『世界』との邂逅は、高等学校の図書館だと思う。図書館に入り、入り口の近くに雑誌コーナーがあった。昼休み、しばしばそこに足を運んだ。『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』などいわゆる綜合雑誌などが並んでいた。もちろん『週刊朝日』などの週刊誌もあった。
早くから『朝日ジャーナル』は購読していたが、そこで読む『世界』も自分で購入する必要があると判断し、買うようになった。こういう雑誌を購入するということは、同時にそのなかで紹介される本も読むようになるということだ。高校時代、社会科学や人文科学の本を購入した。結果、近所の書店で、よく本を買うわたしは、すべての本を一割引で購入できていた。
『世界』12月号の『世界』創刊1000号の特集には、いろいろな人が書いているが、樋口陽一氏の文がよかった。樋口氏はフランス語のgaucheという語を紹介している。「異議申し立ての精神(contestation)と、それをくり返しながらも普遍的な価値を追い求める誠実さ(fidélité)」だという。なるほど、確かに、『世界』はそうした精神を持ち続けていたし、今もそれが続いている。わたしもそうした精神に焦がれて、『世界』を買い続けてきたのだろう。
わたしの若い頃の『世界』の編集長は、吉野源三郎氏であった。わたしがもっとも傾倒する知識人と言えば、吉野氏である。『世界』に掲載された「一粒の麦もし死なずば」は、ヴェトナムのホーチミンについて書いたものだが、すばらしい文であった(岩波新書の『同時代のこと』に掲載)。吉野氏は、『世界』編集長をしながら、統一戦線の中核となって(とはいえ表には出てこないが)、戦後民主主義の擁護発展に尽力されていた。知識人として、あるべき生き方を生きた人である。また吉野氏と言えば、『君たちはどう生きるか』という子ども向けの本も書いている。
わたしにとって、『世界』と吉野氏はひとつのものとなっている。吉野氏の精神を『世界』がずっと持ち続けていくことを願うばかりである。
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