今日届いた『東京新聞』の読者欄に、D・グレーバーの『啓蒙の海賊たち』(岩波書店)が紹介されていた。評者は、いとうせいこう。
グレーバーは、「啓蒙主義」の源を、マダガスカル北東部に定住した海賊の「頑ななほど平等主義的」で、支配者をおかない社会があったところに求める。
いとうは、海賊ということから、中世東アジアの「倭寇」も、そのような傾向を持っていたのではないかと推測する。
わたしは、この指摘に、倭寇について調べてみたいと思うようになった。
また、いとうは、シリア北部のロジャヴァ自治区のクルド人の全員参加の民主主義を実践した実験に言及する(『女たちの中東 ロジャヴァの革命』青土社)。
そして、最後にこう結ぶ。
こうしてある意味辺境で自由平等が目指されたことを中央は積極的に忘れる。抵抗は思い出すことから始まる。
短い文ではあるが、こころを動かされる書評であった。
東京都で都議選が始まった。中央は忘れても、辺境では抵抗の炎はくすぶり続いている。
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