今日も暑い。暑い日が6月から続いている。しばらく雨も降らないそうだ。今年の米をはじめ、農作物は大丈夫だろうか。
気候変動、米の不作、物価高、生活費の不足などなど、わたしたちの生きる環境は、わたしたちに優しくはない。これらの環境は、現在からつながる未来に不安をかき立てている。
30年以上にわたり、わたしたちは経済が上向くことを経験しないできた。しかし諸外国は、経済状況がかんばしくなくても、人びとの経済生活は少しずつ上昇していった。それが積もり積もって、日本ははるか後方に置いてきぼりにされた。
その現実が、わたしたちの目につくようになっている。外国人観光客が、日本人が高価すぎて満足に食べられないものを、「安い、安い」といって食べている。また高額の商品を、買いあさっている。日々の生活に余裕のないわたしたちは、そういう姿を見て、日本のじり貧を感じる。「先進国」日本、といわれていたのに、日本の現実が日本人のプライドを抑え込む。
物価の上昇に追いつかなければということから、賃金は上がってきた。しかし、物価の上昇速度にはまったく追いつけない。
日本の庶民には、不満、不安が渦巻いている。しかし、その解決策は見当たらない。解決策を訴える人びとはいる。だがその声は、たとえ正論であっても、正論であるが故に、庶民のなかには入っていかない。
現在と、現在につながる未来は、開かれていない。未来なんかあるもんか、今を生きるだけで精一杯だ、そんな声が聞こえてくる。
自民党・公明党政権による悪政は、庶民の未来を閉ざしてきた。利権につながる政策だけを展開してきた自民党・公明党政権は、庶民にもわずかばかりの利権を与えて、支持を得てきた。だがその手は、もはや効果はなくなった。
中には、庶民に対して未来を開くような政策を提示する政党もある。だが開かれた未来は、そう簡単には来ない。現実をより良い方向に動かすには、手順があるからだ。
しかし、そうした状況の中、策謀家が動き始める。「日本人ファースト」、「手取り収入を増やす」・・・・耳触りのよいことばが振りまかれる。
庶民は、通常、政治には関心がない。それよりも芸能ニュースや下世話な話題が好きなのだ。でも、庶民を取り巻く環境には不安がいっぱいだ。一時的でも、不安を解消してくれそうな人に期待してしまう。こうすれば不安は解消されていくという手順を説明されても、そんなことは面倒くさく、手っ取り早く何とかしてくれそうな勢力に期待する。
昨日とほとんど同じ日常を生きる庶民は、元来、保守的である。保守的な意識をもった人びとが、保守的ではない政治勢力を信用することはない。
未来が閉ざされている、石川啄木のいう「時代閉塞」という社会状況のなかに、わたしたちはある。啄木は、こう記している。
我々青年は誰しも其或時期に於て徴兵検査の為に非常な危惧(きぐ)を感じてゐる。又総ての青年の権利たる教育が其一部分ー富有なる父兄を有(も)つた一部分だけの特権となり、更にそれが無法なる試験制度の為に更に又約三分の一だけに限られてゐる事実や、国民の最大多数の食事を制限してゐる高率の租税の費途なども目撃してゐる。凡(およ)そ此等の極(ご)く普通な現象も、我々をして彼の強権に対する自由討究を始めしむる動機たる性質は有(も)つてゐるに違ひない。然り、寧ろ本来に於ては我々は已(すで)に業(すで)に其自由討究を始めてゐるべき筈なのである。にも拘(かかは)らず実際に於ては、幸か不幸か我々の理解はまだ其処まで進んでゐない。さうして其処には日本人特有の或論理が常に働いている。
しかも今日我々が父兄に対して注意せねばならぬ点が其処に存するのである。蓋し其論理は我々の父兄の手に在る間は其国家を保護し、発達さする最重要の武器なるに拘らず、一度我々青年の手に移されるに及んで、全く何人も予期しなかつた結論に到達してゐるのである。「国家は強大でなければならぬ。我々は夫(それ)を阻害すべき何等の理由も有(も)つていない。但し我々だけはそれにお手伝いするのは御免(ごめん)だ!」これ実に今日比較的教養ある殆ど総ての青年が国家と他人たる境遇に於て有ち得る愛国心の全体ではないか。さうして此結論は、特に実業界などに志す一部の青年の間には、更に一層明晰になつてゐる。曰く、「国家は帝国主義で以て日に増し強大になつて行く。誠に結構な事だ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。正義だの、人道だのといふ事にはお構ひなしに一生懸命儲けなければならぬ。国の為なんて考へる暇があるものか!」
彼の早くから我々の間に竄入(ざんにふ)してゐる哲学的虚無主義の如きも、亦此愛国心の一歩だけ進歩したものである事は言ふまでもない。それは一見彼の強権を敵としてゐるやうであるけれども、そうではない。寧ろ当然敵とすべき者に服従した結果なのである。彼らは実に一切の人間の活動を白眼を以て見るが如く、強権の存在に対しても亦全く没交渉なのであるーそれだけ絶望的なのである。(中略)
斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達してゐるのである。それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない、実に必至である。我々は一斉に起つて先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。・・全精神を明日の考察ー我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである。】 (「時代閉塞の現状」、1910年8月)
結論は、わかっている。「遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達してゐるのである」。
だが、 そんなことは面倒くさい。耳触りの良い短い言葉、それが好きなのだ。こーだ、あーだという長い説明には付き合えないのである。
かくて、人びとは、策謀家の手の内にはいる。時代閉塞下の人びとは、いつの時代でも、そうなるのだ。歴史がそれを証明している。
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