2025年11月7日金曜日

教育勅語

  明治神宮で七五三に行くと、「教育勅語」が配られるようだ。

 大日本帝国の時代、それも1930年代のもっとも厳しい時代に郷愁を抱いている人びとが増えているようだ。

 「教育勅語」の本質は、どのような徳目が書かれていようとも、その本質は、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」にあることは、周知の事実である。

 大日本帝国の時代、「滅私奉公」が強制され、個人が家庭や軍隊、国防婦人会などの諸組織に縛られ、自由が許されなかった時代。そんな時代になりたいのか。

 たしかに、大日本帝国の時代、神社は支配機構に組みこまれ、神官などはその一員として「おいしい酒」を呑んでいたから、その時代に戻りたいと思うのだろう。だが、神社が国家に呑み込まれたことから、それぞれの神社の歴史が歪められたり、あるいは伝統が壊されたりしたことを誰が知るだろうか。

 教育勅語が、広島市では職員の研修に使われているという。広島は被爆体験もあるが、軍都としてあった。被爆という体験と、軍都であったという記憶のどちらが優勢か。戦前の記憶が、よみがえりつつあるように思う。その象徴が、「教育勅語」である。

 

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