「良識をもつ人なら・・・」という前提で、いろいろなことは判断される。そしてその判断は、大方の人が認めるところとなり、あえて問題とされることはなかった。
なかった、と過去形で書いたが、その理由は、今やその良識が、政治の世界から消えていると思うからだ。
兵庫県知事の問題にしても、公益通報者保護法に基づけば、是非は明らかであるのに、良識がそこでは働かない。
また伊東市長の学歴詐称問題についても同様である。大学を卒業したかどうかは本人がいちばんよく知っている事柄であるのに、詐称したことが明らかになったら、卒業したと思っていると平気で言明する。伊東市長にも良識のカケラもない。
政治に関わる者たちの、良識をもたない姿があちらこちらでみられるようになった。安芸高田市長時代の石丸某についても、良識は感じられない。
良識が通じない政治家の姿が報じられるそれだけで、良識を持つ人びとにはストレスとなる。 しかし残念ながら良識を持たない人びとがSNSを利用して、良識のない政治家を支持したり擁護するからたまらない。それがニュースとなって新聞、ネットで話題になる。話題になると、良識を持たない政治家やその支持者は、注目されていると思ってさらに増長する。
良識を持たないそうした人びとについては、批判すべきは批判し、あえて大きくとりあげずにうまい具合に黙殺すればよいと思う。良識を持たない政治家の所業が報じられると、そのもとに良識を持たない人びとが集い、一定の勢力となっていく。SNSがそうした人びとをつないでいく。
良識をもたない政治家が権力を握って、自分自身と自分自身の取り巻きだけを優遇する。その嚆矢は、安倍晋三であると思う。「モリカケサクラ」という言葉に見られるように、国費を使って特定の人びとに利益を得させる政治とも言えない政治を行った安倍晋三、「モリカケサクラ」が明らかになっても居直り、その居直りの延長線上に公文書の改竄まで行わせる。そしてその渦中に巻き込まれた公務員が、自死するという悲劇的な事件もおきた。
良識のない者が政治家となり、その者が本来持っていた悪性がみごとに表出する。そしてSNSを通じて、良識を持たない人びとが集まる。その数は、無視できない。
参政党も、そうした者の集団であろう。根拠なき放言をまき散らかし、みずから発した言葉の責任をまったくとらずに平気でいる。平気でウソをつく。自分たちがウソつきなのに、新聞などを「ウソつき」だと吠える。
まさにあの安倍晋三と同じである。安倍晋三も、平気でウソをついていた。そうしてもよいのだということを、首相がみずからやってのけたのである。
日本の政治文化を壊した安倍晋三、その後に出現したのは 「ウソと居直りの政治文化」である。それが兵庫で、伊東市で、そして参議院議員選挙で明らかになっている。今後もそうした文化がはびこっていくのだろう。なぜなら、それが日本の政治文化の本流となっていくからである。
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