昨日の『東京新聞』のコラム「時代を読む」は、宇野重規さんの「「知の独立」の転換点」である。
アメリカのトランプがハーバード大学などに対して攻撃を仕掛けている。それに関して、日本の大学などが、留学生や留学しようとしている学生を引き受けようと言明している。
しかし、独立して業務を行っていた日本学術会議を解体して、学問を政権の従属下におこうとしている法案が成立した、そんな日本社会が「自由な知の交流の場」となるだろうかと、疑問を呈している。その通りだと思う。
国立大学が法人化された後、文科省からの天下りを受け入れ、理事会などに経済界の人員を入れて、大学も独立性を失ってきている。
考えてみれば、アベ政権以降、内閣法制局、日本銀行・・・・・・など、今まで独立して業務を行っていた国家機関が、次々と政権の意向を実現するような従属機関へと変質させられている。
こうした国家機関だけではなく、あちらこちらで、独立性がなくなっている。独立性がなくなる契機は、カネ儲けではないかと思う。
大学が文科省の役人を天下りで受け入れ、理事会に財界人をいれるのは、大学への国からのカネ、経済界からのカネを受け入れやすくするためである。
また、同紙の「こちら特報部」には、明治神宮外苑の再開発を厳しく批判している石川幹子さんについて報じている。
再開発の主体となっている大企業や明治神宮なども、カネ儲けがその原動力になっている。
カネを前にして、独立性をなくし、隷属への道を歩もうとする組織、個人が増えている。
確かに、独立性を保持しようとすると、経済的に損することもあるが、しかし独立性を維持することは、みずからの尊厳を守ることでもある。
学問の独立を守ろうとして闘っている学者たち、その一方で学問の独立よりもカネのために隷属化を受け入れようとする御用学者たち。
わたしは、カネの前に独立性を失い、みずからの尊厳を売り渡したくはない。そういう人間が増えれば良いのだが、それは難しい。社会のニュースをみれば、独立性を失った人びとが動き回っている。そういう人びとには、尊厳は不要なのである。
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