昨日の『東京新聞』の「時代を読む」に、内田樹さんの文があった。
匿名に隠れた群衆が「破壊者」として現れている。その「破壊者」はについて、内田さんはこう書いている。
自分を大きく見せようとする人間は必ず「悪」の衣裳を身にまとう。自分の力を100倍誇大に表示できるからだ。だから、承認欲求が満たされない人たちは必ず「破壊者」として登場し、「創造者」として登場することは絶対にない。
「破壊者」は、「規範を意に介さず、人々が大切にしているものを嘲笑し、恐れを知らぬ攻撃性によって「システム」を破壊する」。
創造することはとてもたいへんなことで、たくさんのエネルギーを費消する。これは他者を創造的に批判する場合でも同じである。根拠をきちんと提示しながら批判していくわけだから、その背後に厖大な知の集積をもつ。
ところが、巷にはびこっているXなどで発信されている批判は、創造的なものが皆無である。そこには「知」はみられず、感情的・情動的な短いことば、いわば「悪罵」といってもよいことばが並ぶ。「悪罵」を平気で投げつけることが出来る人の目的は「自分を大きく見せる」こと、だからより強く相手を攻撃できる荒々しいことばをつかう。そこには知性や理性はない。社会的な規範や良識を顧慮することすらしない。批判しようとする相手への敬意さえまったくない。
そういう人々が、SNSを通じて個々バラバラに「悪罵」を投下する。そうした行動が伝播していく。
内田さんは、「今世界で起きているのは、既存のシステムが機能不全に陥った時」だとして、そういう時代に人びとは「動物的な生気がみなぎった強そうなリーダー」を選考する、という。
そうしたリーダーは「破壊者」たちである。そしてその周辺に人びとは集まっていく。
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