたずに、カネだ、カネだ・・・・・

 書き始めたら、主題と離れたところにまで来てしまった。現実は、混沌としている。そのなかで、ひっそりとあるいは騒々しく、日本は危険な方向に動いている。止めることはできないだろうか。開高健の「パニック」を想起する。

 

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