やっと図録が届いた。ショッキングな赤と黒の表紙、そこに黒字で「中村宏 アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」という文字が浮かび上がる。
展覧会で見つめた作品が並ぶ。実際の絵画に、観る者は圧倒される。中村の絵にはエネルギーが渦巻いている。中村は、「絵画は光を観ること」だといっているが、その光とはエネルギーそのものだ。中村のエネルギーが、観る者に飛びついてくる。
静岡県立美術館には9時頃着いた。それから3時間以上、中村の作品を見つめ続けた。疲れた。
わたしは、中村の作品に「左翼」をみる。彼は、若い頃砂川闘争などに参加した。「左翼」の運動に関わる者たちは、想像できないほどのエネルギーを潜在的に持つ。しかし、「左翼」は、自分のためにそのエネルギーを費消するのではなく、自分以外のものに費消する。砂川闘争のような街頭行動だけではない。いつも、何に費消するのか、みずからのもつエネルギーを何に投入するのかを考える、さがす。同時に、何らかの理念も求める。その理念とは、他者と何らかのつながりをもつものである。社会性といってもよいだろう。
中村は、もちろん絵画に投入する。何を描くか、他人にはないようなエネルギーを、セーラー服姿に、機関車に、あらゆる造形の中に投じる。投じるしか、生きようがない、描きようがないのである。しかし、そこに必ず理念的な社会性が込められているように思える。最初の絵から、最後の絵まで。
だから、生涯、彼は「左翼」であり続けたと思う。