2025年11月1日土曜日

終末論

  今日、『現代思想』11月号が届いた。特集は、「「終末論」を考える」である。

 かなり前、わたしは新自由主義が波及する中で、世界の支配層は自分たちだけが生き残りたい、という意図をもって経済活動その他をしているのではないかと思ったことがある。持続的に自分と、自分の子孫を生かしていくためには、地球環境も大切だし、今を生きる多くの人びとも大切だし、食料やものをつくってくれる農業者や労働者も大切だ・・・つまり自分や自分の子孫を大切にしたいなら、この世界にある諸々のものを大切にしなければいけない、しかし、新自由主義の時代、「今だけ、金だけ、自分だけ」というきわめて利己的な生き方をする人間が増え、他者を切りすてるという風潮がたかまっている。そんなことをすれば、未来は閉ざされてしまう、だれが食料をつくってくれるのか、誰がものをつくってくれるのか・・・いやひょっとしたら支配層は、この世の終わりを見つめてるのではないか、そのためにせっせと蓄財に励んでいるのではないか、と。

 最近は、『現代思想』を毎月購読しなくなっているが、特集に応じて時に購入する。

 さて、大澤真幸の「破局に魅了されて・・」を読みはじめたら、大澤は、『世界』7月号のナオミ・クラインらの「終末ファシズムの勃興」をもとに論じようとしていた。確か読んだはずだと思い、『世界』7月号を手に取ると、目次に×印がついている。もちろんわたしがつけたものだ。わたしは、『世界』などに掲載された文について、読んだら◎、○、×などを目次に記す。もちろん、参考になったものは、◎、○である。読む必要がないと思ったのは×である。「終末ファシズムの勃興」をもう一度読みはじめたが、なぜわたしが×をつけたのかわかった。翻訳がよくない。こなれていないし、たとえば、サバイバリズムを「生存主義」と訳している。しかしわたしは、それを「生き残り主義」とする。語の意味を正しく伝えるなら、わたしの訳の方がよいと思う。災害や社会的混乱その他の最悪の事態を想定して、生き残るために危険に備える、というものだからだ。翻訳も、読む人が理解しやすいようにすべきなのだ。

 『現代思想』、読みはじめたばかりである。感想はまた書くつもりである。 

  

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