2025年11月9日日曜日

渾身の文(『地平』12月号)

  『地平』12月号を読んでいる。文を読むということは、いろいろな思考や感慨を喚起する。

 同号の特集は、「加害と和解ー東アジアの不再戦のために2」である。最近は引退しているが、長い間、日本の加害の歴史を研究したわたしにとっても重要なテーマである。

 調査の中で、戦時中、日本の工場に、ウソや甘言を以て労働に従事させられ、その間の賃金を受けとっていなかった朝鮮人女子勤労挺身隊のオモニたちの訴えに、正義感から訴訟を決意して、日本政府を相手に闘ったが、敗訴で終わった。訴訟では、日本国政府に公式謝罪と慰謝料の請求を行ったのだが、オモニたちとの交流の中でわかったことは、彼女たちが求めていたのはカネではなく、自分たちが若い頃、日本の工場で働いていたことを確認して欲しいということだった。工場では、空襲に遭い、命からがら逃げたということもあった。彼女たちにいろいろ話を聞くこと、そのために何度も韓国・釜山に足を運んだこと、そうしたことが、オモニらの心に何らかの変化を及ぼしていることを、わたしは知った。話を聞くこと、それだけで、彼女たちになんらかの満足感を生みだした、ということを。

 わたしは、韓国へ、中国へ、台湾へ、何度も行き、大日本帝国の犯罪を調査して歩いた。そのたびに、当地の人々から話を聞いた。戦争中に日本に強制的に動員された韓国人男性は、あれ以来日本人には会ったことがなかったといった。何度か話を聞く中で、加害国の一員から被害体験を聞かれることが、日本(人)に対する厳しい見方を緩和させていることを知った。わたしは、ひとりの日本人が、ひとりで民間外交をしているような気がした。

 『地平』の特集に、池田香代子さんの「この悲劇の共演者であれ」という文がある。読んでいて、もしわたしがこのような文を書くとしたら、長時間考え、考え抜いてからでないと書けないものであると思った。やさしい文のなかに、池田さんの強い意志が、埋め込まれていた。この文を読むことができただけでも、今号は価値があると思った。素晴らしい文である。

 最初はアウシュビッツで生き抜いた女性から話を聞いた体験を記す。あまりに辛い話を聞き、「(厳しい体験を)語らされて、おつらいのでは」という問いに、体験者が住まう施設の尼僧は、「いいえ、語ることは治療なのです」と言った。厳しい体験から長時間たっても、被害者は忘れない。「ありうべからざる仕打ちを受けた人の心の傷は一生癒えることがない」。

 そして花岡事件のことを記す。言うまでもなく、戦時中、花岡は中国人が強制連行され、おおくの人が殺されたところだ。あまりにひどい仕打ちに、中国人は大挙して逃亡を企てた。人間の尊厳を護るために、しかし全員がつかまり、「二人一組背中合わせで縛られ、三日間、警察隊や憲兵隊をはじめとする殺気だった人びとの監視に囲まれて、ひざまずいた体勢で炎天下の広場に留め置かれた。地面の小石が容赦なく膝に食い込んだ。一度降った雨が、唯一彼らの胃袋に入ったものだった。」

 「それから数十年の時を経て、老いた生存者たちは百人超の仲間が絶命した広場に倒れ込み、地べたを叩きながら声をあげて泣いた。舞い上がる土埃が涙と鼻汁と唾液に付着して、その顔をまだらに黒くした。」

 生存者のリーダーで一斉蜂起の指揮を執った耿諄さんは、「花岡は第二のふるさと、また来たい」と言ったという。

 「人にあらざる扱いを受けた人の心の傷は決して癒えない。しかし誰かが、あなたの受けた仕打ちはあってはならないことだったと、真情をこめて伝えてくることが度重なると、心のかさぶたが剥がれ落ち、どんな屈辱も苦悩も味わったことのない、まっさらの尊厳を備えた自分を感じとることができるのもまた事実だ。その時、人は新たに生まれたという感覚に満たされる。」

 「結局、被害を受けた側が求めるものは糾弾の先にはない。裁判を通じての和解や賠償は、正義が回復された証として大いなる慰藉をもたらすだろう。しかし糾弾の最中にもその決着のあとにも、彼が魂の回復のために真に求めるのは、悲劇の舞台に共に立って苦しみを受けとめようとする手を、なかんずく加害の側から差し伸べられる手を繰り返し感じることだ。嗚咽する肩にそっと添えられる手、ティッシュを差し出す手、交わすまなざし、微笑み、乾杯そしてハグ。さらには「花岡は第二のふるさと、また来たい」と言って、「ありがとう、また来てください」と返されること。」

 加害国の一員であるわたしが、強制連行などの被害者から話を聞くこと、もちろん聞いているとき、わたしの心には「申し訳ないことをした、ごめんなさい」という気持ちがある。話を聞いているなかで、わたしは、被害者の心の変化を感じることが多々あった。

 日本国家や、心ない日本人は、「日本は悪いことをしなかった」「戦争だから仕方がなかった」などと、反省することがない。 しかし、歴史の事実は消えない。被害者は、子々孫々にまで語り伝えていくことだろう。被害者は、決して忘れないからだ。

 わたしたち加害国の一員は、ただ被害者の「苦しみを受けとめ」続けるしかない。この文の表題の通り、「悲劇の共演者」であり続けることしかない。それこそが、被害者、加害者、双方の人間の尊厳を回復する道筋なのだ。

 

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