2025年8月1日金曜日

ギャンブル国家

  書棚にあった帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』(光文社新書)を手に取った。2014年に出版された本で、書棚に読まれもせずにおかれていた。

 買い物に行く途中にパチンコ店がある。その前にたくさんの車がとまっている。猛暑の8月、涼しい環境でパチンコに多くの人が詰めかけている。パチンコ店は大流行である。人生のたいせつな時間の使い途がはっきりしていない方々が、パチンコ店に吸い込まれていく。わが家の向かいの80代の男性は毎日、最近は夕方から自転車に乗ってパチンコに通う。この人は家では家事その他何もしていない、パチンコだけが彼の「仕事」である。以前は挨拶はしていたが、ある時ごみの出し方について隣家の奥さんに暴言を吐いたので、その時から私はまったく彼を無視している。

 わたしの高校時代の友人がパチンコ店(今は営業していない)の女性と結婚し、その家に入った。今はまったく会っていないが、彼からパチンコ店の経営について聞いたことがある。毎夜、どのくらいタマがでたかを見ながら、クギを調整していくという。どのくらい儲けられるかは、クギ次第だという。ギャンブルは、どんなものでも、いずれにしても主宰者が儲ける。自治体の宝くじも同じで、収益金は自治体に流される。ギャンブルは、胴元が儲かるのである。

 わたしがパチンコをやったのは、人生で一回である。従兄と一緒にパチンコ店に一度だけ入って経験した。それだけだ。

 帚木は、作家であり精神医学者で、ギャンブル依存症治療に力を入れている。ギャンブル依存症は精神疾患であり、日本の患者が多い。なぜなら、パチンコがあるからである。それ以外に、国家が認めたギャンブルがある。競艇、競馬、競輪、オートレースなど。日本国家は、率先してギャンブルを推進する犯罪的な国家なのである。そしてそれらのギャンブルには、巨大な利権がまとわりついている。

 日本国家は、さらにカジノをやろうとしている。大阪の万博会場の隣にカジノをつくらせている。積極的なのは、大阪維新の会である。こういう政党に大阪など関西の選挙民が投票しているのだから、驚きあきれる。

 さてここで本題である。ギャンブル国家・日本が、実は全国を覆っている。というのも、各種の選挙、国会議員、首長、地方議会議員の選挙、いずれも、選挙民はギャンブルに関わるような仕方で投票していると思うからである。

 選挙は、じっくりと考えないと、自分自身に様々に影響を与えてくる。30年以上も政治権力を掌握してきた自由民主党、公明党による政権によって、日本はどうなったか。巨大企業や一部の富裕層にカネが集まり、庶民の所得は減り続け、今では海外から「日本」を買うために大勢の外国人がやってくる。日本は、「安い、安い・・・」と。要するに、自由民主党、公明党政権は、外国に日本を売り渡そうとしてきたのである。とりわけ、アメリカには日本人が蓄積してきた富を、平然と献上してきたのである。

 直近の参議院議員選挙においても、こんな人を当選させるかなと驚くような人物が国会議員になる。首長選挙においても、こんな人物を当選させるのか、と。兵庫県知事、伊東市長、上越市長・・・・・伊東市長の場合は、市立図書館建設反対という一点を主張した人物が当選したようだが、わたしのように図書館をよく利用する者にとっては、充実した図書館は歓迎である。図書館は、その地域の文化のバロメーターでもある、伊東市民は、そうした文化を軽視する人物を首長としたのである。大学に入学したけれども大学にほとんど行かず、つまり勉強もせずにいた人物を当選させ、今や全国から注目される都市となった。

 日本の選挙民は、ギャンブラーなのだ。ギャンブルは、賭けた結果はわからない、損するかもしれないし得するかも知れない。ほんとうは選挙は、十分に調べて投票行動に移るべきなのに、感情というか情動というか、それにもとづいて投票する。

 ギャンブル依存症の人びとは、多額の借金を負い、生活を破壊する。日本の政治も同じ。ギャンブラーとして投票する結果として、経済的に厳しい生活を余儀なくされる。いったいこうした状態がいつまで続くのだろうか。

 

  

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