2025年7月5日土曜日

歳をとるということ

  今日は、香典を持って通夜に行った。90歳の男性だった。ガスの販売や建築関係の仕事をしていた人であった。彼との会話でもっとも印象に残っているのは、家の外壁の塗装についてだった。素人は、業者に塗装を依頼しても、ペンキの質なんか全くわからない。だから塗装屋が、カネを儲けるのは簡単なんだ・・・・

 わたしがそれを聞いたのは20代の頃だっただろうか。わたしが子どもから大人になっていく過程の中で関わりのあった人びとが、ひとり、またひとりと旅立っていく。知っている人がこの世よりあの世のほうが多くなる、それが歳をとるということだ。

 子どもの頃、家に帰ってくるとランドセルを家において、すぐに戸外へ。近くの寺には近所の子どもが集まっている。年の差なんかまったく考えずに遊ぶ。その寺院にはたくさんの松の木があった。子どもたちは木登りをする。わたしはすべての松にのぼったことがある。しかしその松は、今やほとんど残っていない。寺院の周囲には田んぼがひろがっていた。冬、稲刈りの終わった田んぼには藁が捨てられていた。藁のうえで、相撲をしたりして遊んだ。しかし今、田んぼも埋め立てられてしまっている。またわが家の裏には父の実家があった。農家でもあったから、敷地は広かった。しかし、父の兄が継いだその家には、跡継ぎがいなくなった。今や、その敷地には5軒の新しい家が建っている。わが家とその家の境にあった高いホソバ(槇の垣根)は抜き取られ、モダンな塀がつくられた。

 歳をとるということは、生きてくる過程の中で見てきた風景が失われるということだ。

 昨年2月母が亡くなり、遺品などの整理を続けている。そのなかにたくさんの写真があった。残された写真を一枚一枚見ながら、むかしのことを思い出す。むかしのことを、静かに偲ぶこと、それも歳をとったということ、である。

 自分自身が成長するなかで出遭った人びと、自分自身を取り巻いていた環境、それらがなくなっていくこと、それが歳をとるということである。

 

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