2022年まで、夏であっても、わたしは午後4時頃畑に行って2時間くらい作業をしていた。収穫したり、雑草を取ったり、暑さが作業を邪魔したことはない。
ところが、2023年夏は、20分程度農作業をするだけで退散した。あまりに暑くて、くらくらするほどだった。近くではあっても、わたしは自転車で畑に通っているが、帰りはめまいを感じた。稲作をしている農家も、あまりに暑いために、ふつうは水をとめて田んぼを干す時期であったが、ずっと水を流し続けていた。その年の米は粒が小さく、収量は落ちた。
2024年も同じくらいの暑さであった。わたしは農作業をやめた日も多かった。雑草をとることができないほどの暑さであったために、つくっていた野菜のところに足を運ぶことすらできなかった。また7月をはさんで40日間、雨が降らなかった。そのためか、さつまいもはすごい不作だった。毎年子どもたちに送っていたが、断念した。またこの夏も田んぼの水は流し続けていたし、2023年よりも収量は落ちた(粒が小さい)。また田んぼの水に手を入れると熱湯だった。
そして今年、 猛暑というか酷暑というか、それが続き、さらに昨年同様雨が降らない。天竜川の上流、長野県では雨が降っているようで、農業用水の水量は変わらない。しかし遠州地方は降らない。昨日は雨が・・・と思ったら、すぐに止んでしまった。だから毎日、用水から水を汲み出し、サツマイモその他に水遣りをしているが、しかしその水は土の表面を濡らすだけ。雨が降らないと、土の中にまで沁みていかない。昨年と同じように、さといもの葉が枯れている。
このような気候変動に対応することを、日本の農業はしていない。昨年、オクラですら不作であったので、今年は発芽温度28度という品種を買ったところ、この日照りと猛暑の中でも、順調に収穫できている。もうすでに日本の気候帯は、亜熱帯である。それに適した農業にしていかなければならないと思う。
さて、昨日だったか、生産する米が足りなかったことを、農水大臣が、はじめて認めた。珍しいことではある。
官僚は、失政を重ねても失敗を認めることはしない。戦前の天皇制の時代の「国家無答責」(国家は間違ったことや失敗をしないので、いかに国民に損害が出ようとも、国家は責任を負わないという法理)論が今も国家権力の担い手たちに引き継がれているようだ。よほどのことがないと、責任を認めないというこの考え方、地方自治体にも残っている。
政府は、米の増産に舵を切るようだが、しかし果たしてそれは可能か。わたしが住んでいる地域の田んぼは次々と埋め立てられている。米を作っても生活が成りたたないという状況が続いてきた。米を作っているのは高齢者。年金などその他の収入があるから米生産ができた。そんなカネにならない農業に見切りをつけ、高齢者が農地を売っているのである。
欧米では、農業者に所得補償をしている。そういうことを組みこんだ政策でないと、日本農業は先細るばかりだ。
自動車等の輸出を最優先するなかで、そのかわりの輸入品として外国農産物が位置づけられ、諸外国からの農産物輸入を日本政府は推進してきた。その政策で、日本農業は衰退させられ、農業は儲からない産業となった。それが長年続いてきた。
政府が米の増産を図ると言っても、はたしてどうなるか。農業者も農地も減らされてきた。いったい政府はどのような施策により農業生産を増大させようとするのだろう(日本の農業予算の多くは、圃場整備事業などの農業土木に投下されてきた。その金は土建業者が持っていく。農業者にはわたらない)。
「失われた30年」という自民党・公明党政権の利権政治は、農業生産を破壊してきたのである。
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