2025年7月1日火曜日

現代国家論(1)

  『中日新聞』が「揺らぐコメ高騰を追う」という連載をしている。これを書く記者は、コメの生産地に足を運び、まさに生産地点で現在のコメ高騰の問題を考えようとしている。記事では、「コメが足りなくなるかもしれないという予兆を現場が感じていたのに、農水省は作況指数などを盾に異変を見逃し、対応しなかった。「昨夏に備蓄米を出していれば、今ほど高値になることはなかった。農水省は生産者の現場、消費者の実態をどこまで把握しているのか」」、「農家の長男として生まれた伊藤さんは、江戸時代に建てられた自宅を囲むように広がる水田1・8ヘクタールでコメを栽培してきた。だが、5年ほど前から温暖化による猛暑の影響で品質は下がり、収穫量が減ったと感じてきた。「粒が小さい。玄米を精米すると、粒が割れて収穫量が減ってしまう」。昨秋は例年より約2割も減った。/それなのに農林水産省は昨年12月、コメの作柄を示す作況指数(平年=100)が、2024年産米で「平年並み」の101だったと発表。「どの農家に聞いても収穫は少なかった」という。伊藤さんの不安は的中し、コメの供給不足が現在の高騰の一因となった。」と書かれている。

 農作業に従事しているわたし自身が感じた2023年からの(記事の伊藤さんは5年前から)、米作のみならず農業生産地点での猛暑の影響、それに伴う不作を、東京にある国家権力の担い手たち(政治家や官僚など。以下、「権力者」)は感じることはなかった。

 なぜ感じないか。東京を中心とした大都市圏に住まいしている「権力者」も含めた人びとは、大都市圏にコメが運ばれてきていれば、そして満足にそれを食べることができてさえいれば、生産地点での変化には気にとめないのである。しかし大都市圏にコメが運ばれてこなくなると、かれらも気がつく。それが今年、2025年である。

 農水省など、地方にはその関連機関を置いているではないかと問うこともあろう。だが地方にいる者たちも同じ「権力者」であって、彼らは生産地点には眼を向けず、常に東京を中心とした大都市圏に住まいする「権力者」を見据えている。「権力者」の最大の関心事は、みずからの「出世」(昇進)であって、みずからが担当する仕事に熱心に取り組むことではない。熱心に取り組んで民間との摩擦を生じるよりも、たとえば違法に気がついても、担当する期間、その仕事が「大過なく」過ごすことができればそれでよいのである。熱海市の違法な盛り土が土石流となって人家を呑み込む事件があったが、違法だと知っていても静岡県の役人(権力者)は見て見ぬふりをした。「大過なく」である。

 さて盛り土は、東京都内にはほとんどないだろう。大都市の開発の中で生みだされる大量の廃土は、地方に運ばれて巨大な盛り土となって地方住民を苦しめる。

 大都市圏に住まいする「権力者」にとっては、それはどうでもよいことだ。 

 大都市は、不要なものは地方に廃棄し、必要なものはせっせと運ばせる。その代表的なものは税金と食料である。税金と食料は、全国から運ばれてくる。金は実際には運ばれないだろうが、しかしそれをつかうことができる「権力者」の大方は、大都市圏に住まいしている。

 高速道路を東京に向けて走らせていると、全国各地からの食料、それもとっておきのものが、東京へと運ばれていくことに気づく。肴はトラックの生けすで運ばれ、生のまま東京の「権力者」の口に入る。 

 東京には、カネが集まり、地方からの税金が「権力者」によってばらまかれるから、東京は景気がいい。それを求めて多くの人が集まるから、東京都はたくさんの住民税、固定資産税などできわめて潤沢である。公共交通機関も次々とつくられ、自家用車を持つ必要はない。

 しかし東京などに人口を吸収させられた地方は、公共交通は衰弱し、自家用車を持たなければ買い物にもいけない。地方の住民は、高騰するガソリンを買って自家用車をつかうしかない。高騰するガソリンに苦しむ地方の住民のことなんか、「権力者」は考えない。だからガソリンに多額の税金がかけられ、本来ならば、レギュラーガソリン1リットルあたりの平均小売価格が3か月連続で160円を超えた場合、1㍑あたり25.1円の特例税率が停止されることになっているのに、自民党・公明党政権はそれをするつもりはまったくない。彼らは大都市圏に住まいする「権力者」だから。

 このように、日本を根本のところで支えている地方を軽視し、大都市圏だけ見つめながら政治を行っている「権力者」中心の国家を、わたしは「大都市利権国家」と命名する。

 

 

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