2026年2月9日月曜日

批判の意味

  yahooコメントを読むと、「批判ばかりしている」、「批判するな」という言説によくであう。しかし、批判がなくなるということは、朝鮮民主主義人民共和国のような社会になるということだ。 

 そこでCHATGPTに尋ねてみた。「批判の意義とは?」という問いである。

 

批判の意義は一言で言えば、物事をよりよくするための思考の力です。ただ否定することとは、まったく別物です。

少し分けてお話ししますね。


1. 批判は「壊す」ためではなく「照らす」ためにある

本来の批判(critique)は、

  • 何が前提になっているのか

  • どこに矛盾や偏りがあるのか

  • 見落とされている視点はないか

明るみに出す行為です。

つまり

間違いを暴く
ではなく
構造を可視化する

ことが核心です。


2. 批判がなければ、価値は固定されてしまう

批判が存在しない社会や集団では、

  • 「昔からそうだから」

  • 「みんながそう思っているから」

  • 「権威が言っているから」

という理由だけで、価値観が凍結されます。

批判は
当たり前を一度、宙づりにする行為
です。
それによって初めて、変化や更新が可能になります。


3. 批判は対立ではなく、対話の入口

よく「批判=攻撃」と受け取られがちですが、本質的には逆です。

  • 批判するということは
    → 相手の考えを真剣に受け取っているということ

  • 無関心こそが、最大の拒絶

健全な批判は「あなたの考えを、もっと深く理解したい」という姿勢から生まれます。


4. 自分自身を自由にするための批判

批判は他者に向けるものだけではありません。

  • なぜ自分はそう感じたのか

  • どんな前提に縛られているのか

  • 本当にそれは自分の言葉なのか

こうした自己批判的思考は、他人に支配されないための知的な防御でもあります。


5. 批判が失われると起きること

批判が封じられると、

  • 権力はチェックされなくなる

  • 多様な声が消える

  • 創造性が衰える

歴史的にも、批判の抑圧は必ず思考の貧困を生みました。


まとめると

批判の意義とは、「よりよく考え、より自由に生きるための知的実践」です。

 まったく同感である。批判することを否定する者たちこそ、貧困な思考の持ち主なのである。批判する中身を問うのではなく、批判という行為のみをみて、表面的に攻撃するのである。攻撃者は、批判する中身についての知識は持たない、まさに 「無関心」であった者が、自分は批判できる知的レベルに達していないからこそ、つまり「無関心」であるが故に、己の無知をかくすために、批判ばかりしている、とか、批判するななどと攻撃するのである。 


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