2025年6月21日土曜日

日本の冤罪はなくならない

  日本の警察(警視庁)、検察が、犯罪事件を捏造した大川原加工機に謝罪に来たそうだ。その際、謝罪に来た東京地検の森博英は、大川原加工機を大川原加工機工業株式会社と間違い、警視庁の鎌田徹郎は、もと取締役の島田さんについて「ヤマモト」と間違った発言をした。

 彼らが、ほんとうに謝罪の意思があったのかどうか。あったらそんな間違いはしないだろう。 いい加減な謝罪としかいいようがないだろう。

 日本の権力機構の面々は、悪事を働いても反省するどころか居直る者が多い。そもそも間違いを認めないという伝統を持っている。間違いを認めないから、軌道修正もしない。そうした伝統は、大日本帝国時代の天皇無答責(何をしようと天皇には責任はない)につらなって、国家機構の担い手たちも、同様にみずからも無答責だと思っているのだろう。

 日本の警察、検察、いろいろな不祥事が続いているが、改善される見込みはない。警察、検察とも、支配機構の担い手や、長年政治権力を握っている、自由民主党や公明党には、きわめて寛容な姿勢を示す。起訴すべきなのに起訴しないということがよくある。あの「裏金」問題でも、それが露呈した。

 さらに、袴田事件で、日本の再審制度がきわめて不備であることがはっきりしているにもかかわらず、自由民主党や公明党、警察、検察(法務省)は、改善しようという意思が見られない。

 日本はすでに「先進国」ではないが、人権の面では、あきらかに後進国である。それを支えているのが、自由民主党、公明党、そして権力機構の担い手たちだ。

 

2025年6月19日木曜日

ワクチンへの疑問

  新型コロナワクチンの接種を、日本政府は積極的にすすめた。しかし、そのワクチンについていろいろな問題がでてきた。ワクチン接種により亡くなった人、後遺症に苦しむ人びとがたくさんだされた。

 わたしの周りには、亡くなった人、後遺症に苦しむ人はいないが、しかし6回もうった人がコロナに3回もかかったりしていた。はたして、本当にコロナワクチンは効果があるのか、という疑問がわたしにも生じた。

 以前にも書いたが、物価高などで国民の生活が苦しくなっても、日本政府は何等救済しようとはしない。このブログで書いてきたように、自民党、公明党によって運営されている政権は、国民の苦しみを振り返ることはない。そんな政府が、何故にコロナワクチンだけ何度も接種させようとしたのか。それも無料で。わたしは、アメリカに日本のカネを献上しようとしたのではないかと思っている。

 さて、このワクチンに関する問題点を報じてきたのは、ただ名古屋の民放・CBCだけである。なぜほかのメディアはこれをとりあげようとしないのか。

 CBCは、今まで報じてきたことをまとめて「評価不能γ ワクチンの影」として報じている。ぜひ多くの人に見てもらいたい。

 わたしは、今までインフルエンザワクチンを打ってきたが、コロナワクチンが重大な問題を引き起こしていることを知って、打つのはやめた。

 コロナワクチンの問題を、日本政府だけではなく、世界が解決していく姿勢を示さなければ、ワクチンへの疑問は膨らむばかりとなる。 

日本の庶民は苦しんでいる

  日本の労働者の給料は、30年間ずっと上がらずに来た。近年続いている物価高は、そうした日本の庶民に大きな打撃を与えている。わたしも、銀行に行っておカネをおろすことが増え、同時に一度におろす金額も増えている。

 しかし、財界などから多額の政治献金を得、さらにパーティー券を購入してもらっている自由民主党は、いっさい庶民の苦しみを改善しようとしない。驚くべき政権である。その自由民主党にひたすら金魚の糞のようにくっついている公明党(カルト宗教・創価学会)も、同じ行動をとる。「王仏冥合」という宗教と政治権力をぴったりとくっつけるという教義があるからか、自由民主党が何をしようと、何をしなくても、ただぴったりくっつき、自由民主党の選挙を支える。

 苦しい生活を強いられている日本の庶民が、なぜに自由民主党に投票するのか、わたしは理解できていない。

 ガソリンの暫定税率廃止をめぐって、その法案をだそうとした野党に対して自由民主党は審議すらしようとしなかった。「ガソリン価格の全国平均が3カ月連続で1リットル160円を上回ると自動的に発動して暫定税率分(1リットルあたり25.1円)を免除」と決まっているのに、自由民主党・公明党は何もせずに、その維持を図っている。

 東京などの大都市は交通機関が発達しているから自家用車は必要ないだろうが、地方都市では車がない生活は考えられない。ガソリン価格の高騰は、庶民の生活に大きな打撃となる。わたしもできるだけ安い店に買いに行くほどだ。

