山田昭次さんが亡くなられていたことを、今日知った。今日配達された『週刊金曜日』の記事に、「行動する歴史学者」としての山田さんが、3月15日に亡くなられ、6月14日、立教大学で「しのぶ会」が開かれたことが書かれていた。
1983年、静岡県近代史研究会の総会記念講演で、「関東大震災時の朝鮮人虐殺をめぐる日本の権力と民衆」というテーマで話されたこともある。当時、事務局長であった田村貞雄さん(田村さんも亡くなられた)の依頼で来られたと思う。田村さんとは、東京教育大学大学院で一緒だったそうで、大学院時代、御茶ノ水の喫茶店、その名は忘れたが、そこで読書会(研究会)をやっていたとのことだった。それ以外にも、田村さんから山田さんのことをいろいろ聞いていたが、記憶力の減退の中で、思い出せない。
当初、山田さんは自由民権運動などを研究されていたということだった。田村さんによると、山田さんはとても詳しく、たくさんのことを教えられたそうだ。その後朝鮮史というか日朝関係史の研究に移られたが、もし自由民権運動をそのまま続けられていたら、大きな業績を残されただろうと、田村さんは語っていた。
わたしも、静岡県近代史研究会とは別に山田さんとは、どこかでつながっていて(思い出せない)、東京麻糸紡績沼津工場に動員された朝鮮人女子勤労挺身隊の「公式謝罪等請求訴訟」の控訴審(東京高裁)に、「朝鮮女子勤労挺身隊の歴史的位置」という意見書を作成していただき、また法廷にも立っていただいた。その意見書は、とても詳細で、短時間によくもまとめられたものだと驚いたことがある。
その後も山田さんとはお電話で何度か話したことがあるが、最近はそういうこともなくなっていた。
まさに「行動する歴史学者」で、誠意ある方であった。山田さんのように、戦後歴史学の担い手が他界していく。とても寂しい。
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