2025年6月26日木曜日

並んで待つということ

  夢洲での大阪万国博、その開催が夢洲にカジノを建設するためのインフラ整備に税金を投入するための手段であることは、以前から指摘されていたことだ。そういう腹黒い策謀には一切手を貸さないというのが、わたしの生き方である。したがって、絶対に行かない。

 しかし、もしそういう策謀がなくても、わたしは行かない。というのも、万博で報じられているのが、「長蛇の列」が頻繁に起きているからだ。

 わたしは「並んで待つ」ことがイヤでしようがない。唯一、交通機関を利用するために「並んで待つ」ことはするが、それ以外はしない。飲食店に行こうとして、その店に「並んで待つ」姿を認めると、わたしはやめてしまう。その飲食店に、あえて「並んで待つ」ほどの価値を見出さないからだ。時間がもったいない。

 「待つ」というと、やむなく「待つ」のは、医者に行くときだ。診察はすぐに終わるのに、自分の番が来るまでは「待つ」ことをしなければならない。これは我慢する。「待つ」長い時間、わたしは必ず書物を持参して読む。無為に過ごす時間が、とてももったいないからだ。

 日々、この猛暑の中、万博会場には10万人以上が参加し、炎天下のもと、日傘を差しながら長時間「並んで待つ」姿を、ユーチューブで見るが、よく我慢しているなあと感心する。

 戦時中、日本の歩兵はほんとうに歩く兵であった。いかなる気候でも、昼でも夜でも、いかなるところであろうとも、背中に約40㎏の荷を背負って、ひたすら命令のままに歩く、歩く。他国は、歩兵といってもトラックに乗ったりして移動するが、日本兵はひたすら歩いていた。それを考えると、日本人は我慢強かったのだなあと思う。戦後、日本国憲法のもと、徴兵制がなくなったことに心から感謝したい。

 人びとが我慢強く「並んで待つ」姿から、いろいろなことを考える。

 

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