 一方、自由民主党・公明党は、成立させない方がよい法案を次々と成立させている。その例としては学問の自由と独立性を冒し、学問研究を政権に従属させるという法案を通して、日本学術会議を解体しようとしている。 労働者なのに労働基準法を適用せずに、学校教員を働かせ放題にし、さらに学校現場を分断すべく、「主務教諭」などという階梯を設ける(校長ー教頭ー一般教員というのが学校の階梯だったのが、現在は校長ー副校長ー教頭ー主幹教諭ー一般教員)給特法案も成立させた。主幹教諭と一般教員との間に主務教諭という階梯をつくるというのである。そしてその階梯に給与をひもつけ、教員を分断しようとしているのである。学校教員のなり手が減っているというのに、政府・文科省は、そんなことを気にせずに、教育現場から働く魅力を奪おうとしている。

 最近の自民党・公明党政権は、庶民の生活には関心がなく、三菱重工業などの巨大企業を儲けさせる政策(軍事費の大幅増額)や専制的な国家機構づくりに邁進している。

 そういう政治勢力には、もう退いてもらわなければならないのだが、日本の選挙民は、自由民主党がお好き。少額でも利権につながっているからである。

 

2025年6月18日水曜日

作況指数

  毎年、米の作況指数が報じられていたが、それをやめるそうだ。

 昨年の米の作況指数は、100という平年並みだと報じられていた。しかし、一昨年も昨年も猛暑というか酷暑であった。

 稲作は、田に張る水を出したり入れたりする。ずっとむかし岩波新書の『大地の微生物』を読んだとき、水が張られているときには嫌気性の微生物がはたらき、水が無いときには好気性の微生物がはたらく、というようなことが書かれていた。昔の人は経験から、水を張ったり抜いたりして、稲の生長を図っていたのだろうが、なるほどと思ったことがある。眼に見えないところでいろいろな生物が植物の生長に力を貸しているのである。

 さて今日も猛暑であるが、昨年夏、ふつうだったら水を抜き時期ではあったが、どこの田んぼも、ずっと水を張り続けていた。それだけではなく、ずっと田んぼの水を流し続けていた。水を入れないと、田の水が高温になってしまうのである。したがって、米の出来具合は一昨年に続いてよくなかった。にもかかわらず、作況指数は100位であった。そんなことはあるわけがないと思っていたが、やはり米が足りなくなった。

 昨年の畑作も不作であった。猛暑が続き、雨も降らなかった。わたしは一反ほどの畑を耕しているが、子どもや近所の人にあげるだけの野菜ができなかった。

 気候変動が、日本の農業におおきな悪影響を及ぼしていることを、東京等に住まいしている支配層の方々は知るべきである。

 気候変動は、畑に生える雑草にも変化がある。数年前から畑に生える雑草の中で、今まで見たこともないようなものが生えているのである。

 わたしのように、農作業をしている人びとはそれに気付いていると思うが、大方の人は気付くことはないであろう。

 気候変動対策は、急務であると思うが、しかしろくでもない国家群と軍需産業=死の商人らが、今も各地で戦争をしている。まったく愚行としかいいようがない。宇宙船地球号の未来よりも、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の欲深な輩が権力を握っているのだからどうしようもない。

 

「喰われる自治体」

  最新の『週刊東洋経済』の特集が「喰われる自治体」だったので、購入した。しかし期待外れであった。

 わたしが住む浜松市が、長い間、SUZUKIのトップ鈴木修によって支配され、彼の言うとおりの行政が行われてきたことから、自治体問題に関心を持ってきた。

 現在静岡県で問題になっている県営野球場の建設問題も、鈴木修の要請に基づくものである。SUZUKIには陸上競技部がある。浜松市には陸上競技場があるが、世界大会が行われるほどの設備は持っていない。そこで、鈴木修は、陸上競技場に隣接する市営球場をなくして陸上競技場を拡張してつくりなおし、大会ができるようにしたいという願望をもった。そのためには、市営野球場をどうするかが問題となり、浜松市には新たな陸上競技場をつくらせるから、野球場は県につくらせれば良いと考えたのである。

 現在の競技場、野球場は、遠鉄西鹿島線の駅から徒歩圏内にあるが、計画されている県営野球場の位置は遠州灘の海岸沿いにあり、交通アクセスは最悪である。市民には、したがって評判が悪いし、そんなところに計画されているから、野球以外に使用することはほとんどない。またそこは海岸に近く、この地域、冬には強い季節風が吹くから(遠州のからっかぜ)、冬の野球には適さない。 そんなところに強引につくらせようとしている。

