2025年11月28日金曜日

【演劇】劇団文化座『母』

  夜、劇団文化座の「母」を見た。小林多喜二の母、である。その役を、佐々木愛さんが演じた。はまり役だと思った。

 「母」を見ていて、息子・多喜二のすることをどんなことでも受容していく姿勢に、自分の母と同じだ、と思った。私の母も、わたしのすることを止めたり、批判したことはなく、黙って受容し、見ていてくれた。多喜二の母も、わたしの母も、息子を全面的に信用してくれていたのだと思った。

 わたしは、歴史講座で「多喜二とその時代」というテーマで話したことがある。その関係で、多喜二全集を読み、また多喜二に関して言及した諸々の文献を読んだ。

 多喜二が組織のトップとして書いた文を、わたしはそれをすべて読むことが出来なかった。なぜか。多喜二の文学は文学として、わたしは世の人と同様に大きく評価する。しかし政治的な文は、読めなかった。

 往々にして、政治と文学について論じられることがあるが、わたしは文学は政治に従属してはならないという考えを持つ。しかし多喜二は、そうではない。多喜二はこう書いている。

  若し私に一つの「芸術的主張」があるとしたら、それは同時に私たちの所属している「ナップ」芸術的主張であるわけです。私はそこから一歩も出ないことを恥かしがるどころか、その線から誤った方向へいゝ気になったおしゃべりをしていないかと、始終ビクビクしています。(「傲慢な爪立ち」、1930年)
 

 「我が国のプロレタリアートとその党が現在に於て当面している課題を、自らの芸術的活動の課題とする」という問題が、全的に承認されたのである。レーニンの言葉を借りるなら、「文学は党の言葉でなければならぬ」ということが、更に言葉を換えて云えば、文学の党派性が、始めてプロレタリア文学運動の内部に樹立され理解されたのであった。(「「転形期の人々」の創作にあたって」、1932年)

  一旦つかまったら四年五年という牢獄が待ちかまえているわけだ。然しながら、これらの犠牲と云っても、幾百万の労働者や貧農が日々の生活で行われている犠牲に比らべたら、それはものゝ数でもない。私はそれを二十何年間も水吞百姓をして苦しみ抜いてきた父や母の生活からジカに知ることが出来る。だから私は自分の犠牲も、この幾百万という大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲である考えている。だが、笠原にはそのことが矢張り身に沁みて分らなかったし、それに悪いことには何もかも「私の犠牲」という風に考えていたのだ。「あなたは偉い人だから、私のような馬鹿が犠牲になるの当たり前だ!」ーしかし私は全部の個人生活というもの持たない「私」である。・・・・・私は組織の一メンバーであり、組織を守り、我々の仕事、それは全プロレタリアートの解放の仕事であるが、それを飽く迄も行って行くように義務づけられている。・・・・(「党生活者」1932ねん)

 多喜二は素直で誠実な人間であったから、そして母の愛に包まれて育ったから、余計に政治の世界に入り込み、その政治的組織のなかで、組織に忠実であることが貧しき人びとのためになるのだと想っていたのだろう。その点で、多喜二はわたしよりすっと良い人間だと思う。わたしには、出来ない。

 多喜二は、銀行からの初任給で、弟の三吾にヴァイオリンを買ってあげた、三吾は、後に東京交響楽団ヴァイオリニストになる。

 多喜二が虐殺される前、音楽会のチケットが渡された。その音楽会は、ヨゼフ・シゲティによるベートーベンのヴァイオリン協奏曲の演奏会だった。席に坐ったら、隣には三吾がいた。兄弟は、その後生きて会えることはなかった。

 今、わたしはシゲティによるその協奏曲を聴きながら書いている。

 1930年代、治安維持法が吹き荒れた時代、その時代を想いながら聴く。同じような時代の空気を、今吸いながら、多喜二が虐殺されるような時代をつくってはならないと思う。

 

  

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