yahooコメントを読むと、「批判ばかりしている」、「批判するな」という言説によくであう。しかし、批判がなくなるということは、朝鮮民主主義人民共和国のような社会になるということだ。
そこでCHATGPTに尋ねてみた。「批判の意義とは?」という問いである。
批判の意義は一言で言えば、物事をよりよくするための思考の力です。ただ否定することとは、まったく別物です。
少し分けてお話ししますね。
1. 批判は「壊す」ためではなく「照らす」ためにある
本来の批判(critique)は、
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何が前提になっているのか
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どこに矛盾や偏りがあるのか
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見落とされている視点はないか
を明るみに出す行為です。
つまり
間違いを暴く
ではなく
構造を可視化する
ことが核心です。
2. 批判がなければ、価値は固定されてしまう
批判が存在しない社会や集団では、
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「昔からそうだから」
-
「みんながそう思っているから」
-
「権威が言っているから」
という理由だけで、価値観が凍結されます。
批判は
当たり前を一度、宙づりにする行為
です。
それによって初めて、変化や更新が可能になります。
3. 批判は対立ではなく、対話の入口
よく「批判=攻撃」と受け取られがちですが、本質的には逆です。
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批判するということは
→ 相手の考えを真剣に受け取っているということ -
無関心こそが、最大の拒絶
健全な批判は「あなたの考えを、もっと深く理解したい」という姿勢から生まれます。
4. 自分自身を自由にするための批判
批判は他者に向けるものだけではありません。
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なぜ自分はそう感じたのか
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どんな前提に縛られているのか
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本当にそれは自分の言葉なのか
こうした自己批判的思考は、他人に支配されないための知的な防御でもあります。
5. 批判が失われると起きること
批判が封じられると、
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権力はチェックされなくなる
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多様な声が消える
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創造性が衰える
歴史的にも、批判の抑圧は必ず思考の貧困を生みました。
まとめると
批判の意義とは、「よりよく考え、より自由に生きるための知的実践」です。
まったく同感である。批判することを否定する者たちこそ、貧困な思考の持ち主なのである。批判する中身を問うのではなく、批判という行為のみをみて、表面的に攻撃するのである。攻撃者は、批判する中身についての知識は持たない、まさに 「無関心」であった者が、自分は批判できる知的レベルに達していないからこそ、つまり「無関心」であるが故に、己の無知をかくすために、批判ばかりしている、とか、批判するななどと攻撃するのである。
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