2025年7月12日土曜日

知ることの喜び

  8月号の『地平』と『世界』を読みくらべると、今号は『世界』のほうが刺激的な文が並んでいた。

 ひとつは、国際法学者の最上敏樹による「もはや時間はない アウシュビッツ解放80周年に」である。きわめて説得力あるもので、イスラエルによるガザやイラン襲撃に関する新たな視点を提供してくれ、たいへん参考になった。

 もうひとつは、横山百合子の「吉原と日本人 性の尊厳にたどり着くまで」である。東京藝大美術館が「大吉原展」という展覧会が行われたが、わたしはそれは如何なものかと訝しい気持ちを持っていた。

 学生時代東京にいたが、吉原がどこにあるのか知ろうともしなかったが、そこは性の売買が行われていた場所であることは知っていたし、そこを舞台とした書物はいくつかは読んできた。

 わたしは性の売買に関わったことは一度もなく、そうしたところに足を運んだこともない。やはりそういう世界に入っていく女性がいるということは、その背後に貧困という社会構造があり、決して肯定すべきものではないという考えを持っていた。

 ところが、「大吉原展」が開催され、はたしてそれをどう捉えたら良いのかわからなかった。吉原という「悪場所」にも「文化」があったことを肯定的に捉えるから、そうした展覧会が行われたのだろう。

 だが横山の文は、近世の18世紀、吉原の「遊女屋」の経営者が危機を迎えたことから、 彼らは「由緒」を語りだし、また幕府の覚えをよくしようと「文化」を生み出し、ほかのそうした場所との違いを際立たせるようになり、みずからの経営を安定させようと図った、ということを、歴史学的に証明しているのである。

 横山は、「吉原の「文化」化と呼ぶとすれば、それは、確実に、性売買の場のおぞましい現実を不可視化し、性の尊厳を軽んじる精神を増幅してきた」と指摘する。また「・・豪華な衣裳や浮世絵などを含む「文化」は、どのように美しく芸術的であったとしても、郭での苛酷な現実のなかで。遊女支配の装置としても機能していく」「身代金、仕置、そして遊女たちの「文化」によるこころの支配は、遊女たちをより苛酷な環境に追い込み、それが吉原自身を動揺させていた」とも。

 国立歴史民俗博物館の展示図録、『性差の日本史』が足元にあるが、しっかりと読まなければならないと思った。

 また胡桃澤伸の、映画『黒川の女たち』に関する「わたしたちの新しい根拠」の指摘も、重要だと受けとめた。

 活字からいろいろなことを学ぶことをしてきたわたしは、『世界』8月号で、また多くを知ることができた。それは喜びでもある。

 

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