れいわ新選組が、大阪京橋で、イスラエルによるジェノサイドに関して街頭宣伝を行った。たいへん感動的な集会であった。
ストップ・ジェノサイド!!
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れいわ新選組が、大阪京橋で、イスラエルによるジェノサイドに関して街頭宣伝を行った。たいへん感動的な集会であった。
ストップ・ジェノサイド!!
右へ、右へ・・・というのは、世界的傾向である。どの国でも、新自由主義的な施策を展開してきて、その結果、庶民の生活が苦しくなる一方で、富裕層の財産が大幅に増えている。こうなると、ふつうに考えられる政策は、富裕層に課税して、所得の平等を図るということになるのだろうが、そうはならない。富裕層が政治家と結託してみずからに有利になるような施策を行わせているからである。
では庶民は?というと、庶民はほとんど政治のことには関心なく、日々の生活を営むことに精一杯。しかし、自分たちの生活が困難になっていることは肌で感じている。そんなとき、その原因を深く追究するのではなく、身近なところにその原因を見出し、それを攻撃するようになる。
『地平』11月号は、なかなかよい特集記事を載せている。「左派は復活できるか」という特集で、英、米、独、仏四カ国の現状を報告していて参考になる。日本で起きていることは、同時にそうした国々でも起きていることがわかる。
新自由主義的な施策で、アメリカでは、富裕層上位1割が、富全体の7割近くを保有、下位半数が保有する富はわずか3%。ドイツでも、10%の最富裕層が総資産の67.3%を占有、フランスでは、2003年から2023年までに、超富裕層500人の財産は9・4倍に増え、貧困層は人口の16%となっているという。
こういう格差拡大のなか、何をなすべきかは財産税などで富裕層に課税することが考えられるが、そういう政策はしない。労働者の利益を代表する政党は、どこの国でもあるが、そのような政党が新自由主義的な政策をためらいもなく続けることによって、そうした政党に期待をかけていた庶民が支持しなくなる。
アメリカの民主党、イギリスの労働党、フランスの社会民主党など、庶民にそっぽを向かれている。日本の立憲民主党も同様である。これらの政党は庶民の苦しさを改善しようという気持ちなどさらさらない。したがって、既成政党には、期待できないという状況がある。そのなかで、極右政党が台頭し、デマや虚偽を流布することによって庶民の支持を得て、彼らに権力を渡す。その結果、庶民の生活はより悪化するのだが、庶民はそんなことに気づかない。外国人が・・・・などと、悪化の原因を身近な存在に求めるのだ。結果、たとえば、トランプは、大統領という立場を利用して巨額の利益を得る。
テレビメディアを先頭に大手メディアも支配層と結託し、またSNSでは極右政党が無責任なデマを流す。庶民は、考える材料を与えられない。もちろん、みずから手に入れようと、たとえばこの『地平』などを読めばよいのだが、そんなことはしない。庶民は忙しいのである。
こういう厳しい状況の中で、どこの国でも少数派の「左派」が頑張っている。イギリスのコービンらによる新党、ドイツの左翼党、フランスの「新人民戦線」。日本では、わたしがみるところ、「れいわ新選組」がとにかく頑張っている。
庶民全部が「右へ、右へ」というわけではないだろうが、政治家諸君は総じて「右へ」と進んでいる。自由民主党なんかは、ほぼネット右翼と同一化したようだ。大企業労働組合に組織されている連合の労働者も、連合会長と共に「右へ」と歩む。参政党や維新は自由民主党とあまり変わらない。立憲民主党は、地位名誉財産をもとめて議員になりたいという人物によって構成されている。「世のため、人のため」に政治家を志す者はほとんどいない状態だ。そのなかで「れいわ新選組」だけが、その先頭に立とうとしている。しかし日本の「左派」はきわめてマイノリティとなっている。それを挽回する手だては、今も見つかっていないように思える。
見たくない顔の第一は、安倍晋三のそれであった。最近は彼の顔がでなくなったので、ホッとしていた。しかしその後、出るわ、出るわで、見たくない顔が増えていった。
