2025年8月16日土曜日

伊東市の騒動ー個別性と普遍性

  自治体の歴史を編纂する場合の着眼点は、その地域の個別的な事件が普遍性をもつかどうかである。それ以外は、よほどのことがないと書かないし、書いたとしても通り一遍の書き方ですます。

 さて、伊東市長の学歴詐称問題がテレビやネットで報じられているが、この問題はまったく普遍性のないものだ。学歴詐称問題から始まる一連の動きは、報じる価値はまったくない。

 昨日、ネットの「一月万冊」で、れいわ新選組の伊東市議にインタビューしたものをみた。そこで知ったことは、長年にわたる自民党による伊東市の悪政があったこと、その自民党の内部で対立が生じ、その中から現市長が出て来たことなどの経緯が語られた。ソーラー事業や新図書館建設問題は、主要な争点ではなく、伊東市における政治勢力の動きの中で、現市長が当選したのだということ、などを知った。現市長が二期目の市議選では最低得票の最下位であったのに、なぜこの人に票が投じられたのかは、伊東市の自民党勢力に内部対立が生じたからであった。

 地方都市の政治地図はどこでも似たようなものである。地位、名誉、カネを求める者たちが自民党という政党に集まり、それぞれが個々に地位、名誉、カネを求め続けることから、そのなかで対立が生まれていく。地域住民は、そうした地位、名誉、カネを求める議員に、自分が住む地域に利益をもたらすように働きかける。戦前(戦後に於いても)、保守系の代議士たちが選挙民の歓心を買おうと、自らが選挙地盤とするところに鉄道を引かせることをよくやった。「我田引鉄」である。そうしたミニチュア版が、各地域にみられる。地方議員は、「我田引鉄」の担い手である。支持者が住むところに、自治体からカネを出させること、それが彼らの主な仕事になっている。 

  伊東市長の学歴詐称問題を報じるなら、地方の政治地図のあり方を深く問うようなことに焦点をしぼるべきである。テレビや雑誌は面白おかしく報じていけば視聴率、購読者が増えるということから、いろいろ取り上げているが、まったくナンセンスで、深くも掘り下げない、つまり普遍的な問題として分析しようとしない報じ方なのである。

 現市長の問題性を報じるだけのものであったら、それこそ報道する価値はない。個別的な問題を個別的なままにする報じ方はムダである。まさに伊東市だけのローカルな問題として報じていけばよい、全国区にする必要はまったくない。 

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