ポピュリズムということばが使われるようになって久しい。ポピュリズムとは、「政治において一般大衆の感情や不満に訴え、支持を得ようとする姿勢や運動のこと」だといわれる。ポピュリズムの動向を見ていると、異端的な主張もあるが、ほとんどは当該地域の支配層の思想と矛盾するものではなく、それをさらに強めた主張となっている。
「一般大衆」、つまり「普通の人びと」は、反体制的な志向をもたないから、「感情や不満に訴え、支持を得ようとする」と、ポピュリストは、体制の思想をより前へ進めたり、純化させたりした主張をせざるを得ない。だから、「右派ポピュリスト」が注目されるのである。
ヒトラーも、「右派ポピュリスト」といってよいだろう。
さて、『ファシズムの教室』(田野大輔、朝日文庫)という本がある。甲南大学の教員である田野が、学生たちに「集団行動」を体験させ、そのなかに一定の「魅力」 があることを認識させようとしたのである。もちろん、「集団行動」に「魅力」があることを気付かせることによって、ファシズムに取り込まれないようにすることを目的としてなされた講義である。
ファシズムは、強力な指導者が「普通の人びと」を強制的に動員したものではなく、彼らは自主的にかつ積極的にその「集団」のなかに入り込んでいったのである。ドイツでナチスのファシズムが席捲していた時代、日本では天皇制ファシズムが人びとを侵略戦争に巻き込んでいたが、「普通の人びと」は積極的に「国のために」それに参加していったのである。
田野はこう指摘する。「大きな権力に従うことで自分も小さな権力者となり、虎の威を借りて力を振るうことに魅力を感じていたのである」(25)。
こういう人は、身近にもいるし、職場にもいた。要するに、「普通の人びと」は「権威に服従する」のだ。
田野は、権威に服従することによって、「自由」が経験され、また「責任感を麻痺させ」る、と指摘する。そして「支配者と服従者は一種の共犯関係にあった。両者が支え合うこの関係が、最終的には戦争やホロコーストという悲惨な結末を生んだことを、私たちは忘れてはならない」と警告する。
「権威への服従」、そうした姿は、各所で見ることができる。政府や地方自治体の政策に従順に従う姿、政府の施策を批判するとそれに対して激しい悪罵が投げつけられることもある。
権威に服従していたほうがラクだし、経済的にもプラスになることもあるだろう。
権威に服従しない人びとは、少数派である。ということは、警戒していないと、ファシズムへと進んで行ってしまう可能性もあるということである。
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