さて傲慢な顔をもつ高市が、これからたくさん出てくるだろう。彼女は、根拠なき奈良の鹿の問題で注目を浴びた。ネトウヨと同類であったということだ。そのネトウヨを選んだ自民党の諸君は、ネトウヨと同じだ。
しかし高市も自民党、アメリカと経済界の指示通りに動くしかないから、今までの自民党と同じような政治を行っていくのだろう。
自民党の政治が続くということは、要するに悪政が続くということである。庶民の生活はよくならないだろう。
わたしが情報を得ているのは、『東京新聞』とネットによるニュース記事、そして『週刊金曜日』、『世界』、『地平』などの雑誌である。
最近は、ネットのニュースも見なくなった。というのも、ネットニュースを見ようとすると伊東市長、前橋市長の顔が出てくるからだ。彼女たちは実につまらないことで「報道」されるようになり、そのニュースにほとんどあの顔がくっついている。何度も、何度も見せられると、もう見たくないと思う。あの顔、おそらくもう脳細胞に刻まれてしまっているだろうが、記憶に残らないように消してしまいたい。
まだ政策をめぐって、あるいはそれぞれの市の問題点に関しての報道ならいいのだが、もうバカらしくて。それは兵庫県知事も同じ。
そして今日、裏金・統一教会党である「自由民主党」の総裁が、あの高市となったという。高市のエラそうな顔、居丈高の、人間的な愛情を一切持たないあの顔も、見たくない。
それにしても、全国各地の自由民主党員、高市にもっとも多く投票したそうだ。自由民主党そのものが腐っている。
画像なしのニュース番組はないのだろうか。
顔というのは、その人の本質を一定程度あらわす。市長とかトップの立場に立つ人の多くが、傲慢な顔をもつ。
他方、近所で日々顔を合わせる人びとの顔は、わたしの精神を安定させる。日常生活で喜怒哀楽をもち、日々の生活に苦労しながら忙しく立ち働く人びとに幸いあれ!と思う。
連日、万博への入場者が20万人を超えているという。なぜ人びとはこんなにも万博に行きたがるのか。
この大阪万博、大阪維新の会や安倍晋三らが、大阪にカジノを建設することを目的とし、そのためのインフラ整備に公金をつかうという陰謀により始められた事業であった。そういう忌まわしい事業には参加しないというのが、わたしのポリシーである。不正義の事業には参加しないのである。
そもそも大阪万博の、あのミャクミャクの気持ち悪いこと。
人それぞれだから、万博に行く人びとを非難することはしないが、しかしあんな人混みの中に、そして長時間行列に並ばなければならない状態を、よくも人びとは我慢している、と驚いてしまう。
一つの大きな波が起こると、その波に乗らないと、という気持ちが人びとのなかに湧きあがるのだろうか。選挙結果を見ても、そういう気がしてしまう。
人びとは、時流に流される、ということを、わたしは以前から指摘しているが、万博でもそれが明らかになった。
『東京新聞』、毎週日曜日の最後の紙面には、必ず田中優子さんによる表題のコラムがある。これがなかなか読ませるのである。
学生時代、もう50年ほど前になるが、わたしも東京に住んでいた。しかしあまり「観光」はしていないので、東京の名所旧跡はほとんど知らない。
9月28日付の紙面は、「湯島」である。確か御茶ノ水駅から湯島聖堂の脇を通った記憶があるが、何のためにそこを通ったのかは覚えがない。神田明神には行ったことはあるが、湯島天神には行ったことはない。
田中さんは、湯島聖堂と湯島天神を訪問している。
「江戸時代は300年近くにわたって戦争がなかった。その大きな要因は「武士が学問をしたからだ」「戦争より学問の方がずっと面白いことがわかったのです。」
徳川幕府は、内外の戦争をとめた。国内は言うまでもなく、アジア周辺で海賊行為を行っていたオランダを平和的な外交の枠組みに押し込めた。徳川幕府は、戦争のない時代をつくった。その平和の中で、浮世絵などの美術、文学、学問、芸術など文化的なものが発達した。
田中さんは、「知識があっても感性や思考がなければ何にもならない。どんなに多感でも知識がなければ危ない。」と書く。
