わたしはTwitter(X)は見ないし、やっていない。ユーチューブは見る。テレビを見ないので、それでテレビ局のニュースを見ているのだが、そのなかで、SNSをつかってデマや虚偽情報をながしまくっている政党や候補者がいるという。
さすがに明らかなデマや虚偽情報に対しては、メディアやユーチューブの番組が、ファクトチェックを行ったり、批判的に取り扱ったりしている。
かなり前から、知的なものに権威がなくなっている、という思いが強い。なんらかの発信をする場合、きちんと根拠を示して、正確に説明すること、それが以前は求められていた。
しかしSNSが普及する中で、誰もが発信できるということから、裏付けのない、完全に間違った言説が、ネット空間に飛び交うようになった。そしてそうした言説をめぐって問題が起こるとアクセス数が増し、また他のところでも取り上げるようになり、よけいにその言説が飛びまわるようになる。
そしてそうした言説が、一定の人びとの認識に採り入れられることが、様々な面で証明されるやいなや、それを有効に活用しようという輩がでてくる。
価値ある情報、有益な情報とデマや虚偽情報は、今では「等価」になってしまっているようだ。そうなると、目立とうとする人は、一般の人びとが注目するようなインパクトあるデマや虚偽情報を流して目立とうとする。
あらゆる分野で、学問的な知見を背景にした情報が存在しているが、あえてそうした情報に異を唱えて、何らかの衝撃を与える、そして人びとの耳目を集めていく。ずっと昔から、人びとはそうした情報が好きだ。アメリカ史に関する本を読んでいて、アメリカン人も虚偽ではあるがインパクトのある情報に躍らされた、という個所をみつけ、どこでもそうした傾向があることがわかった。
今、それが大きな問題となっているのは、SNSの普及が、そのような傾向を促進しているからだ。
職場を離れて人びとと会話する中で、学問的知見が多くの人の認識に届いていないことを実感している。そうしや状況に、デマや虚偽情報が飛び交い、人びとの心に何らかの影響を与えていく。
それもひとつの時代の流れなのだろう。はたしてそうした傾向を是正できるか、わたしは否定的である。時代の流れに抗することは、極めて難しいことだからだ。
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