 このように、大企業のトップが市政を思うがままに動かすという事例があるので、わたしも自治体問題に関心を持っているのだが、しかし、同誌には、紙幅もあるのだろうが、自治体を食い続けるNTT、コンサルタント会社に食い物にされる自治体(自治体は新自由主義的改革で、正規職員が大幅に減らされ、非正規に頼るなかで、人員が足りない状況が続いている)、他地域の大企業に食い物にされる自治体、中央官僚の天下り問題が取り上げられるだけで、こうなった背景などへの分析がない。

 やはりこういう問題については、雑誌ではいくつかの事例を報じるだけで、深く掘り下げることはできないのだと思った。関心をもって購入したが、期待外れであった。

 

2025年6月17日火曜日

バラマキの金額

  石破政権が、参議院選挙を前にして、ひとり2万円を支給するという提案を行った。この2万円という数字がどこからでてきたか、わたしはマイナンバーカードをつくれば約2万円のポイントをあげるよ、という過去の施策を思い出した。

 わたしは、マイナンバーカードについて信用していないので、こうした政府の施策には従わない。2万円程度をもらうことが出来たとしても、従うべきではない施策には飛びつかないのである。

 しかし多くの庶民は、2万円あげるよという宣伝にのせられて、市役所などに殺到していた。

 石破政権は、このときのフィーバーぶりを解雇して、国民には2万円程度で「買収」できると思っているのではないか。

 

 わたしは、消費税はなくすべきだと考えているし、またすぐにガソリンの暫定税率1リットルあたり25.1円をなくすべきだと考えている。この暫定税率は、トリガー条項があって、ガソリン価格の全国平均が3カ月連続で1リットル160円を上回ると自動的に発動して暫定税率分を免除し、発動後3カ月連続で同130円を下回ると免除が停止するとなっている。すでにガソリンの価格は、160円をはるかに上回っている。

 約束通りのことをしない、自民党・公明党政権には腹が立つ。

 自民党・公明党政権は、税金はとりやすいところからとるという原則をもって、税制度をつくっている。税制度により、社会的平等をつくるというあるべき原則など振り向きもせずに、ひたすら税をとりあげ、その税金を自民党や公明党のお友だちや財界に流し込んでいる。

 そんな政権ははやく退場させなければならないと思うが、しかし利権にまみれた自民党・公明党政権とつながる人びともいる。彼らはそう簡単にそのつながりをなくすことはできず、自民党、公明党を支持するのである。

 その結果、「先進国」の位置からただただ滑り落ちていく日本をつくりだした。

 海外から、そんなに豊かではない国の人びとも観光に来て、日本は安い、安いといって、日本を買い叩いている。しかし日本の庶民は、「安い」という感覚はなく、高物価に苦しんでいる。おかしな国・日本、それでもこんな自民党・公明党政権が続いている。悪夢である。

 

2025年6月16日月曜日

「独立」ということ

  昨日の『東京新聞』のコラム「時代を読む」は、宇野重規さんの「「知の独立」の転換点」である。

 アメリカのトランプがハーバード大学などに対して攻撃を仕掛けている。それに関して、日本の大学などが、留学生や留学しようとしている学生を引き受けようと言明している。

 しかし、独立して業務を行っていた日本学術会議を解体して、学問を政権の従属下におこうとしている法案が成立した、そんな日本社会が「自由な知の交流の場」となるだろうかと、疑問を呈している。その通りだと思う。

 国立大学が法人化された後、文科省からの天下りを受け入れ、理事会などに経済界の人員を入れて、大学も独立性を失ってきている。 

 考えてみれば、アベ政権以降、内閣法制局、日本銀行・・・・・・など、今まで独立して業務を行っていた国家機関が、次々と政権の意向を実現するような従属機関へと変質させられている。

 こうした国家機関だけではなく、あちらこちらで、独立性がなくなっている。独立性がなくなる契機は、カネ儲けではないかと思う。

 大学が文科省の役人を天下りで受け入れ、理事会に財界人をいれるのは、大学への国からのカネ、経済界からのカネを受け入れやすくするためである。

 また、同紙の「こちら特報部」には、明治神宮外苑の再開発を厳しく批判している石川幹子さんについて報じている。

 再開発の主体となっている大企業や明治神宮なども、カネ儲けがその原動力になっている。

 カネを前にして、独立性をなくし、隷属への道を歩もうとする組織、個人が増えている。

 確かに、独立性を保持しようとすると、経済的に損することもあるが、しかし独立性を維持することは、みずからの尊厳を守ることでもある。

 学問の独立を守ろうとして闘っている学者たち、その一方で学問の独立よりもカネのために隷属化を受け入れようとする御用学者たち。

 わたしは、カネの前に独立性を失い、みずからの尊厳を売り渡したくはない。そういう人間が増えれば良いのだが、それは難しい。社会のニュースをみれば、独立性を失った人びとが動き回っている。そういう人びとには、尊厳は不要なのである。