今や、豊かな感性や思考の源である「知」がひどく軽視されている。それが、今の時代を悪くしている。とりわけ政治家には、「知」のない者が多い。悲しい現実がある。
さすが文学座!という舞台であった。舞台装置も文学座らしく、抽象的ではない、まさに舞台。
内容は、まさにわたしの学生時代と同時代。1973年は東京で学生生活を送っていた。バック音楽は、ザローリングストーンズなど。まさにわたしの青春期の物語である。おまけに台詞の中に、「早稲田大学新聞会は革マル!」というのがあった。その通りである。「早稲田大学新聞」、今あるかどうかは知らないが、当時は、革マル派の機関紙のごときものだった。早稲田大学を暴力支配し、鉄パイプを隠し持ち、革マル派が主観的に「敵」とみなした学生に襲いかかっていた。その姿は、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)に記されている。
さらに驚くべきは、演劇会場の入り口で、高齢者の革マル派メンバーが、10月11日、浜松市で行われる「平和のつどい」(豊田直巳さん、前川喜平さん等が来る)のチラシを撒いていたことである。この「つどい」は、新日本婦人の会浜松など共産党系の団体が実行委員会を構成しているようだ。浜松市の共産党系団体に、革マル派が入り込んでいるのかもしれない。
文学座のHPの「昭和虞美人草」の内容紹介には以下のように記されている。
時は1973年。
The Beatles、The Rolling Stones、Led
Zeppelinといった70年代ロックにどっぷりと浸かり、大人への階段を上っている途中の若者たちが織り成す悲喜こもごも。代議士の息子である甲野欽吾は売れないマニアックなロック雑誌「エピタフ」を刊行している。盟友である宗近、小野、浅井らが編集に携わるという、いわゆる同人誌的な雑誌であった。
ある日小野と浅井が「エピタフ」を辞めると言い出す。それと同時に甲野の腹違いの妹である藤尾は司法試験のために勉強中である小野に急接近。しかし小野には郷里に小夜子という許嫁に近い女性がいるのだった。煮え切らない態度の小野に宗近が諭す。
「そいつはロックじゃないぜ…」
昭和の敗戦から、やがて高度経済成長の絶頂と終焉に向かう時代のうねりの中で錯綜する若者たち。夏目漱石の「虞美人草」をマキノノゾミが翻案し、熱く描いた青春群像劇!
このうち、小野は京都出身、小夜子の父の経済援助で大学(東京大学)まで行くことが出来た。小野にとっては、大恩人である。そしてその娘・小夜子と小野は、京都で交際していた。甲野家に出入りするうちに、その小野と代議士の娘である藤尾が付き合い始め、婚約寸前となる。しかし宗近が、小野と小夜子とその父との関係を知り、小野に「真面目になれ!」という。小野は、重大な選択を迫られる。
みていて、わたしならまったく迷うことはしない。おそらく自民党の代議士である甲野家の生活の質、レベルは、ふつうの家庭とは異なる。絶対に甲野家の娘なんぞとはつきあわないし、当然結婚はしない(そういえば、Nさんという大金持ちの女子大生が文学部にいた。学生時代は1ドル360円の時代であったが、2年生の時、彼女はヨーロッパ周遊旅行に行き、絵はがきをおくってくれたりした。また彼女に誘われ、日動画廊や美術館にしばしば足を運んだ。彼女は児童文学が好きで、その関係でわたしもたくさん読んだ。よい影響を与えてくれたと思っている)。笑う者がいるかもしれないが、わたしには、プロレタリアートの魂があるからだ。
また「襟を正す」ことに関する対話もあった。1945年の破滅を体験した戦前戦中世代は、1945年に「襟を正す」ことをしただろうと、甲野欽吾と宗近が話す。それをききながら、「襟を正す」者はいたことはいたが、それは少数派であったことを指摘しておきたい。支配階層は、「襟を正す」どころか、新たな支配者であるアメリカに取り入ろうと必死の努力を行っていたのである。あの海軍や財界がその筆頭である。
台詞の中に、いろいろ考えさせられるものがあった。とても良い演劇であった。
Apple Musicと契約しているわたしは、iPhoneでザローリングストーンズの音楽を聴きながら帰った。